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「他力本願」を深く考えたら思ってたのと違った話。

昨日の話の続きです。
昨日は「自立」という言葉が生きづらさの根源となっているのではないか。という記事を書きました。

自立はひとりで生きていくというより、困ったときに助けてくれる人が近くにたくさんいる生き方の方が遥かに生きやすい。
そんな生き方を意識していきたいと思います。
さて、
”誰かの助け”という部分ではそれに近い言葉があります。

「他力本願」

一般的には”他人の力をあてにする”という意味で使っている人が多いし、”自分でなんとかする”のではなく、”人に任せてうまくいくように願う”という少しマイナスの意味になってしまっている。

例えば、サッカーの大会で
自分たちが相手チームと引き分けて、決勝トーナメントに進めるかどうかはもう一つの試合次第だ!となった時に、他力本願で○○チームに勝ってもらうしかない!
みたいな感じで他力本願を使っていた人は多いと思います。

しかし、本来は仏教用語で

「他力」=”阿弥陀如来の力を借りること”
「本願」=”人々が仏になろうとする願い”
仏様をあてにするということではなく、「他力本願」は「己の修行で悟りを開くのは難しいため、阿弥陀仏の本願力に任せて成仏するという願いが込められたもの」となります。

「自らの修行による功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願で救済されること」

本当の意味は、一人では到底叶えるには難しいので、他の人の力も借りて叶えるという意味だったのです。

意味がまるで違いましたね。
完全に他人任せではなく、自分で何とかしようとしながらも、他の人の力も借りる(期待する)という意味でした。

そう考えると人生は他力本願で良い気がしますね。
今日から思う存分”他力本願”で生きていくことにしようと思いました。


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