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「痛み」と向き合うってこういうことか。自分の中の多面性を知る。自己変容のはじまり体験記〜ZaPASSコーチ養成講座Advance合宿にて〜

こんにちはいわあゆ( @iwa_ayu )です。

(あちこちで何度も語っている話ですが)2022年は自分にとって本当に大きな人生の転機でした。

今回は2022年5月から通い始めたZaPASSコーチ養成講座の集大成的プログラムでもあるAdvance合宿で体験した、忘れがたい宝物のような時間について残しておきたいと思います。

今回の話を綴る上で、本題にすぐに入りたいと思いつつ、少しその背景から記しておきます。


コーチングとの出会い

40歳を迎えた2022年。
意気揚々と転職したベンチャーで心身共に疲れ果て、自分を取り戻したい一心で、東京を離れ、移住、そして退職、独立。

80歳まで生きると考えた時、「ここからが人生の第2ステージ始まりだ」と感じ、ある意味新しい人生の幕開けとなる年でした。

ベンチャーで経験したキャリア・人生への失望感に打ちのめされていた私は、それでも希望を諦めきれず、この窮地をなんとかして抜け出したい一心でした。

当時、コーチングによってキャリアを見直したいという思いよりも、コーチングによって自己革新したい気持ちの方が強く働いていました。

なぜなら「もうこんな苦しい思いは十分味わった。これ以上繰り返さなくてもいい。」という強い気持ちがあり、自分と徹底的に向き合わねば!と覚悟を決めたからです。

その時わたしが打ちのめされていた問題は、初めて味わったものではなく、何年も前から繰り返し繰り返し発生し、その都度自暴自棄になったり、状況を強制リセットしてなんとか回避してきたことでした。

それまで根本を見直したり本質的な改善に取り組むことはなく、どこか「こういう生き方しか自分はできないから」と諦めている部分もありました。

40歳という節目に起きた辛い出来事は、後半の人生をどう歩むのかを自分が問われているようにも感じることで
「今度こそ決めたい」
という自分の中の覚悟が、コーチングを学ぶということに迷いなく意思決定したのでした。これまでの人生で一番大きな自己投資です。

なぜ「コーチングを学ぶ側」を選んだのか?

40年間も生きてきた自分の思考のクセは、繰り返し繰り返し深く刻み込まれたもので、そうそう簡単に治せるもんじゃないなと確信していました。
徹底的に自分と向き合うためには、クライアントとしてではなく、コーチとしてコーチングを学ぶ方がより良いと思えたのです。

コーチングはコーチの在り方がセッションの質を左右します。
コーチがいい状態でなければ最高の時間を提供することは出来ません。
だからこそ、「良いセッションを提供できるコーチになるためには、どんな心の在り方が必要で、それはどのように育み、どう大切にし続けるのだろう?」
そんな探究心からコーチングを学ぶことを決断したのです。

コーチングを学ぶことで、みるみる進んだ自己革新

コーチングを学ぶ側を選択した自分は大正解でした。
クライアント体験で得られるものも大きくなったし、毎日のように受講生同士で行われるペアコーチ(コーチングの練習)も、糧になりました。

コーチングを学んだことで対話の感覚も変わりました。
雑談の中で生まれる何気ない問いかけをキャッチして、勝手に内省がグルグル進んでいくこともあり、人との対話全てがすべて自分のリソースになっていくかのような変化がおきました。

自分が逃げてきたことに向き合うことへの抵抗は減り、自分という人間を知っていくことがどんどん面白くなり、不器用で何かに抗って生きてきた自分も、不完全でポンコツな自分も愛おしいとも感じられるようになっていきました。

これまで自己肯定感が低い自分を憂い、「何者かにならなければ評価に値しない」と決めつけ、誰かに評価されたくて、あれやこれや手を出してみては中途半端で挫折する人生だったのが、最近では「どんな自分であっても、かけがえのない存在で、ありのままでも良いんだ」と思えるようになりました。

