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にわとりのたまごは食べません

 昔、インドを旅した時のことです。

 ヒンズー教徒は牛を神聖視していると聞いていたので、さぞや牛さんは大切な扱いを受けているのだろうと思っていました。確かに、街中に牛さんは堂々と座っていました。流石、インドだなと思いました。

 ところがそのとき、インド人が牛を邪魔者扱いにして、足蹴にしているのを目撃してしまったのです。驚きました、そして見なかったことにしました。

 なかなかに牛も人間もルールの中で生きていくのは大変なのですね。


 宗教上の理由で、牛を食べなかったり、豚を食べないという話を聞きます。肉そのものを食べない、ベジタリアンも最近は日本でも定着してきました。ビーガンなんてのも今はあるそうですね。流石、世界はいろいろな主義の人々であふれているなぁと感心します。


 ところが、ここ出雲でも禁忌(きんき)があるということを知っていますか。

 江戸中期の出雲の地誌「雲陽誌」の中に事代主命の伝説が載っています。
事代主命は大国主命の御子で、「国譲り」の際、その条件を最初に呑む神様です。恵比須様としても有名です(エビスビールの絵柄に使われていますよね)。

 事代主命は揖屋の姫神のもとに、毎夜通われていました。朝になると一番鶏の鳴く声を合図に美保関に帰るのが常でした。
 ところが、ある時、鶏が時刻を間違え、真夜中に鳴き出しました。一番鶏と思った事代主命は、あわてて支度もそこそこに、竿を使って丸木舟で中海を漕ぎ出しました。沖合に出て櫂(かい)にかえようとすると、櫂を忘れてきたことに気付きました。しかたなく、事代主命は足を櫂の代わりに水を蹴って帰ろうとするところを、ワニが足にかみつきました。

雲陽誌より


 なんと、事代主命は一本足になってしまいました。この遭難事件により、鶏を憎んだ地元の人々はそれ以来、鶏を飼うことはもちろん、卵を食べることさえも遠慮するようになったそうです。

 美保関では長らく卵を食べなかったそうです。1891年(明治24年)、美保関を訪れた小泉八雲はこのことに注目し、「知られぬ日本の面影」に記事を書きました。

 そして、実際に昭和の中頃までこの風習は守られていたそうです。今でも美保神社の神事を行う当番を務める住民や漁師はこの禁忌を守っているそうです。

 本来なら、事代主命の足を食いちぎってしまったワニを憎むのが筋なのに、そこを鶏のせいにしてしまっては、ちょっと鶏がかわいそうな気もします。しかし、ワニと人間の戦いとなるとまた壮絶なものになりかねませんよね。それが禁忌の深いところなのかもしれません。

 いや、それにしも美保関の皆さんのその禁欲ぶりは敬服いたします(もし
、今はたまご食べてるよと言われても、僕は見なかったことにしますので)。

 




 今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
 よかったら、美保神社にもいらしてください。

(あ、しかしその際、卵をご所望だけはご勘弁を)

 お待ちしています。




こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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