Nosutarujikku novel Ⅱ 小雪 ④

「時間があるなら、少し話を聞いてもらえないかな?」
「ええ、いいですよ」 僕も少し話がしたいと想っていたので丁度よかったとその時は思った。
喫茶に入るとコーヒーを飲みながら、彼はどう切り出すべきかと言葉を探しあぐねていた。
「実はね、パリに行くことにしたんだ」
「へえ、それはすごいじゃないですか。 おめでとうございます。 
 小雪さんもいっしょですか?」
「いや、小雪には言っていない」
「言ってないて・・・それは・・・・・」
「うん、暫く別れようと思うんだ・・・ほんとうに世話になっているん
 だが・・・」
何だか煮え切らない、判然としない話だし、この人は一体何を考えているんだと、・腹立たしくなり、強い言葉で・・・
「暫く別れるって、納得できません」と言い放った。
彼は少し笑い
「ごめんごめん、今笑ったのはその君の態度が微笑ましくてね、笑って
 しまった。でもそういう君だから小雪をまかせれるかなって想って
 ・・・・・・・」
「僕に、小雪さんを・・・・・あなたの変わりは誰も出来ませんよ。
 第一役者が違う。僕みたいなひょっこに務まりません。小雪さんには
 あなたが必要だし、あなたも小雪さんが必要な筈だ」
「ありがとうと言うべきなのだろうけど、もう決めたことなんだ」
「小雪は、僕が浮気をしていると思っているのだろうけど・・・僕も君
 と同様そんなに器用じゃない。僕が一流のアーティストになるのが小
 雪の生きがいなのかもしれないけれど、それが一番辛い。僕はもう
 36歳だ。正直小雪と出会ってから伸び悩んでいる。小雪は気遣いの
 天才だからね。その気遣いが息苦しくなると友人の別荘に行って、
 息抜きをして帰る。でもこの繰り返しのなかでは、僕も小雪も駄目に
 なる・・・・・パリに友人がいる。20代の前半3年近くテキスタイ
 ルデザインを学んでいた時があって、友人が何人かいるんだ」
彼は、僕の目だけを視て話し続けた。
「でもそれは、すべてあなたの論理で、小雪さんの気持ちの配慮が一つ
 も無いじゃないですか」
「確かにそう言われればそうなんだけど・・・・・」

突然、彼はテーブルに両手をつき、頭を下げて、「小雪を頼む」と言って、僕の返事を待った。
「お願いですから、頭を上げて下さい。僕は聞かなかったことにしま
 す・・・確かに小雪さんは好きです。でもそれは淡い恋の感情と憧れ
 であって・・・男女の愛からは遙かに遠い処にあるものです。第一僕
 なんか見向きもしませんよ。」
「いや、そんなことはない。君の手紙読ませて貰った。いや、小雪がK
 君から、ラブレターもらっちゃったて、はしゃいで僕に見せたんだ
 よ」
「ええ、なんてことを・・・」
「素直な良い手紙だ」
「駄目ですよ、おだてたって駄目です」

 二人は、そこから長い沈黙に陥った。何か決定的な言葉で相手を納得させようと考えあぐねていた。結局僕の方から切り出した。
「小雪さんと自分の画業とどっちが大事なんですか?」
「それは・・・勿論・・・・・」
「勿論・・・・・」
「どちらも大事だよ・・・だけど・・・今、この決断を決行しなけれ
 ば、僕は・・・僕は」
「自分を追い詰めて、環境を変えなければ何も出来ないのですか?
「あなたの発想はよくわかりますよ・・・でもそれは贅沢なおぼっちゃ
 んの発想です」
「おぼっちゃんか・・・・・・」
「10年間、あなたが生活のことを考えずにすむように、小雪さんは懸
 命に支えてくれたのでしょう。気遣いの天才という一言で逃げ出すの
 ですか?」
「逃げちゃ駄目です。もっとも僕も大学から逃げ出して此処にいるんで
 すけどね。」

二人は笑った。そして又長い沈黙が訪れた。

「わかった。小雪に手紙を書く。そして、それを君に預ける。だけど、
 パリに行くことは前もっては知らせない。」
「そんな、回りくどいことをどうして選ぶんですか?」
「この選択こそが、僕たちが抱えている問題のひとつの形を表している
 んだ」
「よくわかりませんが・・・先程より一歩前進ですかね。とりあえず、
 今日はこれで失礼します。もう一度だけお話しましょう」

彼は、頷き3日後に会うことになった。 

 3日が経って指定の喫茶に行くと、オーナーがこれを預かっていますと言って、袋を渡された。テーブル席に座り、中身を確かめた。封筒が2つ、小雪へとK君へと記してあった。僕への内容はこうだった。
<すっぽかしてごめん。予定が早くなった。小雪への手紙は君が一番良いと思ったタイミングで渡してほしい。置き手紙には暫く遠くに行くとだけ書いてある。宜しく頼む>

余りにもひどい内容であきれ果てたが、小雪さんのことが心配になり家まで見に行くことにした。すると、旅行鞄を抱えた小雪さんが家から出て来る処だった。
「ひゃあ!K君、丁度良かった。明日休みでしょう。温泉行こう、今か
 ら温泉へ」
「ええ、突然どうしたんですか?」
「まあ、いいから、いいから・・・」
小雪さんはバッグを僕に預けて、タクシーを呼び止め、札幌駅までと行く先を告げて、
「偶然って、ほんとう恐ろしいね」とそれだけ言うと、微笑みながら後はだんまりを決めこんでいた。成り行きには逆らわないというのが、僕の信条だが・・・小雪さんは何を決断したのかそれが知りたかったし、手紙を絶妙のタイミングで渡さなければならなかったので、不安を押し殺して、僕は小雪さんについて行くことにした。
道中、小雪さんは僕の腕に手を回したままで、時折、僕の手を握り締め、僕がそれに応えると、小雪さんは安心したように手を緩めた。

 宿に着いたのは、もう9時を回っていた。軽い食事とお酒を頼んで、互いに温泉に入り、部屋で遅い夕食となった。
「温泉は、やっぱりいいね」
「はい、久しぶりでとても疲れが取れました。ありがとうございます」
小雪さんは、あまり食事を取らずに、ハイピッチで熱燗の日本酒から洋酒のロックを、ほんとうに美味しそうに飲んだ。沈黙が僕たちを包むのを、互いに追い払うようにして、駄洒落を言ったり、昔話を面白おかしく話をした。僕も、勧められるままに付き合い酒を飲んだ。しかし、いつまでも彼の話題に触れない訳にもいかないし、さりとて、どのような顛末で温泉旅行に至ったのかもわからずに、こちらからは話の糸口が見つからなかった。

朝が早い僕は、零時を回ると睡魔に襲われ「もう、今日はお開きにして休みませんか?」
「・・・・・そうね・・・・・いいわ、寝ましょう」

隣の部屋には、当然のように布団が二つ並べてひかれていた。
僕は、片方の布団を端に寄せて、先に寝ようとした。  ⑤了に続く

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