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アニメーションの精神分析「君たちはどう生きるか」宮崎駿

 第13回日本精神分析的心理療法フォーラムの企画分科会で岩宮恵子先生、太田裕一先生とジブリの最新作「君たちはどう生きるか」について話します。とても楽しみにしています。
 興味がある方はぜひご参加ください。オンライン開催もあります。

日時:7月6日(土)16:30 〜 19:00 「アニメーションの精神分析」
シンポジスト:岩宮 恵子、太田 裕一、岩倉拓
指定討論:小林 陵 
司会:武藤 誠

大会テーマは「精神分析フイールドへの招待」です。お申し込みは下記より。

「君たちはどう生きるか」 あざみ野心理オフィス 岩倉拓

 ジブリ好きの知り合いは「いまいち意味がわからなかった」と首を傾げ、別の知り合いの5才の娘さんは、映画が怖すぎて途中で劇場を出たそうだ。たしかに今までのジブリとは違う。今までのジブリでは、あくまでもアニメーションで「向こう側で起こっていること」という距離があった。しかし、「君たちは〜」は題名からしてそうなのだが、観る側にすぐには言葉にできない「何か」が生じやすい。
 主人公の眞人にカエルやフナが大量にまとわりつくシーンや、青鷺のシーンなど、終始、不穏さと不気味さが漂っていて。私の場合は久しく忘れていた記憶がフラッシュのように蘇った。

 中学生の私は理科の教科書の「カエルの解剖」の単元に惹かれ、待ち遠しくて仕方なかった。しかし、女性教諭は無情にも「解剖実習は解剖用の(養殖の)アメリカツメガエルが手に入らなかったので中止」と告げた。諦めきれず「僕たちが捕まえてくるので、カエルの解剖やってください」と直談判し、先生は「6班分のカエルが必要」なことを告げた。私たちは、田んぼや野原を手分けして廻り、11匹のヒキガエルとガマガエルを捕まえた。捕らえたカエルたちをビニール袋に入れていると、深夜、一斉に啼き、蠢き、母がノイローゼになるなどを経て、解剖の当日を迎えた。解剖は難航を極めたのだが、なによりも大きな問題はその「におい」だった。6匹のカエルたちから耐えられない臭気が学校中に立ち昇った。それはカエルたちがもつドブの臭いに加えて、死に瀕して大量に放出したアブラ、臓物、消化途中の食物が混じり合った強烈な異臭だった。

 「君たちはどう生きるか」は、私にあの時の異臭と一連の苦い記憶を思い起こさせた。それは野生のカエルの臭いであり、自然の真実の臭いであり、あの頃の自分自身の残酷さや屈折を含んだ生臭さだ。
 こうした観る側へのさまざまな喚起は、巨匠となった宮崎がプロットや商業的要請に縛られず、制約なしに自分を描いていることの証左に思える。戦争という時代のきな臭さが立ち込めている。そして、時代に翻弄される宮崎家と目される家族の異臭。そこに、パーソナルな嫉妬や憎しみ、憤怒、妥協やへつらいといった宮崎駿自身の意識・無意識の異臭が絡み合っている。そして、それと対になるように、愛情や希望、勇気を基盤に、現実と幻想の間をどう生き抜いてきたかが描かれる。そのことによって「君たちはどう生きるのか?」という生臭く、答えのない問いを私たちに、人生を賭けて宮崎は提示しているのだ。
 フォーラムよりこの課題をもらってから、あの臭いがずっと私にこびりついてしまった。当日はこの映画を私なりに「解剖」し、その強烈な臭いの正体を見極め、すこしでも解放されたい。私の分析臨床の実践がそれにどれだけ役に立つのか個人的に興味をもっている。(了)

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