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電波戦隊スイハンジャー#231 フラウ・イリスは語る

第十一章 プラトンの嘆き、英雄と賢者7

フラウ・イリスは語る


「あーあー、やっぱりやらかしやがりましたね。そーすけ」

と、廊下内の異変に気付いたラファエルが瞬間移動して来てわさび粉まみれのアレクシスを抱き止め、

部下の力量を試す為に親族を利用するのかお前は。

と非難めいた目をゲオルグに向けてから「すぐに目と鼻の洗浄致しますから心配しないで」と言うと患者ごと消えてしまった。

「悪ぃ、ラファエル」

とさっきまて二人がいた空間に向かって片手で拝んだ聡介は気を取り直して悟ときららに「西洋のビジネスマナードアの四回ノック(日本の2回ノックは世界基準ではトイレ用)誰がやる?じゃんけんで決める?」と一応聞いてみたが、

野上先生、またやっちゃった…

と毒気を抜かれていた二人は「もーいーですよー野上先生で」と言って聡介に役目を任せた。

樫の木の扉に付けられたリリーフの獅子の口から垂れ下がるレバーのドアノックを

こんこんこんこん

と聡介が鳴らすと…

「予定のお客様ですね?どうぞそのままお入りください」

という女性の柔らかい声でうぅーん、がちゃり。とドアの電子鍵が開く音がした。ドアノブを回した聡介が扉を内側に押して中に入るとまず淹れたてのコーヒーの香りがふわぁっ、と鼻腔に入り緊張していた心を和ませた。

室内の中央には天然木の丸い応接テーブル。その上には四人分のコーヒーが湯気を立て、中央の大皿には緑色のアイシングで覆われ真ん中にはチョコで点を打ったミニタルトが20個くらい並んでいる。

「カラック、と言うの。中にチョコレートクリームが詰まった私の大好きなお菓子なのよ」

と言ってテーブルの横で微笑むのは半白髪の豊かな髪をバレッタでひとまとめにした年の頃60代くらい。170センチ越えの長身にゆったりとした灰色のセーターに白いストレートパンツを纏い、足元はローヒールのベージュのパンプスという出立ちの老婦人だった。

「私はここではフラウ(婦人)とコードネームで呼ばれているけれどあなた達には本名を明かすわ。

私の名はイリス・クラウゼ」

とフラウ・イリスは聡介、悟、きららの順に次々と笑顔で握手する。

イリスの整いすぎた顔立ちと意志の強そうな緑色の瞳から三人は、

この顔には見覚えがある。

それも最近知り合い短期間で相手の内の苦悩まで知ってしまったほど親しくなったあの子によく似ている!

と同じ思いで顔を見合わせた3人がイリスに勧められるままにソファに腰掛け、マグカップに並々と注がれたコーヒーを口にしてから開口一番、

「フラウ。貴女はその…バイオリニストの上條クリスタと何かご関係が?」

悟のその質問にイリスはコーヒーを一口飲んでマグカップをテーブルを置くと天井を見上げてから深いため息をつき、

「ええそうよ。私がクリスタの母親です。生後半年のあの子を西ベルリンの施設前に捨てました」

と告白した。

やはり、フラウ・イリスは上条クリスタの実母で榎本葉子の祖母だったのか!

「と、いうことは蔡グループの総帥、玄淵と貴女は…」

「元夫婦よ。1974年にシンガポールで知り合い結婚しました。

あの頃の彼は張浩宇(チャン・ハオ・ユウ)という名の医療機器開発で成功した実業家だったわ」

それからイリスはつまんだカラックをゆっくりと味わい咀嚼してからコーヒーで流し込むと、

「私の孫娘、榎本葉子のお友達の皆さん。
東欧出身のヴィオラ奏者だった私がなぜスイスまで逃げて隠れて暮らすようになったのか聞きたい?」

と葉子と同じ深い翠玉色の瞳で客たちの顔をじっ…と見ながら訊ねた。

「貴女がお話しになりたいなら」と悟の答えに。

そうね、とうとうこの時が来たのね。

と呟いてからイリスは過去を思い出しながら自分の半生を話し始めた。

1948年に旧東ドイツのベルリンで生まれた私は、

父は役人、母は音楽教師といういわゆる普通の家の子で戦後間もない時代でしたが、

街には歴史ある劇場と有名な音楽院、演奏家の卵たちの奏でる音で溢れ、

音楽は日常。

という環境で育ちソリストになる事を夢見ていました。17才の時、地元の音楽院への進学準備をしていた私に父が突然、

「お前たち、信じられないだろうけれど『本当に』壁が出来るから早く西側まで逃げるんだ!」

とパスポートと何処から集めたのか私たち母娘が5、6年は暮らせるほどの大金を二重トランクに詰め、「進学先の音楽院選びのため」という名目で私は母と二人でパリまで逃げました。

その翌年、あのばかげた壁が故郷の街を東西に分断し、いくつもの家族を引き裂いたのは言うまでもありません。


パリ音楽院に入学した私はそこで必死に学び、卒業前にヴィオラ奏者としてヨーロッパのある楽団と契約を結び自分の力で食べて行くチャンスを得たの。


楽団の一員として働き、故国の四倍もの給料を稼いで海外の高名なソリストたちと共演した8年間の楽団員生活は人生の中で最も充実した日々だったわ…

楽団のシンガポール公演の時だった。本番を終えて楽屋に帰ると私の席に毎日ペチュニアの花束が置いてあったのよ。

Deine Leistung ist beruhigend

Zhang hao yo

(あなたの音に心安らぎます、チャン・ハオ・ユウ)

