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パラレルキャリア -キャリアチェンジ-

2013年は長い会社員生活、営業経験の中でも、非常にストレスフルな1年だった。当時私は総合商社各社に対する新規ビジネス開拓をミッションに活動し、難しさを感じながらも充実した日々を送っていたのだが、同じ部署で担当していた別業種のお客様で進んでいた大きなプロジェクトが難航し、現場マネージャーとして入ることになったのだ。受けたからには、何とか上手いことやってやろうという気持ちで初訪問、まずは一通り軽く挨拶くらいと思っていたが、いきなり現地で見積りに関する難解な資料を作成することに。予想外の展開に「こりゃちょっとしんどいかもな~」と先を思いやったが、上司部下、常駐するSE達から話を聞けば聞くほど、プロジェクトの状態を知れば知るほど、「ちょっとどころでは無いのか・・」とここでは書きにくい、今となっても書きにくい、全てが上手くいってないプロジェクトだった。業界大手のお客様であり、本部でも注目されるプロジェクトで、受注が決まった時は担当者(私の上司や部下に当たる人)は一時ヒーローになったのだが、かなり “無理” をして獲った商談だったのだ。いや~書けない。。

それからは、お客様先では役員から担当者まで、色んな人の無理難題に対応し、オフィスに戻っては社内調整や資料作成に追われ、飲みたく無い人とも飲み、下げたく無い頭を下げる日々が続いた。何人ものSE営業が体調不良や “出禁” で交代していくようなプロジェクトだったが、有り難いことに同じタイミングで入って来てくれたSEの現場マネージャーはとても頼りになり、私よりも営業センスがあるようなタイプだったので、何とか頑張ることが出来た。夜遅くまで対策会議をした後に行った新橋の中華屋が懐かしい。何年も前に無くなってしまったけど。。

そんな日々の中で良く考えたことは、「この苦労・ストレスは自分の人生にどんな意味があるのか?」ということ。「乗り越えることで何か自分が大きく成長したりするのか?」なんてこと。うーん無いよな~ナイナイ。(~_~;)だとしたら、この状況っていったい何なんだよ!!俺!!

当時月一回程度、イメージコンサルタント養成講座の一部を担当させて貰っていたが、その日だけはこのトラブルプロジェクトを何とかやりくりし、休みを取るようにしていた。そこで生徒さん達とするメンズクロージングに関する会話は、ストレスまみれの自分を随分救ってくれたし、この世界には自分の思い描く未来があるような気もしていた。坂井センセーとか呼ばれ調子こいてたってこともあるけど、もっとここを掘り下げ、この場を拡げていくにはどうするのが良いのか。

セミナー風景

徐々にプロジェクトの収束が見えて始めた頃、もう一つ大きな感情の波が訪れた。私はトラブルを収めるため、ある時期からこのお客様専任になっていたが、それ以前、新規開拓で一生懸命関係構築をしてきたある商社で、これまでにない規模の商談が発生したのだ。その状況を横目で見て、時には部下にアドバイスなどしつつも、私は提案の当事者になることは出来ず、凄く歯がゆい思いをした。会社員として営業でいるとはこういうことなのだ。自分がやりたいお客様や商談を担当出来るとは限らない。役職が上がっていけば尚一層そうだ。私の場合はたまたまラッキーにも長く自分の興味のある業界を担当させて貰えたが、この先きっとそうでは無い。2011年以降、我々日本人の多くが死について沢山考えさせられるようになったのではないかと思うし、その年、幼い子供を残し突然死した同期もいた。スティーブ・ジョブズのスピーチが何度も頭をよぎる。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするか」「本意で無い人生を生きて時間を無駄にするな」「自分の心と直感に従う勇気を持つこと」そんなことがぐるぐる。

年末に近い時期だったと思う。丸の内線の「四谷三丁目」辺りだったか。並んでつり革を持つ直属の上司に私は異動を申し出た。以前から営業育成で関係のあった人材開発部(現在の部署)には下ネゴをしてあり、受け入れて貰える状態は作っておいた。その上で上司3人にプレゼンをし、一営業としてよりも人材開発担当としての自分の方が会社に貢献出来るということを訴えたのだ。その中には、イメージコンサルティングに関する要素もしっかり入れておいたのだが、きっと気付いてはいなかっただろうな。(~_~;)

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そして2014年7月、私は20年やった「営業」を離れ「人材開発」を担当することになった。実はそんな自分はかなり前からイメージし、営業としてそこそこ一人前になった頃には、「いずれ人材開発もやってみたい!」と上司に話していたりもした。もっと遡ると、全く勉強しないチャラ大学生だった私が唯一命懸け(提出期限に追い込まれただけと言えばそうなのですが・・)で提出した卒論のテーマは『リーダーシップと人材の育成』だったのだ。やはり、なるべくしてこうなったのか!!

それから7年、時間を掛けながらも、パラレルキャリアを進めていて、今月からこんな講座を担当させて頂くことになりました。宜しければ是非ご一緒しませんか!?


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