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スナイダーカットを求める起案文書の日本語訳

以下は2017年11月にchange.orgで起案された文章を日本語訳したものです。原文のサイトに当時、私も署名しました。世界的に結束した「Release The Snyder Cut 運動」において多くの人にとって起点になった文章です。

末尾に原文のリンクをつけます。

ワーナー・ブラザース御中

私たち、署名者は、ワーナー・ブラザース(以下WBと記載)に対して、ザック・スナイダー監督の映画『ジャスティス・リーグ』のディレクターズ・カットをリリースするという請願を申請します。

概要

『ジャスティス・リーグ』は2017年11月17日に世界中に公開されました。世界中のファンが、ザック・スナイダーが2013年にスタートさせた三部作の完結編を観るために集まりました。しかしながら多くの人にとって、WBが公開した映画はファンが期待していたものではありませんでした。

とても心痛ましい不幸がご家族にあり、ザック・スナイダーは映画から途中離脱し、ジョス・ウェドンがポストプロダクションを完結させるために加わりました。これは当時、十分に理解できた動きでした。また、ワーナー・ブラザース・ピクチャーズのトビー・エメリッヒ会長の言葉によって、ウェドン監督はスナイダー監督の用意したテンプレートを守ると、ファンは信用していました。「演出は最小限であり、スタイル、トーン、およびザックが設定したテンプレートを遵守します。新しいキャラクターは加わりませんし、新しいシーンでも既存のキャラクターは同じです。つまり映画の方向性はまさにザックによって設定されたそのままです」。
この声明の数週間後、ジョス・ウェドン監督はジャンキーXL氏を音楽担当から解雇し、代わりにダニー・エルフマンを雇いました。これはファンにとって赤信号でした。それまでのダニー・エルフマンの映画音楽での功績に不満は何もありませんが、しかしスナイダー監督の離脱直後にこの変更は理解しがたいものがありました。
そしてその直後に、すでにザック・スナイダーは『ジャスティス・リーグ』を編集済みだったという報道がありました。つまりWBがウェドン監督を雇う主な要因として、スナイダー監督の編集版に対する不満があったと推測されます。もちろんファンはウェドン監督が映画に彼独自のスタイルを追加するだろうことをある程度は予期はしていましたが、しかしさすがにスナイダー監督の映像とクリス・テリオ氏による脚本の既に完成していた部分まで上書きしてしまうとは予想していませんでした。

映画が公開される2週間前に公表された映画の上映時間は、ファンにとって新たな赤信号でした。この映画は120分弱に編集されていましたが、これはより多くの観客が動員できるようにするためにWBが強制したものです。映画の製作、そしてザック・スナイダー監督のスタイルに精通した人ならば、この問題にすぐ気付きました。
スナイダー監督の作品は、私たちの社会についてのより広く訴えるメッセージを持つため、長尺で壮大な映画になることで知られています。ただでさえ、もともと2部構成の映画として構想されていた『ジャスティス・リーグ』は、脚本執筆の早い段階で1作に縮小されることが決定しました。だからこそ、ファンは『マン・オブ・スチール』や『バットマンVSスーパーマン』と同様に、『ジャスティス・リーグ』が長尺になるだろうと予期していました。この一連の作品群のゴールを担う映画として、『ジャスティス・リーグ』を2時間の上映時間に収めることは不可能です。
映画が正式に公開されたことで、この問題はファンと同様に批評家によっても指摘されました。過去に『バットマンVSスーパーマン』や『ウォッチメン』で公開後日発表したディレクターズカット版で再評価された実績があることからも、スナイダー監督の作品が行き過ぎた編集で破綻してしまうリスクをWBは理解していたはずです。しかしながら、結果として今回の『ジャスティス・リーグ』で同じミスを繰り返しました。

『ジャスティス・リーグ』は、批評家とファンの双方から失望を受けました。ここで最も重要なことは、旧来のファンに疎外感を抱かせていることです。
『ジャスティス・リーグ』はザック・スナイダー監督の名前こそ残っていますが、品質が伴っていません。スナイダー監督によるテーマ性の強いシーンの多くは削除されて、脚本でもテリオ氏よりもウェドン監督の影響の方がはるかに大きな影響を与えているように見えます。例えば、戦闘シーンにはそぐわないワンダーウーマンとフラッシュの気まずい遣り取りや、ロイス・レーンとマーサ・ケントのよく練られたとは思えないくだらない会話などがこれに当たります。スナイダーの心のこもったキャラクターを深掘りしていく多くのシーンが削除されました。作品全体で見たときに不調和な再撮影や欠陥だらけの会話シーンを120分に含めるためにです。
これは特にスーパーマンのキャラクターで見ることができます。一つの例は、クラークがロイスにプロポーズの返事を確認する場面です(訳者注記:予告編で見られる「イエスってことだよね?その指輪をしてるってことは」の場面)。二人の関係性が大きく発展するこの場面は、クラークの語りではなく、「生き返ったのってどんな感じ?」「うーん、なんか、むず痒い」という中身のない(ちょっと可笑しい感じのライトな)会話に置き換えられていました。
スーパーマンはウェドンの再撮影で完全にキャラクターが変更されたようです。再撮影当時、別の映画の撮影のために生やしていたヘンリー・カビルの口ひげをあまり出来のよくないCGで除去し、脚本で性格まで完全に変えてしまったということがその証拠です。これは、ザックによるスーパーマンのほとんどの映像は、ウェドンによって再撮影されたという結論につながります。これは、『マン・オブ・スチール』からずっとスーパーマンを追いかけてきた無数のファンにとって、とても強烈な変化と考えられます。
スナイダーのスーパーマンは、彼自身が以前の映画で受けたきた試練と同じように、何らかの試練で疎外されたり移民となることを余儀なくされてきた現実世界の人々と結びついたものです。一言で言えば、今までに映画やドラマやコミックなどで表現されてきたスーパーマンの中で一番複雑なのです。これがウェドンの再撮影で全く変わってしまいました。
スナイダーは、彼が描くスーパーマンが最終的には「より多くの希望と自信に溢れたヒーロー」になること、そのための無理のないストーリーを時間をかけて綴っていることを、何度も口にしていました。つまり今回の作品は、2013年の『マン・オブ・スチール』以来の彼の三部作のゴールでもありました。ファンは、スーパーマンがどのような成長を遂げるのか期待していました。
しかしながら、スクリーンに現れたのは、半世紀に渡って君臨し続けてきた「昔ながら」のスーパーマンのようなテカテカグロスのピカピカ版でした。私たちは、ザック・スナイダーの映像とスーパーマンの会話は、キャラクターの成長を実現させるために復元する必要があると感じています。