という手書きのメッセージカードまで添えてね。

「ねえねえイリス、その人初日からS席で聴いてくれているお客じゃない?」

「きっとあんたの熱烈なファンね。近日中にデートのお誘いがあるかもよ」

と同じ年頃の楽団の仲間にからかわれて「や、やめて頂戴よ…」と私は赤面しました。プライベートでも稽古づけで恋愛経験がほとんど無かったのです。

最終日の公演後、楽屋に戻った私の前に白いバラの花束を持ったハンサムな東洋人の青年が現れました。

「イリス、とても疲れているところを済まない。公演後に一緒にディナーを。とハオユウ氏からのお願いです、勿論、返事はあなた次第です」

と同僚たちの前で楽団マネージャーを介して言われ、断りにくい状況になった。と思った私は、

「解りましたわ、但し、演奏直後でとても疲れているので着替えの為に2時間いただけないかしら?」とこれだけは譲れない条件を突きつけ、

「急に誘ったのは私です。もちろんお待ちしてますよ」

と彼は流暢なドイツ語でそう言うととても感じのいい笑みを浮かべて花束を渡し、楽屋から去りました。

ルーティン通りにホテルの部屋に戻ったらベッドの上で脱力して仮眠を取り1時間後にアラームが鳴るとシャワーを浴びて髪をまとめて化粧をし、

ディナードレスに身を包んだ私は約束の時間にホテルの入り口から出ると運転手付きのリムジンが停まっていて内側から後部座席のドアを開いたハオユウが

「どうぞ、フラウ・イリス」と言って馬車に乗った王子様みたいに私を迎えてくれました。

「とにかくここのチリクラブは最高なんです!」

と地元で人気のシーフードレストランの個室で二人きりになった私たちは濃厚なカニ料理を中心とした中華コースを楽しみながらお互いの生い立ちを語り合いました。

私は母と共に壁が作られる直前の東ドイツから逃げてパリ音楽院を卒業して今は楽団のヴィオラ奏者として演奏活動をしている事や、パリで音楽教師の職を得て私を支えてくれた母は今病気療養中なこと。

彼は祖国の政変で両親を失い兄と共に故郷から逃げ出し、泳いで香港にまで辿り着いてからはホテルの荷物運びとして働いていた所をあるイギリス人実業家に目をかけられ、援助を受けて医学校を卒業しビジネスで成功するまでに至ったことなどを話してくれた。

「もし願いが叶うならば、生き別れた兄にもう一度会って、何でもしてあげたいです…あなたは?」

「私も同じ。検閲を受けても手紙のやり取りはしているから生きている事は判っているけれど、壁の向こうで暮らしている父さんに会いたいわ」

…この人、イギリス式の教育を受けたからマナーも完璧で食べ方が綺麗なんだわ。

てっきりアジアの成り上がり企業家の息子で苦労ひとつ知らない奴だと思ってたけど、私の想像を超える苦労をして来て、そして私と同じ会いたくても会えない家族が居る。

祖国の政情に蹂躙、または抑圧され家族と離された生い立ちを持った男女が惹かれ合うのに時間は掛かりませんでした。

食事を終えた私達はハイヤーを待っている間にレストラン入り口で二人並んで立ち、ふと指先が触れてどちらからと言うでもなく手を繋ぎ合っていました。

「フラウ。今夜の事で貴女がもっと好きになりました…ここにはいつまで滞在できます?」

「終演から三日間は自由時間よ。大体同僚と買い物したり観光地に行ったり」

「もし貴女が良ければ観光案内させてくれませんか?」

「ええ、嬉しいわ」

と答えた私はそれから三日間を彼と過ごし、空港に見送りに来た彼のプロポーズを受けて帰国後のパリで式を挙げて一緒に暮らし始めました。

娘の結婚まで見届けた母はひと月後、末期癌であまり苦しまずに逝きました。

翌年に娘が生まれ、彼の黒い髪と私の緑の瞳を受け継いだその子にアガーテと名付けたの。

幸せだった。とにかく幸せだった。

香港を拠点にした実業家で海外出張が多いけれど帰ってくると思いっきり愛情を注いでくれる子煩悩な夫と可愛い娘。

ずっと浸っていられると思っていた幸福の正体が、

真実を知らず与えられた安寧に呆けていたことだ。

と知ったのは娘が生後5ヶ月になり仕事復帰の準備に、とベビーシッターとして雇ったドイツ出身の40代女性、アマーリエと共に街に買い物に出ていた時だった。

路上で杖をついた老人とすれ違う時突然、ベビーカーの中から娘が大きな声を上げたの。立ち止まった老人が娘を覗き込んで、

「可愛い赤ちゃんですね」と声を掛けてくれた時、その穏やかな響きの声と深い緑色の瞳で老人が誰か気づいてしまったの。

「…まさか、お父さん⁉︎」

「久しぶりだね、イリス」

何かの特権でもない限り国外に出る事も出来ない父がなんでここに?

1975年初夏、パリ10区。

14年ぶりに父に再会できた嬉しさと困惑が入り混じった気持ちのまま突っ立っていると、

「パルドン、マドモアゼル。(すいません、ご婦人)立ち話もなんですから一緒にランチでもいかがです?」

と父に促されすぐ近くの人気の少ないオープンカフェで父と私、娘を抱いたアマーリエと同じテーブルに付くと父は開口一番、

「事は急を要する。イリス、すぐに孫を連れて逃げるんだ」

と自分が東ドイツのスパイである事と私が結婚した男の正体を教えてくれたのです。
























































































































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