見出し画像

2023.5月〜6月_その1

奈良に来てしばらく経ち、少しずつ現実に自分の身を馴染ませている様子の娘。目標は毎日の記録、現状は日常の採集。



森のようちえんの単発クラスにはじめて参加した。
森が助けてくれる、森が教えてくれる、森がゆるしてくれる。
自分の荷物を入れる決まった場所はなく
椅子は自分で取りに行き
森というフィールドがどこまでも続いている中で安全な場所を知り
自分が取り組みたいものを探していく。
自由だと言われればそれまでだが、かなり高度なことを求められている。
いつも行っている保育園では○○ちゃんは猫のマーク。と全ての娘の場所にシールが貼られている。いつも通り毎日同じ。子供にとってそれが安心できることなのだと、その方針に異論はない。
けれども森では、自分がどうしたいかが暗に問われている。
どうしたいか、どうありたいか。
輪の中に入らないのもその子の勇気と選択。

私たちはあえて積極的に誘うことをしないこともあります。
森のようちえんの大人たちがそう言っていたのがとてもよかった。

そして森では給食はごはんとお味噌汁と漬物だけ。
ご飯は羽釜で自分たちで火をおこして炊く。4〜5歳の子がかまどで火をおこす。木をくべる。そんな様子を近くで見ていた娘、私もやりたいと割り箸を手におそるおそる火に近づく。熱風と煙が目に染みる。
そんな体験をしたあとの給食はそれはそれは美味しかったようで、自分でもくもくと白米を口に運び、おいしいね!と言いながらお味噌汁をすする。
普段はおかわりはしないけれど自分でおかわりをもらいに行って、見事に完食した。おかわりでもらったごはんを手に持ちながらドヤ顔で戻ってくる娘の表情といったら!
いい顔を見た、と思った。


明日からエプロンしないでお食事するの。
ある日急に娘が言った。
正直に言うと、私はその言葉を待っていた。
娘はベビークラスから年少クラスへ移行する春に、新しい保育園に転園した。少しお兄さん・お姉さんになった。でもベビークラスから一緒に成長してきたお友達は一人もいない。
その影響はとても細かいところにいくつか出ていて、例えば給食の時にベビークラスでは食事をこぼしてもお洋服が汚れないように首から前掛け(=エプロン)を下げて食べていた。そのエプロンは年少クラスに移行すると同時に使わなくなる(園側の方針で)。
娘はちょうどそのタイミングで転園したので、これまでと同じように自分はエプロンをつけるつもりだけど周りのお友達でエプロンをしている子はひとりもいない。もしもベビークラスから顔馴染みのお友達と一緒に年少クラスに移行したなら、みんなで年少さんだからエプロンは使わなくなるんだな、お姉さんなんだな。というこころも芽生えただろうけど、娘はおそらくそこが繋がらなかった。
私は「お姉さんのクラスになったからエプロンしなくてもいいんだって!」とか「お洋服、よごれてもいいよ」とか「みんなこぼさないように食べる練習してるんだね」とか言いながら、毎朝念の為「今日はエプロン持っていく
?」と、娘の意向を聞いてからエプロンを用意した。先生方も無理に外そうとはせず、見守ってくれた。

そうしていたらある日急に冒頭の発言があり、私は心の中で歓喜しつつも、準備していた「あ、そうなの、わかったよー」という返事をした。
自分で納得して決められてよかった、押し付けずにその時を待ってよかった、娘が満ちたタイミングをキャッチできてよかった。そう思った。

考えてみると娘はこれまでも「その時」を自分で決めている。
卒乳の時は1秒前までごくごく吸っていたのに急にバッ!と顔を離して我に返ったような表情をして、それで私たちの母乳生活は終わったし、
おむつから布パンツになる時もずっと気持ちが向かない様子だったのにある日急に「今日からお姉さんパンツにする」と言って、そこからほとんど漏らさずにおむつも卒業した。
そんな実績が彼女にはあるので、私はきっと今回も自分で決めるんだろうと信用して、でも少しずつジャブは打ちつつ、満ちるその時を待っていたのだった。

その時はいつかちゃんとくる。
そしてそれは割と急にやってくる。
そうなると意図して、信じて、思い描いて、急に来たとしても慌てないようにあらかじめ準備をしておくこと。

子供の成長も大人の人生のターニングポイントもきっと同じ。そんなふうにできている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?