姉妹喧嘩の仲裁はだいたい全部「どちらも悪い」で終わったけれど、「どちらも正しい」ではダメだったんだろうか。 「ごめんね」 どんなに相手が先に手を出しても、悪いような気がしても、必ず謝った。勿論自分の行いを振り返り、非を認めることは当たり前にできた方がいい。自分は悪くないと思い続けることで得られることは何もない。 ただ、私は。いい子に育った私は、純然とした悪意を前にしてさえあなたが悪いのではなく私も悪かったと思うようになった。 いじめられる方にも問題がある。 小学校低学年の時
春は始まりの季節で、ベタですけれど私はそれが好きなんですよ。桜も咲くし、シロツメクサもタンポポも。最近流行りのネモフィラもいいけれど、オオイヌノフグリが道端にいじらしく瑠璃色を添えているだけで幸せを感じます。花冠を編んで手を汚し、四葉のクローバーを探す。20有余年行きてもまだそういうことをしてしまいますね。 さぁ、今年も頑張るぞ…….と1ヶ月前までは意気込んでいたのですが、またまた転けてしまいました。やっぱり自分で想像のつくことは大体現実に起こらなくて、良いことも悪いこ
人間は好きですか? 私が最も好きな生物は、と問われたら”人間”だと答えられるかもしれない。 人間は面白い。私が狭いコミュニティに帰属する意味として、人間同士の交わりが面白いからだと書いたこともある。 こういうように痛みすらやや傍観的に、醜さすら愉悦的に愛してしまうようになるまでは人間も、自分自身も大嫌いだった。どうにも傷つけ合わずにはいられない、平和を願うほどに折り合いの付かなくなっていく社会。定義づけられない正義を貫くほどに誰かが悪になっていって、懲悪的に振るう暴力
何年か前までは、この電車に毎日乗っていた。 ぼんやり揺られていると音声案内が懐かしい名前を呼んだので、キャリーケースを引いて電車から降りる。穴の空いた小さな切符を改札に通して出ると、駅を囲むようにぐるりと店が立ち並んでいた。毎年訪れるたびに少しずつ変わってゆくけれど、見慣れた桜並木だけは無くなることがない。街灯につけられた桜祭りの小さい旗がゆるい春風にはためいて、白にほんのわずかに桃を混ぜた色のソメイヨシノが満開を迎えようとしていた。 昔からあるチェーンのクレープ屋に立
世界を何もかも、思い通りにする術を知っていた。 幼い頃、「好きな絵や本を枕の下に入れて寝るとその中の世界に行ける」というまことしやかに囁かれる言説を信じていた。 放課後にすることといえば、本を読むことくらいで毎日図書室で借りてきた3冊を一晩で読み切っていた。自室のベッドの上で寝転がりながら読むのが常で、その日読んだ中で一番お気に入りの一冊を枕の下に押し込む。そして閉じた瞼の裏でその世界にいる自分とストーリーを空想した。 その頃読んでいたのはファンタジーの児童書が
昔からベタな少女マンガにときめいたり、ラヴソングの切なさに泣いたりすることはしない。むしろ苦手な方だ。 でももしまた恋ができるのなら素敵な女性がいい。忘れられない、恋の話をしよう。 1人は、高校の部活の先輩だった。少年のように短い髪、直線的でキリリとした眉。整った目鼻立ちは女性のそれだったので、中性的な雰囲気を纏っていた。やはり少年のような言葉遣い、振る舞いをするが長く柔らかなまつ毛とか、校則を守った長いスカートは強さと共存しつつもどこか儚さを感じさせるところがあった。
Yahoo!知恵袋が人生の参考書だった。 親や友人に相談するより先にインターネットに聞いた。悩みを端的なキーワードにしてヒットさせ、似た状況の過去の質問・回答を何時間でも何件でも漁った。そうして様々な回答の中から最も自分の意思に沿うものを解決法として採用していた。 私がインターネットの海に飛び込んだのは、小学3年生頃のこと。家にあるノートパソコンで見つけたとある本好きの掲示板との出会いだった。一年以上眺めるだけの日々が続き、どうにもそこにいる人々と交流したくなった私は父
もしも私の死体を見たのなら。 きっとあなたには色んな私の姿が浮かぶだろう。幼い私、笑う私、涙する私、怒っている私、苦しんでいる私。無表情の私かもしれない。 ただ一つここに書いておくのは、私の周りにいたあなたたちが見た全ての私が、本当の私でないということだ。 私は道化が得意だった。本当と嘘を織り交ぜたとびきりの仮面、演劇。 本当の私は私しか知らない。あなたの知る私は、それも一種の私だとも言えるけれど、「本当の私」ではない。 あなたがそう捉えたのなら、それが「私」という人