いまや、自己肯定感が高いとか低いとかどうでも良いと思っています笑。

日常で、負の感情に振り回される機会もどんどん減っていきました。
全く感じなくなったわけではありませんが、負の感情が芽生えても、その自分をメタ認知することで、手放しやすくなってきた感覚です。
(それまでは、恨みつらみは墓場まで持っていって何代先までも妬んでやる、くらい執念深い人間でした笑)

まだまだ眠ってる自分に気がつく

そんな日常変化を味わって迎えたAdvance合宿当日。
この合宿はお値段的にかなり気合いの入ったプログラムなので、以前の私だったら「何か自分にとって役に立つものを持ち帰らねば!」と意気込んでいただろうと思います。

でも、すでにここに来るまでに自分を受け入れ、赦せるようになってきた自負があり、「結構自己受容できるようになってるな、自分」と思っていたので、当日も力まず、「まぁもし何も得られなかったとしても、ここにきてるだけで十分だなぁ」と思っていました。

「自己受容できているぽい自分」を全く疑わず、「もうこれ以上、自分から何も出てこんだろう」くらいの感覚でした笑

拠点となった宿坊

全く違ってました。
まだまだ自分の中には、ふたをして見ないようにしていた面がありました。
プログラムによって、そこにアクセスしやすくなった時間でもありました。

恐れを受け入れ、全体とつながっていく

言葉では語り尽くせないくらい豊かな世界でしたし、これから臨まれる受講生の方のためにもプログラム詳細は割愛しますが、行った人にはこの見出しの意味合いが伝わるだろうと思います。

神々しい空気が漂う伊勢原の大山を、ひたすら登って降りるというシンプルな運動ですが、ただの山登りではなかった。
完全にナメてました。
ことごとく概念を覆される時間でした。
仲間と過ごしつつも、徹底的に自分の内側とつながっていきました。

自分が抱えている「恐怖」と、ひたすら向き合う時間。
実は私は数年前、北アルプスで下山中に崖から滑落する事故を起こしたことがあります。
それ以降、山を登るのも降るのも怖くなり、行かないわけではないけど全力で楽しめなくなっていました。

この場所がターニングポイント

「コーチングの合宿だし、そんなにアクティブなことはないだろう」と甘く捉えていたのですが、全然優しくないガチの山登り。

で、開始早々「これ、やばいんじゃね?」と焦りと「いや、きっとそろそろ終わりだよ」と励ます自分と葛藤しながらの時間でした。

行きは息が上がり、足が思うように動かない身体のしんどさとの戦いで、帰りは滑落のトラウマを思い出す、ただただ恐怖の時間でした。

さらに、天気はあいにくの悪天候。
足元は滑りやすく、「滑落した時と同じようにまた落ちてしまったらどうしよう」という気持ちと、「そうなりたくない、絶対に滑らない」という強張りとで、頭の中はいっぱいいっぱいでした。

一緒に行った仲間たちは、体力がバラバラで、わたしと同じようにスローペースの人もいれば、講師タケさんに続き、サクサクと難なく降りていく人も居ました。
そんな人を見て、「うらやましいな、私も滑落さえしなければ、こんな山、怖くないのに!」という気持ちが芽生え、後半には、終わりが見えず恐怖からなかなか離れられない状況に「怒り」すら芽生えていました笑。

この1日目の体験が、翌日の自分を大きく変えます。

変化の兆し

下山後、へとへとの自分は意気消沈していました。
「やっぱり楽しめなかった。全然余裕がなかった。」
悔しくて情けなくて、悲しい気持ちでした。

下山後の食事を済ませ、お風呂に入ってからもスパルタの合宿は続きます笑。
深い時間になるまで、内省と対話を繰り返し、「もうそろそろ解散かな…(眠くて目が開かなくなってきたぞ…)」という矢先、
「さぁそれでは外に散歩に行きますよ」とタケさん。

