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21世紀のミュージックビデオの変化

00年代までは米国ではMTV、VH1などのCATVのミュージックビデオ専門局で流してもらうのが主流だったミュージックビデオ、一口に「TVで流す」と言っても国によって事情が違う。日本だったら地上波放送が主流だし、地上波と比較して様々な規制が緩いCATVが主戦場の国もある。

基本的に、映像作品には表現の自由は約束されているが、ミュージックビデオに関しては、国によって解釈が異なるものの「表現物」である前に「販売促進物」と捉えられている国が少なくない。表現物は音楽そのものであり、その音楽を売るための、販売促進を目的に制作されているのがミュージックビデオだから、そこには表現としての存在も含まれているものの広告的な性格がより強いという解釈だ。そうなるとミュージックビデオの中で表現されているショッキングな映像、キモグロ系やエロ、暴力、犯罪行為(禁止薬物の使用など)、反社会的行為(自殺の誘発など)と様々な要素がTV放送で流す前提になるとTVマンの目から見て不適切に映る。そういった映像作品は流してもらえない。それまで音楽業界は「どうすればTVで流してもらえるか、ひいてはTVマンの目に止まるか」を考えながらミュージックビデオを作ってきた。

00年代、ミュージックビデオ冬の時代

それと度々、NY Timesを含めた有力紙にも指摘されていたが、「MTVでは流されるミュージックビデオの傾向が偏っており、出演女性は水着レベルかそれ以上に露出度の高い着衣じゃないと流してもらえない」。その結果、ロック系のビデオがあまり流れなくなっているのと、若年層の視聴者が多いはずの局の番組として不適切ではないかという指摘もあった(ちなみにMTV側はその指摘を肯定したことはなかった)。ギリギリ着衣のお姉ちゃんを並べたくないインディー・ロック系のバンドは次々と、ミュージック・ビデオを制作しないという方向に流れていった。ミュージックビデオ冬の時代、それが00年代だった。

そんな時代に作られたインディー・ロック・ビデオとしては「天才か」と言いたくなる発想力のミュージックビデオがこれだった。



ジミー・イート・ワールドがドリームワークスに移籍してリリースしたシングル「ザ・ミドル」のミュージックビデオ。「下着パーティーに紛れ込んでしまった普通の格好をした男の子と女の子が出会ってパーティーを飛び出す」という設定で、わざとらしさも下品さもない、インディー・ロックのセンスを逸脱することなく下着姿の女子が山ほど出てくる、まさに「MTVでちゃんと流れるミュージックビデオ」だった。実際、当時MTVではロック系に珍しく、ヘビーローテーションで流れていた。

米国ではMTVで流してもらうにはとにかくギリギリ着衣のお姉ちゃんを並べよう、という方向性の制作になる。その一方でそういう映像は不適切だと他国の地上波では流してもらえない、そんなジレンマも存在したし、そういった背景もミュージックビデオ冬の時代に拍車をかけていた。

ミュージックビデオの在り方が変わった10年代


しかし00年代後半からテイラー・スウィフトを始めとした大物アーティストが次々とYouTube公式チャンネルを設立し、それが主流となっていったYouTubeでの再生に業界が積極的になった10年代、15年にはAppleMusicのサブスクリプションも始まって、それまでもiTunesStoreでミュージック・ビデオの販売はされていたものの、音源のみのシングル盤と比較したら当然割高だから販売から得られる利益は薄かったと思われるが、サブスクで無制限での視聴ができるようになってからは視聴数を伸ばしている。「何を流すか」がTVマンの手に委ねられていた時代と違って、視聴者が何を見るかを選ぶ時代に完全にシフトした、それが2010年代と言える。「表現物」なのか「販促物」なのか、最早そんなことは考えなくていい。そうなってくると、ミュージックビデオの内容が2000年代とはガラッと変わってくる。まず、明らかに「それまで」と「今」の違いを感じたのがこの2本のミュージックビデオだ。



The Big MoonのSilent Movie SusieとThe KlaxonsのTwin Flames。クラクソンズは貼り付けたら年齢制限が出てしまった(パソコンのブラウザからだと閲覧制限、スマホからだと閲覧OKに表示された)。そうです、完全に18禁。AppleMusicのビデオは貼り付けられたけど。


2000年代にギリギリ着衣のお姉ちゃんがいないとMTVで流してもらえなかったタイプの「エロ」とはNudity、つまり露出、裸体属性のエロであった。お姉ちゃんたちは腰をくねらせて踊ったりすることもあったが、大概は普通に出演しているだけで着衣の範囲が最小限というだけだった。しかし上の2本はエロの中でもど真ん中の性行為が出てくるタイプのエロなのだ。Silent Movie Susieはバービー人形を使っていて、バービー人形の裸体などは出てこないがクラクソンズの方は完全に、山ほどの男女の裸体とほぼ性行為に近い場面が出てくる。ロック系のバンドがそれまで作ってきたミュージックビデオとは方向性が異なる。



Rone(Featuring Noga Erez)のこのミュージックビデオも、下着姿のままだが、性行為のシーンが出てくる。米国ではペアレンタル・コントロールのフィルタリングがガッチリしてるので、子供に不適切と思われる歌詞や映像はYouTubeでもその他配信系でもブロックする設定に、各家庭でしている前提なので「不適切指定を回避したバージョン」とも言えるクリーン・バージョンと普通のバージョンを制作するという方法もあるし、ペアレンタル・コントロールで弾かれるようなものを制作するのは見てもらう機会の損失に繋がるのではないかという議論もあり、一時期は、最初からなるべくクリーン・バージョンが必要になるような作品の制作は回避されることもあった。それに最近はわざわざその2つを制作するバンドも減っている。制作費や労力の節約もあるだろうが、ポリコレは厳しくなることはあっても緩くなることはない、キリがないからだ。

20年代のミュージックビデオの予測

サブスク、配信系のYouTube、AppleMusic、AmazonMusicに加えてSpotifyも映像配信に参入してきたし、InstagramやTik Tokなど、映像表現は今までよりも活発になると同時に、ニッチな需要でも一定数の視聴者が獲得できると見込めればそれに合わせて映像を制作したり、生配信したりする20年代、そうなると細分化されて大きなトレンドが起こりにくくなる分、アイディアやインパクトで話題のミュージックビデオというものが出にくくなっていく。そうなると、制作費は多く投入できない反面、「なにをどうすると見てもらいやすい」「なにをどうすれば話題になりやすい」などの方程式を見つけようとはせず、作りたいものをそれぞれが作っていく中で、「不適切かどうか」はあまり問題にならなくなる気がしている。そもそも数ヶ月経ったら次のシングルがリリースされるサイクルの中でミュージックビデオの制作は万人にとって適切なものを捻り出す労力に見合う作品ではないのだから。

今日の1曲


今日のパンが食べられます。