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引退に寄せて 浦和サポが長谷部誠選手の思い出を綴る

 先日、長らくサッカー日本代表をけん引してきた長谷部誠が引退を表明した。浦和サポーターの私にとっては、長谷部はクラブの黄金期とともに代表へ、ドイツへ羽ばたいていった思い出の選手。
 ついに来てしまったという残念な気持ちと、お疲れさまでしたという気持ちが入り混じっているが、ここで彼のキャリアの思い出を書いておきたい。

浦和時代の記憶

 『心を整える』がベストセラーになり、冷静に的確にチームをまとめ上げる頼もしいリーダー。それが長谷部のイメージとして定着している。
 しかし、デビュー当時から知る浦和サポが皆口を揃えるように、若い頃の印象は違っていた。自ら積極的にドリブルを仕掛け、負けん気を前面に押し出す、そんなプレースタイルだった。髪色が明るかった時期もあってイケイケだったし、その熱さから警告を受けることも少なくはなかったのだ。
 当時の浦和レッズにあって、若手ながらも気迫を前面に出してめきめきと存在感を増していく長谷部は、2003年の初タイトルから急速に力を付けていくクラブの旗手といってよかった。

 何を隠そう、当時小学生だった私も長谷部に魅了されたサポーターのひとり。
 浦和サポのあいだで、長谷部といえば……と語り継がれるゴールがある。2004年、埼玉スタジアムでのジュビロ磐田戦。2-0から追いつかれる打ち合いの中、後半ロスタイムに50メートルを独走してゴールをねじ込んだプレーだ。雨の降るスタンドでこのゴールを観ていた私は大興奮だった。

 初めて買ってもらったレッズのレプリカユニフォームは長谷部だったし、代表入りしたころには「ウイニングイレブン」で長谷部を日本代表の背番号10にしていた。彼が日本代表の中心になることを幼いながらに信じて疑わなかったのだ。

 初のJリーグ、ACL優勝を中心選手として成し遂げた長谷部のドイツ移籍が決まったとき、浦和サポはきっとみんなが感謝し、その前途を祝福していたはずだ。

捨てずに保管していた懐かしい赤いユニのトレカ……

ブンデスリーガ挑戦、日本代表のキャプテンへ

 浦和から移籍したヴォルフスブルクではブンデスリーガ優勝を果たしたものの(エディン・ジェコとグラフィッチが点を取りまくったというのを覚えている。)、選手個人としては順風満帆ではなかった。
 ただ、当時は今ほど情報が簡単に入らなかった時代、本職ではないポジションでも使われサイドバックが主戦場になったり、移籍でもめて構想外になったりという情報を知って、あの長谷部がなぜ…マガトめ!などとひそかに悔しく感じていた。

 しかしその間にも、長谷部は日本代表のキャプテンを任されるまでになっていた。代表クラスが揃う浦和でもまれたこと、そして決して思い通りにいかないクラブでの経験が徐々に「心を整える」長谷部を作っていったのだと思う。
 香川真司、内田篤人、本田圭佑、長友佑都……多士済々の日本代表でチームを献身的に支える姿は、浦和時代に私が思い描いていた姿と少し違うけれど、間違いなく「代表の中心」になっていた。ロシアワールドカップのポーランド戦において、決勝トーナメント進出のために批判を覚悟で「ボール回し」をチームに徹底させた際も堂々としていた。そして、遠藤保仁とのダブルボランチは日本サッカー史に残る名コンビだろう。

フランクフルトの「カイザー」に

 長谷部はニュルンベルクを経てフランクフルトへ移籍。結局引退までドイツ・ブンデスリーガで過ごすことになった。
 古巣の浦和は長谷部の移籍以来リーグタイトルから遠ざかっていたのもあって、多くのサポーターがいずれ浦和に凱旋してくれることを望んでいたが。私自身も、真のリーダーとしてクラブをまとめてくれる姿を期待したのだが、結果的にはフランクフルト移籍は大成功だっただろう。

 センターバックを任されるようになったのは驚いたが、見事に適応してみせたのはさすがである。かつて和製カカなどと呼ばれ、推進力が持ち味だったあの長谷部がリベロとして最後方からチームを支えるようになった姿は全く予想もできなかったが、しみじみと感慨深いものがある。

 気づけば長谷部はドイツで偉大な足跡を残した。ブンデスリーガ、DFBポカール、そしてヨーロッパリーグ優勝。
 個人としては、フランクフルトでの最年長出場、外国籍選手としての最多出場。そして、ブンデスリーガでの外国籍選手としての歴代3位の出場数だという。上にいるのが、言わずと知れた世界最高峰のストライカー・ロベルト・レヴァンドフスキと、バイエルン、ブレーメンで長らく活躍したペルーの英雄・クラウディオ・ピサーロであることからも、その偉大さがわかる。

 一昨年の11月、フランクフルトが浦和レッズとの親善試合を行った。
 シーズン途中、またワールドカップを控えた時期ということもあり、フランクフルトの主力はほぼ出ない、試合としては正直面白みのないものだったが、友人に誘われて私はこれを観にいっていた。(当の友人は、こんなに高いのに鎌田はどこだ?としきりに不満を述べていた。)
 この試合で、長谷部が実に久しぶりに浦和サポの前で埼スタのピッチに立った。ケガを抱えており出場も危ぶまれたが、フランクフルトのキャプテンとして15分ほど姿を見せてくれた。そこでもう、彼は浦和レッズの長谷部誠ではなく、フランクフルトの「カイザー」マコト・ハセベであることを、今さらながらに実感したのだった。



 引退したあとも、彼はフランクフルトのスタッフとしてクラブに残るといわれている。これ自体もそうなのだが、このままもし5大リーグ初の日本人監督にでもなったらとんでもない偉業だ。
 すっかり浦和サポの手の届かないほど大きくなってしまった長谷部のセカンドキャリアにも、大いに期待したい。願わくはいずれ、指導者として浦和レッズに、そして日本サッカー界の発展に寄与してくれることを。

 長らくの現役生活お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

(文中敬称略。)

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