『夜を走る』感想(ネタバレあり)

『夜を走る』を観た。
スクラップ工場で働くうだつの上がらない独身中年社員・秋本とその後輩・谷口がふとした切欠で罪を背負ってしまい…、というあらすじを読んだ時は、ミステリーかサスペンスかはたまたサイコスリラーかと思いながら観たのだが、そのどれとも言いがたい不思議な感触の映画だった。

主演の足立智充は、なんと私の小学生時代のクラスメイトだ。
幼馴染が主演男優賞を取ったと地元の同級生から伝え聞き、初めてこの映画のことを知った。
いつか観ようと思いながらなかなか観られずにいたが、ようやく観ることができたので感想を記しておく。

小学生当時の智充くんの印象は、特別目立つ存在ではないけれど笑顔が素敵な子という印象で、俳優になったと聞いた時はとても驚いた。
作中では、ひたすら頭が低く真面目な「良い人」であり、恋人いない歴40年という秋本を演じている。
持ち前の素敵な笑顔は記憶のままだった。(もっとも、演出もあいまって単なる「良い人」の笑顔とは違う、少々凄みを帯びた笑顔であったが。)
一方の谷口は、生真面目で不器用な秋本とは好対照な世渡り上手である。
幼い娘が居るものの、夫婦関係は既に冷え切っており、ワーキングマザーである妻も谷口自身も不倫をしている。というように、現代社会の歪な家庭像を象徴するキャラクターとして描かれている。
対象的な二人の間に紆余曲折を通して友情が芽生えるのだろうと思いきや、二人の接点は基本的に「事件」に関与したという点だけだ。

※以降ネタバレあり
公式サイトの作品情報を読むと「悪が悪を生み、嘘に嘘が重なり、弱い者たちが更に弱いものを叩く。この無情の世界をどう生きたらいいのか」とある。
『夜を走る』の主題はまさにそれなのだと思う。誰もが単純な「悪人」ではなく、他の誰かに支配(もしくは搾取)されている構造になっている。
パワハラ上司と秋本の関係、谷口と妻との関係、秋本と理沙、そして谷口との関係も然りだ。
罪を犯した秋本が新興宗教のようなセミナーに行き着くのもその流れだ。 
この自己啓発セミナーの雰囲気の再現度の高さと秋本の奇妙な踊りが一番の見所かと思う。(踊りの部分はまさに怪演と言うべきシーンで、俳優はよく頑張った!と思った。足立智充のファンならば、あの演技をみるためだけでも観るべきだ。)
自己啓発セミナーの仲間に受け入れられた秋本は、まず己の中の怒りを表現することを学ぶ。
セミナーの主催者は「あなたがたのような良い人は成功者に虐げられている、悪いのは社会だ」と語る。
セミナーを通じて得体のしれないポジティブ思考を身に着けた秋本は、転げ落ちるように刹那的な行動を取り始める。しかし、秋本としては変わったのは自分ではなく周りだという。
そういった意識変容の描き方や、セミナー内で「真の弱者」決定戦が起こる様子は「いかにもありそう」で上手いと感じた。
セミナーの主催者は実のところ傀儡であり、真に団体を支配しているのは主催者の(恐らく)愛人であるのも支配と搾取の描写だろう。
この世は無情の摂理で成り立っていると思わされる。

作中の「事件」は物語の核心部分だが、真相は曖昧にぼかされ、最後まで明かされないままでで終わる。
事件に関係したとはいえ、無実を主張すれば面倒事に巻き込まれずに済むはずの◯◯が何故わざわざ事を隠蔽させる方向に手助けしたのか?という疑問を覚えながら終盤まで見続けたが、警察の取り調べに答える谷口の回想シーンとその後の妻との会話から察するに、理沙を殺したのは恐らく◯◯なのだろう。そこが僅かにミステリーと言えるかもしれない。

ラストシーンで秋本が自分の求める理想の家族像と感じて涙を浮かべた谷口の家庭は、嘘に嘘を塗り固めた上に成り立っているのが何とも皮肉だ。

以上、『夜を走る』の感想でした。

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