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スナイダーカットでの「選択」に関する言葉に注目してみる

スナイダーカットでは全てのメインキャラクターで繰り返し「選択」に関する会話が出てくる。クリス・テリオによる脚本がカノン進行の音楽のように何度もくり返すフレーズ(台詞)をこのテーマに沿って集めたので考察する。そこから、なぜこの作品がここまで高揚感があるのか見えてきた。

= ⚠️ スナイダーカットのネタバレを含むのでご注意ください ⚠️ =

▼ワンダーウーマン:

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あなたはなりたいものの何にだってなれるわ。

最初にこのテーマが出てくるのはワンダーウーマンだが、ジャスティスリーグのメインキャラクターの中で彼女だけは成熟した大人(そりゃあ何千年も生きていればね。笑)なので、彼女は『選択済み』の立場である。代わりに彼女はテロリストから命を救ったものの即座に立ち上がれなかった少女に対して「大丈夫?プリンセス?」と優しい言葉をかける。「将来、私もあなたのようになれる?」と真っ直ぐに質問する少女に、ダイアナは真っ直ぐ見つめ返して、人間には誰しもが選択の自由を持っていることを説く。

この助けてもらった少女は観客であり、助けたワンダーウーマンは物語の作者の象徴でもある。つまり観客はこのシーンを見て、この映画のテーマを知ることになるのだ。本作スナイダーカット(以下「ZSJL」と記載)は「スーパーマンの死」と「アクアマンの拒否」というネガティブな話題から始まるが、ここでダイアナが示しているのはポジティブな希望であり可能性である。

▼サイボーグ:

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何をするかではなく、何を「しない」のかを選択することで、お前という存在が形作られる。

次にこのテーマが出てくるのはサイボーグだ。彼の場合は父親(のテープレコーダー)が師となり選択の意味を説く。ネットワークに繋がれたあらゆるコンピューターに自由に接続できてしまう彼は、まさしく『デジタル時代の全知全能の神』と呼ぶにふさわしい。そんなヴィクターのあらゆる可能性に開かれた能力に対して、その中でいかに人として外れた道を選択しないことが大切なのかを伝えている。

▼フラッシュ:

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お前はお前がなりたいものの何にだってなれるんだ。

続けて描かれるのはフラッシュだ。彼に選択を促すのもやはり父親である。無実の罪とはいえ刑務所に収監された父親。「そんな父親の不幸からは解放されて、息子が自由に人生を選択できることが正義なのだ」とバリーの父親は息子を説得し、もう面会には来ないでくれとまで言ってしまう。

ここでバリーの父が放つ言葉はほぼダイアナの言葉と一致することに着目したい。明らかに作者(クリス・テリオとザック・スナイダー)はリフレイン効果を狙ってこの言葉を選んでいる。映画のテーマはいよいよ明白になった。

本作ZSJLでバリーがどのようにして能力を得たのか不明である。ただし、おそらく幼少期にはまだその能力はなく、妻殺しの疑い(映画の中では言及していないが原作コミックではそういう設定になっている)で父親が逮捕されたときは、学校でいじめられたり、就職が難しくなったり、さらには能力のせいで孤独な生活を強いられるという事情があったのだろう。だからこそ物語の最後で「友人(おそらくブルース・ウェイン)のおかげ」で警察の鑑識に就職できたことや、それを聞いて心から喜ぶバリーの父親の表情が胸を打つのだ。

▼アクアマン:

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母君の槍を取れ!

あなたは親愛なるアトラナ女王の第一御子息なのよ。

アクアマンは本作ZSJLの前半では「選択を逃げ続けてきた男」として描かれる。まずブルースからのリーグへの勧誘を逃げるように断る。次に海中でヴァルコには母親の槍を継ぐことを迫られ、メラからはアーサーが先代君主の第一子であることを強調される。二人はともにアーサーがアトランティスを王として治めるべきだと主張するのだが、アーサーはまたもや両者から逃げるようにその場を去る。

しかし映画が後半になると、彼がこれまで選択を放棄し続けてモラトリアムを送ってきた理由が明らかになってくる。アーサーはずっと父親と向き合うことから逃げていたのだ。地上人にも海底人にもなれないアーサーは父親にも母親にも会わせる顔がない。それでもアーサーが父親に会うべきだと考えを改めるきっかけになったのは、ヴィクターの父親の死であった。そんなアーサーを見て、彼は豪胆ながらも父親を想う気持ちは自分と同じであるとバリーは気づく。

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この一連の流れはアーサー、ヴィクター、バリーそれぞれとの父親との関係性の変化がオーバーラップして交差する映画的な技法に溢れた展開である。モモアとフィッシャーの演技も良いが、ミラーが見せる慈愛の表情が素晴らしいと私は思う。

スーパーマンを蘇生した直後に半ば代償とも巻き添えとも取れるような形で父親を亡くしているのにもかかわらず、世界を守るために気丈に戦い続けるヴィクターを見て、アーサーの心は揺れ動く。そして彼は物語の最後に父親に向き合うことを決めた。彼がここから過去をどう精算して、どんな選択をするのかは単独作品にバトンタッチされた形だ。

