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自分が当たり前だと思っていることを変えるのって結構難しいよねっていう話

娘は病気以外で学校を休むことはなかったけれど、息子は小学校の時から時々休むことがあった。

特に何か原因があってって訳じゃないけれど。

まぁ偶にそんな日もあるよねぇ…ぐらいに私は思ってはいたけれど、そんな時面倒なのは同居している家族の対応で。

「どうしたんだ?」
「具合悪いなら医者へ行け」
「(休むのが)クセになったらどうする」
等々
責めてるつもりはないんだろうけど、責められてるように聞こえてしまうんだよね。
(完全に私の問題)

いつもは別の部屋で寝ている息子だけど、そんな日は決まって私の寝ている部屋に来て、一緒にゴロゴロしていた。
実は私がそうしたかったのかもしれない、と、今ならそう思える。


高校生になって、再び息子は学校を休むようになった。
リモート続きの授業が明けて暫くした頃。
流石に一緒にゴロゴロはしなかったけれどw
ほぼほぼ一日中寝てたり、昼夜逆転したりして、
流石にちょっと焦ったりもした。

よかよか学院にいると、周りに不登校を選択した子やそのお母さんがいっぱいいるから、「まぁそれもアリよね」ぐらいに思っていたけれど、やっぱり実際自分の子が…ってなるとね、違うよね。

それでもやっぱり面倒なのは家族への対応で。
寧ろ担任の先生のが話しやすかったし、理解もものすごくあった。

ただ義父母もなんやかんや言いながらも、最終的にはあんたたち夫婦(親子)で決めなさいよ的なスタンスなので(夫婦喧嘩とかもそのスタンスでいてくれる)ありがたいなぁと思う。


「学校のあり方を問われている時期だ」

で、この後結局高校辞めたんだけど
最後の面談で担任の先生がこう言ったのが印象的だった。

リモート授業
制限される行事や部活動
そんな中
「何のために学校行くんだっけ?」
って、みんな考えずにはいられなかった時期。
先生たちもまた、悩んだり戸惑っていたんだなぁと考えさせられた。


毎日学校へ行き
成績に一喜一憂して
受験の為に勉強をする

自分たちが当たり前にやってきたこと。
当たり前の価値観。
ある意味わかりやすかったなぁと思う。

でも「本当にそれでいいんだっけ?」
って、うっすら感じていた疑問みたいなものが
表面化したというか。

だからといって、易々と価値観を変えるっていうのは難しいんだなぁということも実感した。
自分が体験してきたことって、やっぱり自分にとっては宝物だし
それが当たり前だっていうのが染み付いているし。
時代が変わったんだから…って頭ではわかっていても、人ってそんなすぐには変われない。

変われないからこそ、こうやって子どもに気づかせてもらえたりするんだろうな。


子どもが学校行かない
って時に、周りにもそういう人が居たことは
本当に大きかった。

いい、わるい、という視点じゃない視点を持てたことが、本当によかったと心から思う。


ということで
【ふとうこうの見方が変わるお話会】
今夜20時からです。
大丈夫、まだ間に合います。
動画視聴もできますし。

学校に行く、行かない、とか
それがいいとか悪いとか
そういうのを超えて
教育とか子育てとかを一緒に考える時間です。

聞いてみてね。





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