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内省で気づけた、「コトに向かう」の再解釈

「コトに向かう」

僕はこの言葉をことあるごとに使ってきたように思う。
20代の頃に「Jackはコトに向かう意識を強くすると成長が加速するよ。」とフィードバックを受けて知った言葉だ。

ヒトを優先してしまいがちな自分には納得感が強かったフィードバックで、今でも「コトに向かえているか?」と自問自答するし、その言葉の意味は自分の中で日々変化し続けている。

つい最近も、その理解がさらに深まった経験をした。
長く意識してきた言葉であるにもかかわらず、まだ自分は本当の意味で「コトに向かう」ことができていないことに気づいた。
今回はこの学びをnoteに書こうと思う。

キャリアの分岐点は突然おとずれた

きっかけは、自分の役割が変化したことだった。
つい半年前、デザイナーチームの代表(= 責任者)でなくなり、いちプロダクトデザイナーになったのだ。
ガウディはDAO的な組織作りをしているためマネージャーという役職は存在しないが、代表はいわゆる「マネジメント」的な役割を担う存在である。

過去に代表をしていた頃は「やっぱり自分はモノづくりが好きだし、プレーヤーとしてデザインに集中したい」と思ったこともあった。
しかし、いざプレイヤーに戻ってみると代表を担っていたときとは異なる悩みがあった。

  • 「自分はリーダーには向いていないのではないか?」

  • 「組織に適応してないから代表ではなくなったのではないか?」

  • 「デザイン力が劣化してて、プレイヤーとしても弱いのではないか?」

こんな思いが頭の中をぐるぐる周った結果、
「今の仕事内容は20代でやってきたことと変わらない気がする。成長し続けたいという想いで転職したのに、キャリアを巻き戻ししているのかもしれない…
と考え込み、仕事が手につかない日々が続くことになったのだ。
半年に渡る内省のスタートである。

行動が状況を悪化させた

内省を始めて1ヶ月ほど経ったころ、「このまま考えてるだけじゃまずい!」という焦りから、自分なりに状況改善に向けて工夫をしてみた。

  • マネジメント時と本来の自分のキャラに乖離があるからうまくリーダーシップをとれなかったのかも。そうであれば、100%素の自分を出して仕事をしてみよう

  • デザイン力をさらに高めるために、3DCGや映像の勉強も始めてみたら次のキャリアの糸口になるんじゃないか?

こんなことを考えて行動したものの、状況は好転するどころか悪化した。
自分でも空回りしている感覚があったし、周囲からも「プレイヤーとしてのジャックさんに期待していた動きではない」という率直なフィードバックも受けた。
(今考えると、伝える方も勇気がいるフィードバックだと思うので、結果的にはありがたかった)

こうして仕事に向かう姿勢はさらに中途半端なものになり、抜け殻のような時期に突入してしまった。
(精神的にグッとくることはない性格だと自分では思ってるけど、いま思うとこの時は結構辛かった気がするw)

周囲の人を頼ってみた

そんな自分にもうんざりしていた頃に、1人で内省するには限界があると考え、今まで以上に積極的に人に相談するようにした。

「そもそも自分はどんな人間で、何をしたいのだろう?」

自分の本質に立ち帰るために、会社の先輩や同僚、プライベートの友人、前職の先輩…そして兄弟まで頼り、悩みを打ち明けた。
自分のキャリアを俯瞰して捉えたいと思い、ヘッドハンターや他企業の人事も頼った。

自分が何かをGIVEしているわけでもないのに、時間を使って真摯に相談に乗ってくれる人たちの優しさに助けられ、自分は他人に生かされていると改めて気づき、感謝する日々だった。

そして、2つの言葉に出会う

「思考→相談→行動」を繰り返し数ヶ月経ったころ、ついに僕の心を刺す2つの言葉に出会った。

1. 自分の物差しを持っていますか?

これは、前職のCDOに言われた言葉だ。

「物事をよくするための判断基準を【物差し】とするなら、Jackさんの物差しは【自分の中】にありますか?それとも【他人の物差し】を気にしていませんか?」

聞いた瞬間、『自分は他人の物差しで物事を判断している』と思った。
「この人がこう言っているからそれに従うべきだろう、あの人がこう思いそうだからこれを言うのはやめておこう。」
こういった意思決定は、まさに他人の物差しを気にしてしまい「コトではなく、ヒトに向かっている」状態だ。

判断基準の毛色やキャラクターがその人らしさだとしたら、他人の物差しで状況判断をする自分の意思決定には統一性がなく、信頼がおけないだろう。
これではリーダーシップをとれないなと気づく経験だった。

2. 他人を見るように自分を見てください

これは、通っているキャリアコーチに言われた言葉だ。

「他人の苦手なことや、失敗しそうな状況ってすぐ気付けますよね?『それ危ないからやめといた方がいいよ!』って。それは俯瞰してその人を見ているからなんです。Jackさんは、俯瞰して自分自身を見る練習をしましょう」

聞いた後に、「なるほど〜…」と頷きが止まらなかった。
それと同時に、自分を俯瞰して見ることは難しいからこそ、自分と向き合い・言語化し・行動し、振り返る。「内省」が大事なんだろうなと思った。
そして、深い内省の期間が自分の人生にあることは間違ってないだろうと自分を勇気づける言葉となった。

これら2つは別々の人からの言葉だが、ほぼ同時期に似たような意味の言葉を貰ったように思う。
そして【コト】or【ヒト】、どちらに自分の矢印が向いているのかをより見つめ直すきっかけとなった。

何かが吹っ切れた

その後間もなく、僕の中で何かが吹っ切れる瞬間が訪れた。
そしてその時には自然と「何でもする覚悟」ができていた。

振り返ると、これまでは【コトに向かうこと】を意識的にしていた。
「この意思決定はコトに向かってないかもしれないな。だったらコトに向けた意思決定にするにはどうしたらいいんだろう?」
といった具合に。

しかし今は、人間は覚悟が決まっている状態では「コトに向かう」とか「ヒトに向かう」とかを意識しないものなんだなと思う。

厳しいフィードバックをお互いにしなければいけない時はそうするし、切羽詰まっている状態でも、ヒトの気持ちを考えながら物事を進めるべき時は丁寧に進める。

成果への覚悟があれば、その行動は全て自動的にコトに向かうような気がするし、いちいちコトとかヒトとか言ってられない。だから覚悟を決めるだけだ。

「コトに向かう」という言葉がまた自分の中でアップデートされた瞬間だ。

60歳になっても内省を続けたい

この期間を経て僕は、何歳になっても内省をすることの大事さに気づけた。
内省なんて誰でも日頃からしていることなのかもしれないし、いい歳してまだそんなことで内省しているのか?とどこかで思ってしまう自分もいる。
しかし、この期間があったことで、【自分の物差しでは】ひとつ前に進めたと思えている。

そして、今年も「コトに向かう」という言葉の解釈がアップデートされた。相変わらず経験や感情によって解釈が変化し続ける、不思議な言葉だ。

この言葉の解釈はまた年月を経て変わっていくかもしれない。いや、変わっていくべきなんだろう。
そのために、これからも内省しながら前に進む習慣を続けたいと思う。


おまけ

僕のカジュアルトークへのリンク置いておきます。もし今日のお話に興味を持った方がいたら、ぜひフランクにお互いのこと、お話しましょう!


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