なお映画の最後にトラックの荷台で移動していたアーサーは、続編となる予定だった2018年公開の『アクアマン』ではいつの間にか移動手段を水中遊泳に変更しており、いきなり父親とハグして酒をガブガブ飲み交わしている。これはアクアマンが撮影されたのは2017年8月以降で、これはスナイダーが降板した後でトラックのシーンも劇場版では削除されたので、おそらくドラマ部分が明るく楽しいテイストに路線変更されたのだと推測される。

▼スーパーマン:

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いつかお前は(地球人になるかヒーローになるかの)選択を迫られる。

その時お前は世界にお前の選択を示すのだ。

死から蘇ったクラークに導きを与えるのは彼の二人の父親である。本作ZSJLでクラークは、先ずはリーグのおかげで生命を取り戻し、次にロイスのおかげで記憶と人格を取り戻した。そして彼が人生の選択をするときに思い出すのもまた父の教えだった。台詞の中で「選択」という単語が出てきたのは地球人のジョナサン・ケントだったが、クリプトン星のジョー・エルも言わんとしていることは同じである。

なお私はスナイダーカットを視聴するにあたり、過去作の視聴は絶対に必要とまでは言わない(ネットなどあらすじを知る方法はいくらでもあるので)立場ではあるが、このシーンで気持ちを盛り上げたいならば『マン・オブ・スティール』は是非とも視聴しておくことをお薦めしたい。または、もしMoSが未視聴だったなら視聴後に再度ZSJLを見返してくださいな。

▼スナイダーヴァースでのヒーローとは:

スナイダーが描くスーパーヒーローとは「世俗に馴染めない異形の存在」である。彼らは普通の人達のようには社会に馴染めず、自身の能力にどう向き合うか、どんな人生を選択するのか迷い苦しむ。それは一般の人々にも同じことが言える。誰だって周りと違う個性を抱えており、そこを社会にどうアジャストさせるかで人は悩むのだ。そして、それを乗り越えたからこそ人は輝く。

もし現実世界に、人間とは異なる能力を有する超人(この映画の中では「メタヒューマン」と呼称される)が紛れ込んでしまった時、彼らはその能力をどう使うのか(あるいは使わずに隠し通すのか)という選択を迫られる。そこに徹底してフォーカスして、リアルな肌触りで伝えることがスナイダーがDCEUで目指したことだった。MoSとBvSは共にクラークが自身のアイデンティティを葛藤する物語である。ZSJLはリーグの全員がこの問題に向き合う。

現代社会の中で人はどうのようにして自身のアイデンティティを獲得してくのか。そういう社会的なメッセージをこのフィルムメイカーはスーパーヒーロー達に仮託して作品に込めようとしていたのだ。よってスナイダーヴァースで初めて全員が揃う本作ZSJLは、メタヒューマン達が彼らのアイデンティティを受け止めてヒーローとして完成するまでを描く物語なのである。

物語ラストのヴィクターの行動はこのテーマへの本作の回答である。彼はこれまで昼間はずっと部屋に篭り、夜間にしか街を歩けなかった。しかし仲間を得て、戦いを乗り越えて、遂に昼間からフードを脱ぎ捨ててサイボーグの姿を曝け出し、空へと飛び立つ。まさにヒーローとして完成した瞬間である。このときに語られるサイラスの言葉が少し長いのであるが、まさに映画のテーマを述べている箇所なので引用しておこう。

Everything breaks, Victor. Everything changes. The world is hurt, broken, unexchangeable. But the world’s not fix in the past, only in the future. The not yet. The now. The now is you. Now’s your time Victor, to rise. Do this. Be this. The man I never was. The hero you are. Take your place along the brave ones. The ones that were, that are, that yet to be. It’s time you stand. Fight. Discover. Heal. Love. Win. The time, is now.
あらゆるものは壊れる。あらゆるものは変わる。世界は傷つき、壊れて、取り返しがつかない。しかし世界は過去を修復できない。未来だけだ。しかし同時に、まだ来ていない未来に我々は近づいていく。つまり未来とは今のことでもあるのだ。今が立ち上がる時なのだ。動き出せ。そしてなるのだ、私がなれなかった存在に。お前ならなることができるヒーローに。勇敢なヒーロー達の中にその名を連ねるのだ。過去から存在し続け、今も存在し、そしてまだこれから先の未来にも存在するヒーローとして。今こそ立ち上がる時だ。戦うこと。見つけること。傷を負った者を癒やし、平和を治めること。愛すること。勝利すること。時は、来た。

▼バットマン:

実はZSJLの中でリーグで一人だけ選択が大きなテーマにならなかったキャラクターがいる。バットマンである。

彼は前作『バットマンVSスーパーマン:ジャスティスの夜明け』の中で既に大きな選択をした(スーパーマン殺しからリーグ結成への大転換)ので、本作はそれを遂行するだけという側面もあったが、それ以上に本作のさらに続編となる予定だった『ジャスティスリーグ2(仮)』で彼の重大な選択が描かれる構想だったから、スナイダーは本作のバットマンを軽めにしたのだと私は推測している。

既にストーリーボードが開示されてしまった後なので書いてしまうが、ジャスティスリーグ2(正確にはその先の3)で、バットマンが自分の命を犠牲にして世界が救われるという構想がスナイダーにはあったらしいのである。これは大変興味深いもので、この世界線(ユニバース)でのジャスティスリーグの物語の円環を埋める最後のピースになった筈である。現在は映画化の計画が白紙撤回になっていて残念極まる。是非とも #RestoreTheSnyderVerse を願う。

了。

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