苦しかった記憶は大体、学校の中だった。 茫洋とした眼差しで何時間も黒いアスファルトを眺めていたこと。わざと乗り過ごした駅のホームから見た青い海。遅刻した朝のやけに暑い陽と、ギラギラした街路樹の緑葉。自分の想いすら言葉にできずに、押し黙って泣いた保健室の白い部屋とか。 どれも忘れることができないし、忘れてなんかやらないと胸に刻んだ光景だった。 なぜなら、絶対この場所で復讐してやろうと誓っていたから。 「お前は教師に向いていない。お前には無理だ」 卒業する少し前、担任の男
「やりたいこととできることが全く違うんですよね……」 高校3年生になりたての私はそんなことを考えていたな、とふと思い出す。暖かい春風が肌を撫ぜる。最後の一年が始まろうとしていた頃だ。遥かに伸びる道の、見えぬ行先を見ようと目を凝らしながら、私は絶えず自分に問いかけていた。 私にできること。 中学2年生を過ぎた時点で自分が人より「できないことがある」人生であることに気づいていた。それは悲観ではなく、経験に基づいた自意識で、この先を生きていく上でも自分にとって受け入れなければ
幼い頃、両親と訪れた博物館でチャームを作るワークショップをやっていた。小瓶に色とりどりの砂を好きなだけ入れ、一番上に好きな鉱石を一つ選んでのせたら、コルクで栓をする。鉱石の名前の書かれたラベルを貼って、金具をつけたら完成。 おそらく博物館で地層や化石のフロアだったと記憶している。元より道端で綺麗な石を集める癖があった私にとって、石が様々な名前をつけて分類されているというだけで美しく、さらにそれを一欠片でも自分のものにできるというのだからこの上なく心を惹かれた。 仕上げには
中学・高校と活動量の多い体育会系部活動に所属していた。一年のうちまとまった休みなんて取らなくて、高校では正月もお盆も何もかも関係なく明け暮れていた。楽しいことも苦しいことも様々あったし、高校なんか総合評価するとマイナスになりそうだが、結局大学でも続けているくらいには物好きである。 中学校の部活を選んだのには、少なからず姉の影響があった。姉はいつも恰好の模倣対象だった。姉の足跡をなぞることは私にとって社会に適応するためのチューニングみたいなもので、物心つく前から殆ど本能的
そこはいくつかの小さなホールが入った総合施設のようなもので、何らかの演奏会やワークショップ、講演会などを開ける場所だった。やや古いけれどなめらかな曲線を描いた外観ときちんと磨かれた床や階段には人と人との交流の足跡が残っていて、文化的で社会的な場所であることが見てとれた。 私はというといつ買ったかも覚えないくたびれた白色のTシャツとジーパンという出で立ちで、スーツの群れに紛れていた。群れはとある一室に向かって並んでいて、立てかけられた看板には「就職説明会」の文字があった。や
「カササギと天の川の話がありますよね___」 「羊と鋼の森」の作中で主人公・外村は唐突にそう語り始める。七夕の夜、織姫と彦星が逢瀬するには天の川を渡る橋が必要だった。困る2人の前に現れた幾羽ものカササギは翼を広げ、2人を助けたという。外村はピアニストとピアノを繋ぐ調律という仕事を「カササギを1羽1羽集めてくるようなこと」と例えた。自らにできること、その意味や使命と向き合い外村がまた1歩進むのが印象的な場面だ。その例えも甘美なるものながら、私は夜空を舞うカササギを思い浮かべた
「そうやってさー、何にもないやつほど履歴書を飾りたがるんだよね。」 鋭い刃で心臓を抉られたような衝撃が走った。時間の流れが急に遅くなったかのような中で、私は熱くなる血液と鼓動を感じていた。反対に汗ばんだ手先は冷えていき机の下でひどく震えている。私は彼の目を見ながら言葉を探したが、途端に息も吸えなくなってしまったような気がした。 結局私は曖昧に笑ってみせた。真面目な顔で誤魔化してしまうほか、私にはどうすることもできなかった。外へ出る頃にはもう日が傾いていて、オレンジ色の光
レバーを下げると、流れ出す水と共に色とりどりの惣菜たちが巻き込まれていった。艶やかな赤色のプチトマト、硬めによく焼かれた卵焼き。口に入れれば、それはいつものようにだしと醤油の絶妙の味わいが口を満たすはずなのに。私は空のお弁当箱を手に、冷めた眼差しでそれらを見送った。キッチンに立つ母の姿がよぎり、頭を抱えたくなる。心の底にじわじわと滲みてくる罪悪感には触れないようにしなければならなかった。そうしなければもう、私は崩れて動けなくなってしまいそうで。 あれは高校2年生のときの出