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エッセイ#24 「焦げたパンと木曽路が紡ぐ、親子愛」

「パンの焦げめはママの愛情なの♡」

私はシリアルはサクサクのうちにたべたいし

トーストのパンは焦げ目がついていた方が好きだし、

唐揚げはちょっと冷めて身がきゅっと固くなった方が好きだ。


今日の朝少しだけ寝坊して、朝バタバタしていた。というかバタバタしていたのは息子だけで、在宅の私はバタバタする必要はなく、むしろバタつく息子の横で相棒の右京さんばりの優雅さで大袈裟にコーヒーを飲むという演出をしていた。


今日の朝は5カットの食パンに、先にたっぷりとバターをぬって焼くシンプルながら、バターの量や焼き加減など私のこだわりの朝食。


顔にパックをしながら、オーブンレンジを超近距離で見張り「いまだ!」というころで扉をあける。その瞬間は「江戸川コナン、探偵さ」ばりに

私がかっこいい瞬間なんだ。


くそー!焦げ目があと20秒たりないではないか!


いかんいかん。


パタンともう一度扉をしめると息子が、


「まじで早くして!あと5分しかないから!」と焦りぶちぎれてきた。


ノンノンノン


「パンの焦げ目はままの愛情なんだから♡一番おいしい状態で食べてほしいのよ♡てへっ」とめちゃめちゃぶりっこかましてやった。


ちなみに私は息子の前では永遠にふざけている。

インディアンズのひまわりを胸ポケットに指してる方なみにずっとボケつづけている。


じゃない方、ではなく

ひまわりを胸ポケットに、の方だ。


すると、このあと衝撃的な事実が…


「俺はその焦げ目がきらいなんですけどねー!」


えっ...

そうなん?そうなんなん?


私の最大の愛情表現はむしろ迷惑だったん?


その後は無表情で皿にパンをおき、すっと息子にパンと麦茶をだした。


すると

「パンと麦茶って、合う?」


息子はいつも食べ物と飲み物のマッチングを気にする。さすが料理人の息子だと言いたいけれど、母親からすると、「まじでなんなん?」でしかない。いま、私ははっきり言ってすねてる最中なんだ。



そうだ、お正月に名古屋の実家に帰省したときのこと、


名古屋あるあるなのかな?上京して15年たつ私にはもう、わからないけど、大切な日は"木曽路"という母の絶対的なお決まりがある。


だからだいたい父の○回忌とか、お正月とか、

大切な日は絶対に"木曽路"に、連れてかれる。


そう、連れてかれるんだ。


私は正直、木曽路より"風来坊"の手羽先がいつだって食べたい。ちょっと高くて質のよいサービスもありがたいが、名古屋に帰ったら大きなジョッキでビールをのみ、手を口を、汚しながら手羽先がたべたいんだ。


東京では基本的に夫の前では女らしいをいまだにぶちかましている。


そう、ぶちかましていのだ。


母親が、木曽路の予約がとれないと焦っていた。そりゃそうだ、、正月の予約はもっと計画的に前もってしておかないとー。

東京では絶対にしないが、缶ビールを缶のまま飲みながら、適当な会話をする。


「手羽先でいいじゃん!!」


お酒の力をかり、意を消して言った!!


手羽先、じゃない!


手羽先、いいじゃん!が正しい。


「お正月に居酒屋なんてだめだめ!」


即、却下。


母親はとにかく、高いものがいいと思っている。

以外と実は私は育ちがいいのだ。


でも、私は母が"木曽路"に連れていきたい理由をちゃんと理解している。

母親は自分が"木曽路"に行きたいというよりも、

東京で頑張る娘や息子に良いものを食べさせてあげたいのだ。


それは、私が息子にこだわりの焦げたパンを出したい気持ちとまったく同じなんだ。


ただ、息子は焦げたパンが嫌いで

私は"木曽路"ではなく手羽先が食べたいんだ。


愛って難しい。


相手を喜ばせたいなら、焦げてないパンを出すこと、手羽先を食べにいくことが正解のはず。


これに共通することは、たぶん、


親子だということ。


いつまでたっても、私がいくつになろうと、

親からすればずっと子供。


えりちゃん、なのだ。


子供のために自分がいいと思っていることをしてあげたい。親と子供の間にはコミュニケーションなんてあってないようなもの。


むしろ、嫌だと思っても愛情を感じて受け入れてしまう。愛の究極の形なんじゃない?


私は自分の全てを分かってほしい、

受け入れてほしい。それが愛だとは思っていない。


好きだから、我慢してしまう。

好きだから、合わせてしまう。


これこそ愛。


まるでシェイクスピアみたいだ。


素敵やん。



えりな





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