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微笑

姉妹喧嘩の仲裁はだいたい全部「どちらも悪い」で終わったけれど、「どちらも正しい」ではダメだったんだろうか。

「ごめんね」
どんなに相手が先に手を出しても、悪いような気がしても、必ず謝った。勿論自分の行いを振り返り、非を認めることは当たり前にできた方がいい。自分は悪くないと思い続けることで得られることは何もない。
ただ、私は。いい子に育った私は、純然とした悪意を前にしてさえあなたが悪いのではなく私も悪かったと思うようになった。
いじめられる方にも問題がある。
小学校低学年の時、それは、私が太っていて醜いから。
高学年の時、私が空気を読めなくていつも本ばかり読んでいるから。
中学生の時、うまく話す事ができなくて変な人だったからだ。
どれも、私にはどうしようもない問題だった。どうしようもないけれど私が悪くないわけではないのだから、私は曖昧に微笑んでいるしかなかった。自分のために怒ることも泣くことも十分にできなかった。

自分が正しい、ひいては誰かが間違っていると思うことは時に自分にとって大切な核になることがある。それはその人にとっての正義で、社会や自分を図る物差しだった。
 そういう点においては、私は非常に正義感がなかった。間違っていることを嫌い、正しく在ることを望みながら、どこにも正解なんてないことにいつも苛立ちと焦燥を覚えていた。どこかに生き方の完全無欠な教科書があると思っていた。その通りに生きれば、それが”正しい生き方”で、”正しい生涯”を終えられる。
でもどうやら世間はそうではないらしい。
自分で自分なりの正義を見つけ、信じ、時に疑い、形を変えながら、生き抜かなければならない。それに気づいた時、耐え難い苦痛を感じた。

 では私が今何を自分の正義とし、それを信じているか。
それは自分が何を好きだと感じ、何を嫌だと感じるか。ただそれだけのことだった。
例えば、私は他人を喜ばせる事が好きだった。それは母や父が、私の成長を見て日々喜んでくれたからだった。母は私が幼稚園のお絵描き教室で描いた何枚もの絵を玄関に飾っていた。厚紙で額を自作して、季節によって飾る絵を変えられるようにしていた。
 私は、誰かが傷ついたり悲しんだりしていることがとても嫌いだった。それはなんでもない理由で陰口を叩かれたあの子が、泣いているのを見たからだ。とても苦しくて、暗くて、痛いあの気持ちを誰かに感じてほしくないと思った。
 誰かのためならば、強く生きられるような気がした。だから私はそれを自分の正義にした。

 そして、今でもともすれば忘れてしまいそうになるのだけれど、その誰かには自分自身を含める必要がある。私は私の信じるものを愛し、それを信じる自分自身を愛していく。何一つとして同じ正義なんてないから、この先も誰かとぶつかることはあるだろう。
 くだらない姉妹喧嘩を思い返す。私の「ごめんね」に「ごめんね」が返ってこないことはなかった。2人とも、正しくて、2人とも悪かった。仲直りした後の姉はいつもよりちょっとだけ優しかったような気がする。

 


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