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依存

依存って一人が勝手にするもんじゃないんだとよ。

どんな人間関係であれ、人は一方的に他者に依存しているように見えたとしても、本当はお互い依存しているのが実状なんだって。

例えば恋人にかなり重く依存している人がいたとする。その人無しじゃ生きてけない!別れたくない!ってなっている。それに対して、その人の恋人はアッケラカンとしていて、別に依存をしている様子はない。でも、付き合っているのであれば、別れる理由がないのであれば、依存していないように見えてもお互い依存しあっている状態のである。

その人がいなければ生きてけなくても、その人を失ったら代替品が必要になる。例えば、褒めてくれる人、何でも話せる人、趣味を一緒に楽しんでくれる人、一緒に暮らしてくれる人、体の関係を持ってくれる人など、恋人が役割を受け持っていたものがいったん無くなるので、それを友達なり家族なり知り合いなりで埋めていく必要がある。

そう考えると、依存っていうとめちゃめちゃ重い症状かと思うけど、ライトな依存は沢山しているんだよな。

昔付き合ってた人にはかなり依存してしまって、関係性がそれでかなり悪くなってしまったことがある。その経験があるから、今はどんな人間関係でも依存しすぎないようにしないと、と日々気をつけている。

でも、完全に、何に対しても依存していない状態なんてできないんですよ。なので、健全な関係性とは、健全な依存関係を目指すことなのかと思う。

相手をむやみやたらに信用しすぎない。期待しすぎない。でも、ほんのちょっとは期待する。一線を越えないように自分でラインを設ける。などなど。

でも、自分だけでそれを目指しているのでは、健全な関係は達成できない。なんでかというと、人間関係はお互いの歩み寄りがないと成り立たないため!そして、人間関係でどっちかが完全な悪でどちらかが完全な善であることは全くないため!これを理解していない人の多さよ。

健全な関係を目指すためには、お互いが思っていることを(納得まではいかなくても)理解して、相手の靴を履いて物事を見て、歩み寄る必要がある。

だから、言語化って大事なんだと思う。

察してよ!わかってよ!って思うことの大半って、言語化してないからそりゃそう思うよねってことばっかりな気がする。私も前までこのタイプだったけど、相手を変えることはできないから、ちゃんとやってほしいことは言語化していこうと決意している。でもたまに、え、なんでこうなるんや………みたいなことも発生するから、そういう時は私の言語化能力が悪かったんやな!って思うようにしている(し、もっとそうしていきたい)。

自分でもまだまだここらへんは上手くいっていないので、頑張りたい。


眠くなってきたので本日は以上です。
それでは。

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