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X(旧Twitter)の引力を俯瞰してみた

 Twitterから名称をはじめサービスを変えた「X」。自分は発信をほとんどせず見る専門で利用しています。時々、Xに引き込まれるように使っていることがあるので、その引力について俯瞰して考えたことをnoteにまとめてみました。


「もしかしたら良いのあるかも」の引力

 Xに限らず、メールやネット記事のあるあるだと思いますが、「もしかしたら良いのあるかも」という期待による引力が強いです。自分がちょっと面白いと思えたり、驚いたりする内容のことが、ごくごくたまにあります。その、ごくごくたまに訪れる「良い内容」への期待から、引き込まれて気づいたら30分以上見ていることがあります。「もし大金が当たったら何しよう」と期待する宝くじに似ていると思いますが、宝くじよりはるかに手軽でできるXの「もしかしたら良いのあるかも」の引力はとても強いです。

「強い言葉で刺激される」引力

 Xで注目され、拡散されるのは強い言葉を使った投稿です。なんとなくですが、日常の現実世界では弱い(優しい?)言葉が多くなっている気がします。一方、Xでは断定したり傷つけたりする強い言葉が投稿されています。そうした言葉はポジティブにもネガティブにも、どちらの気持ちも刺激してきます。日常の現実世界にはあまりない、その刺激を求めてXを見ているのではないか、と考えました。もちろん、自分に向けられていると逆にストレスになってしまいますが、自分に向けられているわけではない投稿を見るだけならば、純粋に刺激だけを受けることができます。この「強い言葉で刺激される」引力も強いと思います。

見ているのは本当に楽しい?

 このような引力に引かれてXを見ているのですが、本当に自分は楽しいのだろうか、ふと疑問に思うことも多いです。見ている時、特に笑顔になったり気分が晴れたりはしていません。少なくとも表情を動かすほどの楽しさは得られていないのは間違いありません。頻繁に見ていますが、何か知識を得られた感覚もなく、すぐに内容を忘れてしまいます。
 これは、最初に考えた「書いたもしかしたら良いのあるかも」の引力に引かれて、単に反射的に利用しているということなのかもしれません。そうなると、なんだか時間がもったいない感じがしてきます。こうして俯瞰すると、なんとかXと距離をおけそうです。

 皆さんはどう思いますか。

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