【老親リスクを回避せよ07】老老地獄1丁目1番地

老老地獄には伏線があります。ズバリ、要介護と医療依存のふたつです。それは自分の人生の主役からはずれる時と言ってもいい。どういうことかと言うと、それまで当然のごとく自分の人生の主役を張ってきた人たちが、要介護とか医療依存とかいった状態に陥ってしまったら、その途端に自分の人生の主役でなくなってしまうのです。自分の意思で自分の人生を選択できなくなるわけです。仮に身体的には自立していたとしても、もはや自律はしていないということです。

自分の人生の主人公だった人が、ある日を境に、例えば子どもや配偶者の人生の悪役(恨みつらみの的)に堕ちてしまう。例えば、医者にコントロールされる人生の通行人(どうでもいい存在)に堕ちてしまう。つまり、自分の人生を主体的に生きられなくなってしまう。自分が主役の人生の最終章を、ただ漫然と惰性で流しながら、かつ身内にまで嫌われながら生きていくことになるのです。これは、ある意味、ひとつの死です。

そんな状態は誰だって望まないに決まっています。いま現在、自分の人生の中に老親という厄介な存在を抱えて困窮している子どもや配偶者だって、もちろん望んでなんかいないでしょう。でも、現実問題として、来る日も来る日も自分の求める人生を阻む存在(要介護状態の身内)が視界に入るたびに、少しずつネガティブな感情が湧き立って、やがて心のどこかで悲鳴を発するようになり、いつしかそれは憎悪の念に変わり、ついには狂気の鎌首をもたげはじめる…。それが老老地獄の標準的なステップです。。

そして…。さして遠くない未来、その憎悪の対象のなかに自分の未来の姿を重ね合わせて見てしまった時、そこはすでに老老地獄の1丁目1番地なのである。

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