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【ショート】バレンシアガ キックス

彼は満足そうに「バレンシアガ」のスニーカーを履いていた。派手でモード。先鋭的で女性的なデザイン。
仕事柄、しょうがないのだ、と言いながらも彼は微笑みながら己の足先を見つめる。
彼はとても上手に履きこなしていた。
おそらく、クリストバルのクリエーションを世界で最も理解していた人間の1人だったろう。

けれど。
あの無骨なブーツはどうしたのだ?
黒々とした鉄板入りのブーツは?
90年代の夜の街を怒りを込めて踏みつけていたあのブーツは?
このブーツ以外、一生涯なにも履かないと豪語していた男ではないか?
牛皮を使った無愛想なあいつを溺愛していたではないか?
いつまでもうっとりと見つめていたではないか?

何という二枚舌だろう!
僕は彼を痛罵した!
彼の豹変、軽薄を面と向かって、罵ってやった。
あの頃の己自身に謝れと、僕はきっぱりと言ってやった。全身を牛皮で覆っていた若き日の君はどこへ消えたのか、と言ってやった。

彼は僕の訴えを聞きながらも、じっと足元の新しい恋人から目を離さなかった。
それから、無言になった僕に目を向けると、にやりと相好を崩し、「心からお詫びします」と一言呟いた。

僕は舌打ちをした。
これが(流れ行く)と書いて(流行)というヤツなのだ。
僕は雲ひとつない5月の空を仰いだ。
それから自分の足元に目を落とした。
そこには加水分解の始まっている古ぼけたスニーカーの姿があった。





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