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「国境の南、太陽の西」を読み返して

ヒプノセラピーを受けて元カレのことをたくさん思い出した。

村上春樹の小説読み始めたのは元カレが好きな作家だったから。

元カレのことをもっともっと知りたくて私も読み始めたらいつの間にか村上春樹にハマってた。

ってそれもう30年以上も昔の話。

そして村上春樹は元カレと別れたあとも読み続けていた。

「ノルウェーの森」読んで感動して、しばらくこの小説が私のバイブルだった時もあった。

そのあとこの「国境の南、太陽の西」を読んだのが村上作品の最後かもしれない。

当時も小説のタイトルに惹かれて買った本で、タイトルからはメキシコを連想して読んだけどどんな内容だったのかさっぱり覚えてない。果たしてメキシコが出てきたのかも覚えてなかった。

そして、昨年秋に映画「ドライブ・マイ・カー」を観てから村上春樹の小説をまた読んでみたくなり、何故かその時は「スプートニクの恋人」を読んだのだ。

久しぶりの村上春樹の世界は性的な描写がこれでもかってくらいでてきて、この小説初めてだったけどなんだか懐かしくなった。

と、

そんな前置きはよしとして

「国境の南、太陽の西」

30年以上経って読み返してみたら、この1年間私のアタマの中にあったモヤモヤが凝縮されていました。

主人公のハジメは

イズミと付き合っていながら彼女の従姉に本能的に惹かれ肉体関係を持ってしまうような最低最悪の男。発情してそれが冷めたらもう終わり、みたいにたぶん2〜3ヶ月でその関係は終わったのだ。そのイズミの従姉は36歳で亡くなったと。それをわざわざ知らせてくるってことは、死の原因がハジメにあるってことなのか?もしくはまだハジメを恨んでいる。

妻となったユキコにとっては善き夫で娘たちにとってはとても善きパパさんで経営の才能もある。

そんな善き夫でも妻が妊娠中に浮気をしていたとさらっと書いてあったような。

この場合は相手は誰でもよかったわけだから浮気じゃなくて単なる排泄行為のために女性を利用したってことだよね。  

それって妻としてはいちばんやって欲しくないことだと思うんだけど。(私だけかな?)

そのうえ、初恋の島本さんのことを忘れられずカラダの関係を持ってしまい、愛する家族を捨てようとした。

本当にとんでもない男

でも

島本さんはそんなハジメのことを忘れられずにいたんだ。

女性をゴミのように捨てる男。その女性にとっては最低最悪の男だけど、別の人からしたら親友だったり最愛の夫だったりパパだったり、忘れられない初恋の人だったりするってこと。

まるでハジメが今まで私がnoteに何度も何度も書いていた私を捨てた男、シロと重なった。 

四国でシロの友だちだったケシに36年ぶりに再会してどんだけシロが私にひどいことをしたのか話しても

「そういう一面もあったってこと。俺にとってはいいヤツだった。」

とあのひどい男のことを否定しなかった。

でもこの小説で納得できた。

ハジメのような人でも動物のように発情して愛のないセックスするんだな。

なんだかなぁ。

結局
ひとりの人間
いろいろな側面を持っているんだってことだよね。

この小説を読んだことで、モヤモヤしていたことがスッキリした。

というより20歳前後は動物的に発情するのは仕方ないことなのかもしれない。私はその餌食になってしまっただけなんだな。悲しいけどそれで大切な人を手放してしまったんだ。

ってこと。

愛と憎は紙一重

肉体と精神はひとつでありながら別もの

愛のないセックスなんてどこにでも存在しているってことだよね。

世の中きれいなことだけじゃないんだよね。 

肉体を重ねると嫉妬心が生まれる。

村上春樹さんの小説が愛される理由がわかった。ここまで本音で書けるって逆に素晴らしい。

この小説
しばらく
私のバイブルとなりそうです。

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