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「学校」って何を学ぶところなんだっけ?

学校に行っているから「優秀」ではない社会になっている。
学校に行けている人が、必ずしも幸せではない。
自分らしく生きていける人や幸せを感じて生きていける人って一体どんな人なのだろうか。
そんな事を最近は考えたりもしている。

中学になると学校に行けなくなる人が増える。
いわゆる不登校というやつだ。
しかし、
「不登校で学校に行けていないのだから、勉強ができない」
という時代ではなくなっていきているように感じる。

今は、学校以外に学びの場が増えている。
YouTubeなどでも学習ができてしまうし、授業のノートなんかは自宅に帰って誰かが簡単に写真で送るなんて事が容易だ。

不登校の状態も少し前とは異なっていて、学校へは行けないけど塾へは行けている。または遊びにはいける。
そんな子どもも増えてきている気がする。

先日、息子が不登校で学校には来ていない友達と一緒に「ワンピース」の映画を観てきたらしい。
学校には来ないけど、友人関係は継続できているのが、現代の不登校の形の一つになっているようだ。

そして中2の息子はある日、真面目にこう言っていた。

「僕、学校いって真面目に授業も受けているのに、学校に来ていない友達よりテストの点数がとれない」

真面目に言うもんだから正直笑ってしまったが、本人にとっては本気で悩んでいるらしい。
私は勉強を重要視していないけど、

・学校に毎日休まず行くけど、成績が悪い
・学校には殆ど行けていないけど、テストの点数は良い

果たしてどっちが良いのだろうか?
学校の成績だけで考えると、テストで点数取れなくても真面目に取り組めが内申点というのが加点されるのだろうが、良い高校や大学に行くとか抜きにして、大人になったらどちらが自分らしく幸せな人生を歩むことができるのだろうか?
とそんな疑問が浮かんでしまった。

家に帰ってから、真面目に息子に
「学校へは何の為に行っているの?」と聞いてみた。

そしたら、「勉強するため」と即答した。
「勉強はできないとダメなの?」と返してみた。

「言葉を話す勉強をしに行っている」
「アフリカの方の子どもたちは学校に行けない子どもが多くて、言葉を話せない人が多いんだって」

「だから、日本語が話せるようになる為に学校へ行く」と言っていた。笑

「んじゃー日本語話せるようになったら学校に行かなくても良いじゃん」って言ったら「うん」と言った。

なんて楽観的なんだ。笑
日本語が話せてコミュニケーションスキルが身に付けば、大人になっても何とかなるかもしれない。
確かに”言語を学ぶ”に振り切る生き方って良いかもしれないなぁ、と納得させられた。
語学を学ぶために海外留学した方がその先の人生に大きな影響を与えそうだし。

そう考えた時に、学力って本当に必要なんだろうか?と考えた。
最低限の「言語+四則演算」程度が身についていれば何とかなるんじゃないか。生きる力は何か別なもののような気がする。

色々考えて、将来なりたい職業に就く為には、

  • 学力めっちゃ必要系

  • 学力少しは必要系

  • 学力正直必要ないよね系

に分かれると思った。医者とか弁護士などの国家資格が必要な職業はたくさん勉強しないとなれない。
けど、高校野球で甲子園に行くような強豪校にいく球児はおそらく勉強より野球を優先してきた子どもだろう。
現に昨年大学で授業する機会があり、授業した時は野球推薦で入学した学生は最後尾の席でTikTokを見ていて授業は聞いていなかった。笑
プロゲーマーとかプロスポーツ選手は学力が低くてもなれる職業かもしれない(めちゃめちゃ狭き門だけど)

もう少し、じっくり考える必要はあるだろうが、今は学校に行けているいないは関係なく心と体が満たされていて、勉強以外に学校に行く何か(目的のようなもの)を見つける事ができた子どもの方が大人になっても自分らしく生きていけるのだろうなと思った。

ウチの息子は斜め上の思考になっちゃっているけど、大人になる為の助走で今は勢いをつけているんだと思っておくことにしよう。笑


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