Nosutarujikku novel Ⅱ 小雪 終

 その時、「K君、お願いお水を頂戴」と言われた。僕は「はい」と返事をして、コップに少し氷を入れて水を注ぎ小雪さんに渡そうとした。したたかに酔った小雪さんはコップをちゃんと持つことが出来ずにいて、「お願い、口うつしで飲ませて・・・」と静かにいった。
 家先で出会ってから、小雪さんは一つの緊張の糸を緩めなかった。
だから、手紙を渡すタイミングが見当たらずここまで時を待っていた。”今”しかないと感じて、「手紙を預かっています。一寸待って下さい」と言って、そこを離れてバッグから手紙を取りだし、座卓に置いた。小雪さんはお水を一息で飲み、そして手紙を読み始めた。随分と長文みたいに感じた。 暫く読みすすめていると、泪をぽろぽろと流し始め、声ならぬ声を抑えていたが、読み終わると号泣した。
僕は、小雪さんの傍らに座り、赤子をあやすように、背中に手を添えてあやした。
小雪さんは、大きく息を吸って、正座に座り直して僕に深々と頭を下げて礼をした。
「ありがとう・・・ほんとうにありがとう・・・私棄てられたと思ったの・・・だから、雪に抱かれて・・・」 僕は手で遮り、「ほんとうに深い処で、強い縁で結ばれているとずっと感じていました。内容はお聞きしません。今のあなたは、とてもいい顔をされています」
「ありがとう・・・ありがとう・・・・・」 

 池の周りの松の木から雪が落ちる音で目が覚めた。隣に小雪さんはいなくて、慌てて次の間の襖を開けると、もうすでに外出着に着替えを済まして、庭を視つめていた。
「早く、湯に浸かって、さっぱりしてらっしゃい。上がる頃には朝食が来るように手配しておくから。」「はい、ありがとうございます。では行ってきます。」僕はタオルを手にして浴場に行き、湯に浸かりながら、昨日からの事を考えると、何故か体中が喜びで叫び出しそうだった。 部屋に帰ると座卓には朝食が並べられていた。
梅粥と大きな焼き鮭・小鉢に納豆・漬物と濃いめの白味噌仕立てのお椀で、二人は晴れ渡った庭を視ながら、黙って食べた。

 食べ終わり、膳を下げて貰って、新しく煎茶を飲む段になって、小雪さんはまた正座して話を聞いてと言った。
「たった一行の置き手紙を残して行くなんて・・・とても赦せなかった。でも時間が経つとそれもこれも全部自分が悪いんだと思うようになって・・・兎も角も彼の匂いがない処へ行きたかったの・・・」 
僕は沈黙を守り、話を続けるのを待った。
「K君ごめんね。私死ぬつもりだったの。私ほんとうに死ぬつもりだったの・・・一人じゃ寂しいなと思っていると、君が家に来たの・・・君の顔を視たらすごく嬉しくなって・・・思わず想ったのK君と心中しようと想ったの」
「多分、K君は断らないのじゃないかと勝手に想像したりて・・・・・
 温泉行って、湖に身を投げるつもりだったの。」
「でも、手紙を読んで、目が覚めたの・・・自分に素直になろうって」
「そして、悔しいけれど、彼が好きなの・・・」
小雪さんはまとまらぬ気持ちを繋ぎ継ぐかのようにして、自身を励まし、こゝろの決意を固めるかのようにして話続けた。

 小雪さんは封筒を座卓の上に差し出した。僕はキョトンとして
「何ですか?これは・・・」
「東京までの交通費と引越代と当座のお金。」
「いや、それは困ります」
「君はね、まだ若い。東京で再出発すべきよ。映画でも、演劇でも、なんでもいいから頑張って自分の才能を開花させて・・・・君がいてくれて、私達の間の隙間を埋めてくれたから、彼がパリに行く気になれたの、ほんとうだよ」

「そして私もパリに行くことにしたの。一晩掛けて自分自身も彼も、
 君の事も、みんなわかったの。私は、男を駄目にする天才だってね
 ・・・・・・」
「だからといって・・・・・・」
「私は語学の才能があって、五ヵ国語を話せるので、何処へでも行ける
 し、仕事には困らないと思っているの」
「ふ~ん、それはとてもすごい!」

小雪さんは、満ち足りた顔で微笑んでいた。間を於いて・・・

「少し生意気言います。あなたはね、母性が強すぎるんですよ。男はね
 その内側に入ると、とても居心地が良くて甘えてしまうのですよ。
 だから女性はその甘えに応える為のさじ加減をうまくコントロールし
 ないと駄目だと思います」
小雪さんは笑った。
「K君に女の生き様を教わるとは思はなかったわ。でも確かに・・・
 ね」
「話を総括すると、僕はお二人のお役に立ってお払い箱だということで
 すね」
「馬~鹿!」 小雪さんははにかみながら微笑んだ。
「一つお願いがあるんですけれど・・・」
「何?何でも言って」
躊躇いながら、僕は言った。「ハグして下さい」一瞬虚を突かれたような表情を浮かべたけれど小雪さんは僕の方へにじり寄り、僕は瞑目して待った。彼女は恋人のように僕を抱き僕たちは抱きしめあった。この暖かさがいい。この相手の呼吸が感じられるのがいい。そして一つになる想いがいい。

何故か泪が止まらなかった。

小雪さんと彼はその後、ニューヨークへ移り、彼は映像の方へ転身して成功を収め、小雪さんはパーソナルツアーコンダクターとして活躍し、週末は自宅で日本料理を教えていて、それも評判を呼んでいるとニューヨークで活躍する日本人夫婦の特集で知ったのはずっと後のことだ。

 東京に着くと、桜が満開だった。桜吹雪は雪のように風に舞っていた。空を仰ぎ、北の街ではまだ雪が降る日があることを思い出した。

   春の櫻 夏の火祭り 秋の望月 冬の氷像

こんなにも、過ぎいく季節が愛しいなんて・・・僕は桜の透きとおったはかない白さに、この痩せ細った身体を晒しながら桜の森を歩き続けた。小雪さんの微笑みと笑い声を思い出しながら・・・・・・・

桜が散れば春は終わりを告げる・・・ずっとそう想っていた、でも葉桜の碧も僕は好きだ!  
碧の芽生えをこゝろに喫して・・・さぁ、出発<たびだち> 
                               了


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