流出した映像から、スナイダーの映像が他にもカットされたことが明らかになりました。特にサイボーグに関しては彼の成長に関わる部分がかなり削除されていました。これは、スナイダーが「サイボーグは映画の中心となる」と言及していたこともあり、多くのファンにとってショックなことでした。
また、ウィレム・デフォー演じるバルコやキーシィ・クレモンス演じるアイリス・ウェストのようなキャラクターは、最終的な映画からは完全にカットされました。これらの場面が残っていれば、DCEUに新しいキャラクターを導入し、それぞれのヒーローの世界を発展させ、拡大させていたでしょう。
とっつきやすさをアップするために、WBは映画から複雑さも取り除きました。スナイダーの視覚的に見事な映像の多くは、2時間という制約に合わせて調整されました。これは、古代の神々の戦いやスーパーマンの復活のようなシーンにまで及びます。

最後に、スコアの変化はファンが最も失望した変化の1つでした。この点についての言及に先んじて、我々はダニー・エルフマンが本作で手がけた音楽はヒーロー映画として素晴らしいものであり、彼に敬意を表していることをお伝えしておきます。ファンが理解に苦しんでいるのは、メインテーマの一貫性の欠如です。
ジャンキーXL氏は、『ジャスティス・リーグ』のすべてのメンバーのテーマ曲について、ハンス・ジマー氏の『マン・オブ・スチール』と『バットマンVSスーパーマン』でのスコアに忠実に従いながら、作曲することを計画していました。
DCEUは確立された1つの宇宙です。ファンはジマー氏の象徴的なスーパーマンのスコアが、彼の復活のために使用されることを期待していました。ファンはまた、ジャンキーXL氏のバットマンのテーマとジマー氏のワンダーウーマンのテーマが、それぞれのキャラクターの代名詞になることを期待していました。
ジョン・ウィリアムズのスーパーマンとエルフマン氏本人のバットマンのテーマは、映画の中のスパイスとしてはうまく作用していましたが、DCEUの作中で確立されたテーマ曲に取って代わるべきではありませんでした。
ここまで多くを述べてきましたが、ザック・スナイダー氏のビジョンを遵守した、クリス・テリオ氏の脚本とジャンキーXL氏の音楽で構成された、ディレクターズカット版の『ジャスティス・リーグ』をリリースすれば、すべて解決することができます。

勧告(要求内容)

上記のとおり、以下の署名者は、WBがザック・スナイダー監督の『ジャスティス・リーグ』のディレクターズカットをリリースすることを推奨します。
私達はWBに対して「ザックが離脱前に本映画のために用意していたが削除されたシーン」と「オリジナルのビジョン」を復元することを要請します。リチャード・ドナー監督の『スーパーマンII』やザック・スナイダー監督の『バットマンVSスーパーマン』のように、間違いを正し、映画監督の妥協のないビジョンをリリースするのはWBの責任です。

私達はこれは単純に誠意の問題だと感じています。
ザック・スナイダー氏は、家族の不幸のために5年以上も費やした映画を残して去りました。
ファンは、経営者とプロデューサーから、ウェドン氏による追加はスナイダー氏のビジョンを最後まで完結させるためであると、説明されていました。
しかしながら、公開された『ジャスティス・リーグ』は、最も幅広い観客に迎合しようとした、オリジナルへの礼儀を欠いた全くの作り直しでした。

興行収入と批評のどちらもが低迷しています。大衆への迎合はもはや最適な戦略ではありません。
最高の物語は芸術の信念をもって語られたものです。

これまでに94,000人以上のファンが署名し、その数は急速に増え続けています。

要するに、私達はWarner Bros.に、ザック・スナイダー監督の『ジャスティス・リーグ』のディレクターズカットをリリースすることを要求します。

翻訳おわり。

ここに掲載したのは2017年に私が翻訳した文章ですが、2021年5月現在サイトを確認すると英語原文の方は大きく書き換えられているようでした。短くシンプルになって、2017年以降に判明した事実に沿って編集されたり、幾つかの攻撃的な表現はマイルドに変換されていたようです。

しかしまあ、あの時は10年近くかかるかもしれないと覚悟したものだから、結果的にはスナイダーカットの公開は3年半という予想をはるかに上回るスピードで実現しました。「We are too soon!」

下記が英語サイトのリンク先になります。

了。

最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!