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連鎖

3月も半分が終わります。そして来たる新年度。そしてぼーっとしていたら寿命が来るのである。


Agenda 1.


コネありますよとアピールすることでしかマウントを取れないやつは本当に一回死んだ方が良いと思う。それをやっても良いのは中学生までです。

なんでコネアピールが嫌いなのかを深掘りすると、多分小学生くらいの時まで遡れる気がする。小5-6ではライトにいじめられていて、人間関係が上手く築けなくて、自然とそういうコネなんていらねえよって思うようになったのがきっかけかも。

海外から帰国し小5で転入した小学校のクラスでは、大人顔負けのヒエラルキーがありました。字が綺麗・走るの速い・かわいい服を着ている・運動神経良い・成績はまあまあ・ハキハキ話す、という小学生誰もが憧れる要素を併せ持った女子2人が頂点にいて、取り巻き1群、取り巻き2群、クラスの端っこ、の大きく分けて4段階くらいあったと思う。
私は最初は誰とでも仲良くなれるだろと思ったのと、ヒエラルキーがあるなんて知らなかったので「みんなで遊ぼ~!」ってやってたら自然と無視されるようになり1ヶ月も経たないうちに話しかけてくれる人が一人もいなくなった。まあ、海外帰りポッと出の意味分からない人なんて、がちがちのジャパニーズヒエラルキー社会の小学生からしたら目の敵だよね。私からは誰にも話しかけられなくて、20分だか15分だかの昼休みもずっと教室の端っこで時間が経つのをじっと待っていた。しばらくするとまた別のクラスの端っこの子が声をかけてくれて、その子とだけは仲良くなれた。

小6くらいから仲良くしてくれる子が複数人できて、一緒に委員会をやったり部活をやったりするようになって、Outgoingな自分を取り戻せた。かなりライトないじめだったけど、そんな中班活動のリーダーやったり放送委員でお昼の放送のMCやったり全校集会のMCやったり色々立候補したりマラソン大会出たり、思い返すとめげずによくやったと思う。良い思い出もあるもんだねえ。

あとで話を聞くと、取り巻き1群2群の人はかなり大変だったらしい。私の知らないところではぶられたり、いじめられたり、無視されたりしていたんだって。ヒエラルキーに固執している人たちはリーダーから見捨てられたらそれは属すコミュニティがなくなることを意味する。ヒエラルキーから(ありがたいことに)外されて教室の隅にいた私達は、私達で世界を作って生きていて、好きな本を貸し借りし、交換ノートを書き、ヒエラルキーなんてないおちゃらけ男子たちとくだらない話をしたり、恋バナをしたりして人生を楽しんでいた。

そんなこんなで、リーダーに媚びを売らなくても人は生きていけるということを小5にして悟ったので、今会社員をやる身としてもそう考えるようになったのかもしれない。

中高の部活でもそうだったな。そこでもヒエラルキーは存在していて、一番仲良かった子と私はおそらく(ありがたいことに)ヒエラルキーの一番下にいた。ピラミッドの上にいた子は本当に怖かったけど、部活の技術を磨きに磨いて、技術面でトップに這い上がったことでなんとか居場所を見つけていた。このときはなんだかんだヒエラルキーに固執していた自分がいて、悩んでいた時期が長かったが、今では和解してありがたいことに当時トップ群にいた子とも仲良くしていただいています。

コネと言っても「共通の友達で○○いるよね!」「え~そことそこ友達なんだ!」とかは面白いので良い。
ただ、私の知らない偉い人の人事異動の話を永遠に聞かされる等は本当に興味が無いのでやめてほしい。

まあ、人には人の価値観なので、そんなのほっとけば良いんだけどね。でも社内チャットで一方的に語られたりするからかなりめんどくさい。絡んでくるな!

今度、「ごめん知らないおじさんの人事異動の話興味ないからやめてくれる?」って言おうかな。


Agenda 2.


怒るときって涙でてくるよね。怒り慣れてないからかな。ほんと惨めだと思う。

人との喧嘩もとっても苦手。自分の理論が通らなかったり、相手が自分の非を認めなかったりする時は、理詰めするのをやめて如何に相手を傷付けるかにシフトしてしまって、最悪な自分になってしまう。普段なら絶対相手に言わないことを言ったり、喧嘩が上手く収束しようとしているタイミングであえて最悪な嫌みを言ったりして相手を怒らせたりした。

喧嘩って、LINEとか電話とかでしちゃだめだと思う。ちゃんと相手の目を見て(見れなくても、同じ空間にいて、相手のPresenceを感じながら)喧嘩するべきだと思う。

これは反省文です。

Agenda 3.


最近特に仲良くしてくれる人ができて、その人とは末永く仲良くしたいと考えているが、いつか傷付けてしまいそうで、そのいつ訪れるか分からない未来について考えて不安になって泣きそうになっている。

距離が近くなりすぎたときに、相手のことをあえて傷付けたくなったり、試したくなったり、察してちゃん/構ってちゃんになったり、メンヘラ気質がぐわっと上昇してくるの、なんでだろうね。

それをぐっとこらえてご機嫌な私でいるように、特に夜の時間帯は努力している(つもり)。

突然だけど、創作意欲って、嫌いな人と接したときと、恋愛してるときと、メンヘラになっているときに湧いてくるものだと思っている。いまはその一つ目と三つ目ですね。最悪なことに。

信頼している同期が昔、「恋人に全てを話す必要は無い。ネガティブなことや愚痴はいったん恋人以外に相談して解決/スッキリさせる。愚痴ばっかりの毎日だと相手も嫌な気持ちになって負の連鎖になる」と言っていて、目から鱗だった。

恋人って、全てを共有すべき対象だと思っていたけど、そうである必要はないんだと気付いた。

ネガティブ感情をどこかに放出したくなったときに、まず恋人の顔が思い浮かぶが、それをいったんどこかにやって、本当に適切な場所(事情を知っている友達や同期、SNS、noteなど)にいったんぐわっと放出するのが良いのかと思った。何でも共有したがりな私にとってはかなり難しいが、感情に任せて話す場所を間に挟むことで、ある程度冷静な気持ちで恋人にその愚痴を話せるので、良い効果が期待できるだろう。


まだ気が済まないが、いったん書きたいことは書けたので、本日はこれまで。
それでは。

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