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せどりと転売ヤーの違い

あっちこっちで相互フォローのカワイさんはブックオフの利用法がマニアックなのでせどりで儲かってそうと思っていたんだけど、北海道とはいえせどりで家まで買ってたとは知らんかった。




書籍もレコードも、中古屋が在庫を抱えたくない方向に傾いたここ10年、せどりで稼ぐのも難易度が高くなってきてるっていうのもあるけど、せどりという言葉を聞かなくなってくるのと入れ違いに転売ヤーが幅をきかせるようになってきた。今の世の中転売ヤーしかいなくなってしまったので、若者は「せどり」という言葉を知らない人も結構いそうな気がするけれども、中古品を安くどこかから仕入れてきて、仕入れ価格より高く売って利益を得る。それって転売だから転売ヤーだと思う人、ただの転売とせどりには大きな違いがある。

知識、教養、目利き、それがなければせどりは出来ない。品薄の売れ筋ゲーム機に徹夜で並んでゲットすれば確実に購入価格より高く売れるみたいな簡単な話ではない。

私は書籍とかレコードじゃなくて、ヴィンテージの食器とか洋服のせどりはやっていた。せどりにはその分野の知識ががっつり必要になる。たとえば食器だったら、各メーカーの歴史から頭に入れる必要がある。どのメーカーが創業何年で倒産が何年で、そこが廃業してから型を買い上げたメーカーがどこでとか、ここのメーカーの人が倒産後ここのメーカーで製品開発に携わってたとかも、いろんなメーカーのいろんなモデルを理解する一助となる。

刻印で製造時期を判断する時、「1940年代前半のが品薄なのは戦時中に軍需製品作らされてたからだな」とか「戦後に刻印が変わってるのは生産体制が変わってバンバン大量生産大量販売に向かったからだな」みたいな、社会情勢の変化と重ね合わせて考えたりもするし、食器のデザインや使われるパーツの素材の変化も、時代の空気感、トレンドと連動してる。食器という小さな日用品から世界の歴史やトレンド、カルチャーまで含めたビッグ・ピクチャーを眺めるのは一言で言うとロマンなんです。それは書籍でもレコードでも洋服でもそう。一度手放してしまうと入手困難になるようなもの、そこにはどんな価値があるのか、どんな背景があるのか、考えなければそれはただの中古品でしかない。「せどり」とはただの中古品にとどまらないものを拾い上げる知識と目を持った人たちの間でやりとりされるものなのだ。

転売ヤーとせどりの大きな違いはその知識や教養のあるなしだけでなく、転売目的で勉強するところから始める人はまずいないというところ。きっかけは様々だろうけど、自分の好きなもの、趣味が高じて知識が蓄積され、自分が欲しいものを買おうと探している時に破格の値段で売ってるものに遭遇したり、自分が集めたものが集まりすぎて置く場所に困って間引きの必要性が出てきたりと、そういったきっかけがせどりに繋がる。


これを読んだカワイさんのツイートが面白すぎたので追加しました(15:17現在)。さすが北海道w



ホントこれなんですけど、寄り道したくない、遠回りしたくない、時間も労力も使わずに必要なものだけつまみたいって感覚の人が、勉強して知識を得る必要のない転売ヤーにしかなれず、高額で売れるものリストにお金を払ってしまう、在庫を抱えてしまうんだろうなと思う。

せどりは趣味の副産物であり、その趣味を突き詰めていく中寄り道したり遠回りしたり、後になって考えると選び間違ってたなと思ったり、紆余曲折を経て精度が上がるものなので、そういう意味ではタイムパフォーマンスもコストパフォーマンスも全然悪くない。むしろ良いとしか言いようがない。そのプロセス全てが知識となり教養となり、自分の血肉になるのだから、そこには無駄なんて存在しない。全てが学びになる。勉強せずに「売れるものリスト」に金を払う転売ヤーとか「1日5分で名作を読む」とか「ファスト教養」とか、毎日コツコツと時間を無駄にして教養が身につかないコスパタイパの悪いライフスタイルよりずっと効率の良い知識の仕入れ方なのだ。今の若者みんながそれをわかってないとは思っていない。わかってる人はちゃんと時間を有効活用してるんだと思う。そうじゃない人との差が出てくるのは30代以降なので、それまで楽しみに、コツコツと自分の信じるものを積み重ねて待つといいです。「ファスト教養」でタイパコスパにセンシティヴなオレも、岩波文庫端から順番に読んでくオレもみんな、30代以降の人生がどれくらい豊かなものになるか、楽しみに待つといいよ。


今日の1曲


今日のパンが食べられます。