『火ーー氾濫』

例えば、目の前の光景が自分とは全く別のシステムで動いていると思い直す時、少しの恐ろしさを感じないだろうか。
東京国立近代美術館で開催された写真家・中平卓馬の『火——氾濫』展の途中、写真に写る事物(もの)たちはその場から「蠢こう」とした。顕著に感じたのは、中平が奄美大島にて撮った作品だ。打ち寄せる波や鮮やかな木々は、映像のように「動く」見慣れたものではなく、見つめるこちらへと向かう意志を持ち、今にも「蠢き出しそう」に微細なふるえを湛えていると感じた。
そこでは確かに、事物が、写真というひとつの媒体から暴れ出ようとしていた。

中平卓馬は1938年生まれ。1960年代末から70年代半ばにかけて、実作と理論の両面において精力的に制作した。1960年代末雑誌『PROVOKE』の発行、1973年には評論集『なぜ、植物図鑑か』で自身の作品への批判からはじまる作品の指針について切り込んだ。今回の展示は約20年ぶりの回顧展だという。

さて、ここで出てきた評論集『なぜ、植物図鑑か』(1973年)について触れておきたい。その中で、中平は自身の初期作品についてこのように述べている。

「みずからの写真をふり返ってみて、なぜ私はほとんど『夜』あるいは『薄暮』『薄明』をしか撮らなかったのか。またなぜカラー写真ではなく、モノクロームの写真しか撮らなかったのか。さらになぜ粒子の荒れ、あるいは意図的なブレなどを私は好んで用いてきたのか? それは単に技術的な問題にすぎなかったのか。むろんそれもあったろう。だがそれを超えて、さらに深くそれは私と世界とのかかわりそのものに由来していたと言えるのではないか。結論を先に言ってしまえば、それは対象とわたしとの間をあいまいにし、私のイメージに従って世界を型どろうとする、私による世界の所有を強引に敢行しようとしていたように思えるのだ。」(『中平卓馬の写真論』(《リキエスタ》の会)より「なぜ、植物図鑑か」p.21-22)

ここで使われる「イメージ」というワードは、中平の論のなかで、近代以降の芸術に見られる「作家があらかじめ持つ、世界はこうであるという像の世界への逆投影」だという。中平はこのワードを「詩」または「ポエジー」とも言い換える(この点については、詩を書く人間からすると、議論の余地があるかもしれない。)。そして、個々人の持つ「イメージ」によって世界を所有しようとしないことに自身の作品の転換点としての焦点を当てる。
そのような意見を知った後にあらためて展覧会を眺めてみると、中平の初期モノクロ写真にはある特徴が見えてくる。それは模様的であり、コントラストの美が劇的であるということだ。明暗のコントラストが眼を驚かせ、美しいと感じるのは、おそらく写真という技術が芸術的文脈で使用されてから生じてきた「人間的な」美的感覚の枠組みの歴史がそうさせるのだ。ここで、先ほどの「イメージ」は「枠組み」と言い換えることが出来よう。

その後の中平は、モノクロや夜への縛りを捨て、カラー写真を撮るようになっていく。

「白昼、事物はあるがままの事物として存在する。赤裸々に、その線、形、質量、だがわれわれの視線はその外辺をなぞることしかできはしない。それはまぎれもなくわれわれに苦痛を与える。なぜなら、われわれはそれに名辞を与え、そのことによってそれを所有しようと願う。だが事物はそれを斥け、斥けることによって事物であるからだ。」(p.24)

また、この文の直前に中平はル・クレジオの『物質的恍惚』(豊崎光一訳)から、

「昼の不安はたぶん夜のそれよりもいっそう恐怖を与えるものである。(……以下略)われわれは現実というものの厳しさ、残忍さ、容赦ない暴力に直面しているのだ。(……以下略)あまりにもよく見えるものは、見えないものよりもいっそう敵意を含んでいる」

と引用している。
「事物(もの)が事物として存在する」とはどういうことか。
2020年代に生きるわれわれにとっては、オブジェクト指向存在論を思い浮かべる人もいるかもしれない。「モノ」の世界についてだ。人間が知覚出来、人間との影響をし合わない「モノ」たちの世界。
一見不可思議にも見える中平の論は、展示を観ると腑に落ちる部分あった。会場を進んでいき、冒頭に書いた奄美大島のカラー写真の前に立った時、わたしはそう感じた。いや、納得より先に来たのはやはり恐れだった。波が、木々が、わたしの力の及ばないシステムで動いている。もしかしたら、海にひとりで行きたがる人が時々いるのは、そうした力の巨きさを無意識に感じ取りたいためではないか、とさえ思った。けれども、海は人間に大いに関係することもある。それは津波であったり、海運事故であったりする。写真で切り取られた部分は、人間に所有されるための、昇華された「美の枠組み」ではなく、フレームの外の世界に広く広く続いているのだ。「世界」は「わたし」を斥けている。
事物が、より事物のその特性を、われわれが普段気づかない側面を映し出すのはどういう時か、中平は探求したのだと思う。


今回の展示は、その方法にも特徴があった。「植物図鑑」と言う通り、展示の一部はさまざまな写真がランダムに並列に飾られ、中平も強調する「図鑑」や「カタログ」のようになっている。時にグロテスクとも言えるほど明瞭に映し出された事物の「部分」であり、一貫性を排した「場面」の氾濫だ。
もうひとつ、感じた特徴があるとすれば、事物の質感だろうか。羽、雨、布、木、毛並み、錆……、特に他人の服を撮影した写真では、重ね着をした服それぞれの毛羽立ちやふわりとした触感が、どれも互いのバランスなど関係がないかのように強く主張しながら眼に届いた。

先ほど、ル・クレジオから引いて、「敵意」ということばが出てきた。
中平は、論の中で事物の擬人化を撥ねつける一方、「事物の眼差し」という表現を使う。ここにわたしは僅かな矛盾をおぼえたが、展示全体を観てみると、そのことばは、実作者としての中平の感覚、経験こそが選ばせたのだろうという結論に達した。事物をひたすらに眼差し続けた人間だからこそ分かる、対象からの力、人間には対処できない、「眼差される」感覚。


ここまでの駆け足な評も、『なぜ、植物図鑑か』を読んだために中平の理論に一層沿って鑑賞しているように見えるかもしれない。しかし、理論はそれが実作者本人から発されたものにしろそうでないにしろ、常に実践を追うものであるのだろう。そしてあらたな実践は、おそらく言語化された理論をもとに進んでいく。やや急カーブ的な部分はあれ、中平の写真論は自身の実践をこれ以上ないほど厳密なことばでまとめあげている。道をアウトしそうなぎりぎりの所でまた戻ってくるスリリングさは、常に挑戦し続けた制作者の姿をくっきりと映し出す。

(『中平卓馬 火——氾濫』展は、竹橋の東京国立近代美術館で明日4/7(日)まで。)

蛇子

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