今日生きているのだから
今日は職場で初めて会った人とあっという間に打ち解けてることができて、映画やアイドルの話なんかしてみんなでキャーキャー言いながらご飯を食べて楽しかった。次会ったときはその人が特に好きな作品について聞いてみたいな。
仕事も思ったより進んだし、素敵な1日だった。
78年前…
祖父は数学が得意で敵国のミサイルを迎撃して落とす役割を担っていた。そして8月18日、特攻隊として飛ぶ予定だった。
戦争の話は全くしない人。でも「国のために飛ぶことこそが誇りだと思っていた」と言っていた。ともに戦果を走り回り、寺に逃げ込んだ7人の兄弟は、5人死んだ。
8月15日に終戦の知らせを聞いて、「生きたことが恥だった」と言っていた。その後、様々な仕事をしていくつかの会社を立ち上げた祖父。がんを患ったが、大往生で亡くなった。
YouTubeで黒柳徹子さんの「徹子の気まぐれTV」で毎年8月になると、徹子さんがご自身の戦争体験についてお話しする動画をアップしています。
そのなかで防空壕の話があって、ふと祖父のことを思い出した。
祖父母の家には2つの防空壕があった。
私が子供の頃、無口な祖父が「これは防空壕に作ったんだよ。防空壕なんてわからんだろう?もういらないから堆肥作るのに使ってんの。あっちの穴は金魚にやったんだ。」と言っていた。
ひとつは堆肥を作るコンポスト、もうひとつは金魚の池になった防空壕。戦後だいぶ経ってから買った土地と建てた家なのに、祖父は防空壕を作っていたのだ。なぜそうしたのか、今は聞くことができない。
戦争は本当にたくさんの人に「一生消えない傷」をつけて、背負わせる。
戦争は絶対だめだ。
絶対にはじめちゃいけないし、
早く終わらせなくちゃいけない。
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