さすがに「マジか!!!」となりました笑。
クタクタだし早く寝たいし…と思いつつも、トボトボと坂を登り始めたとき、ふと横を歩いていた仲間の顔が目に入りました。

なんと「楽しくてたまらない」感じの笑顔でした。
その方は趣味でトレランをされる方なので、おそらく1日目のプログラムは何の苦労もなくこなせたのだと思いましたが、その時わたしの中に生まれた感覚は「この人すごいな。この時間を楽しんでるなぁ。さすがに私は坂を登ることを楽しむのは難しい。でも私なりにこの時間の楽しみ方ってできないかな?」という視点でした。

「坂を登る行為は楽しめない。でも、この時間の楽しみ方は坂を登る行為だけではない」という視点から、アイディアが生まれてきました。
特別なことではなく、「頭の中で音楽を流しながら踊る(ように登る)」ということでした笑。

わたしは幼少期から数年前までストリートダンスをやっていたので、踊っている時は不思議と疲れを感じにくい感覚がありました。
その時ふと浮かんだ音楽がBTSのbutterだったので、頭の中で歌いながらそのリズムに合わせ、ステップを踏みながら登ってみました。
(後ろにいた人たちからは「いわあゆさんノリノリで楽しそうに登ってたね」と言われました笑)

そうすると、どうでしょう。
不思議なことに、あんなに憂鬱だったのが急に楽しくなり始めたのです。

そのまま上まで行くと、なんだか清々しい気持ちになっていて、「翌日もこの感じで行けそうな気がする」という感覚が芽生えてきました。

観察することで見えてきた「本当の願い」

その日の内省をしっかり行い、翌朝。
自分が葛藤していた「下山中の内面」を観察してみることにしました。

恐怖の裏側には様々な思いが絡み合っていることが分かりました。

・滑落そのものが怖くてたまらない自分
・(怪我、周りへの迷惑、合宿への影響など)滑落したらどうしよう…と不安になる自分
・恐怖を手放したい自分
・恐怖を手放せない自分を憂いている自分
・本当は山を思いきり楽しみたい自分
・この時間を仲間とハッピーな気持ちで分かち合いたい自分

恐怖心ひとつとっても、こんなに複雑に絡み合うんだなぁ、と思いました。

不安を紐解いてみると、「起こるかどうかも分からないことに対して、あたかも起こることが前提」のスタンスに立ち、「そうなった時にどう対処するか」、「そういうことが起きないようにどう武装するか」と、事故が起こる前提に立って判断や行動を起こしている自分にも気がつきました。
あれこれ不安が先行すると、楽しむものも楽しめません。

そして、ここでまた前日の夜の体験が降ってきます。
「怖いししんどいし、痛いのも嫌だ!そんなことを感じている時間も嫌!」

でも、結局、私は本当はどうしたいんだ?

うだうだと文句や不満を並べる自分に対して、シンプルに問いかけた時…
私は、この山を、この時間を、楽しみたい!
という心の奥からの叫びが聞こえてきました。

大きな存在(山)と仲良くなる

心の奥にある直球の叫びに気がついた瞬間、山への向かい方が変わります。
自分の中の心地よいリズムを奏でながら、気持ちよく歩みを進める。
そうすることで、体は疲れているはずの2日目の方が軽やかに進んでいける自分に気がつきました。

途中、タケさんのレクチャーがあり、さらに恐怖から解放されていきました。怖くて足元ばかりを見ていた自分が、景色を、聞こえてくる音を、感じる匂いを、風を…その世界を感じられるようになっていきました。

そうして
「あぁ、私は全然見えていなかった。見えているようで、全然感じていなかった。目に入ることと見ることは違うんだ。」という感覚に気がつきました。

下山は全く怖くないのかと言ったらそうではなかったと思いますが、リズムを感じながら、景色を感じながら、自分を信じながら、楽しく歩くということに意識を集中させることで、一歩一歩の足取りが全然別人のようになっているのを感じ、「あぁ自分は今、山を楽しんでいる。嬉しい。私にも山は優しい。誰にでも平等なんだ。なんて世界はおおらかなんだろう。」と思えるようになっていました。

下山し終わって、仲間たちと喜びを分かち合い、「一人一人が各々の想いと向き合いながら時間を過ごしてきたんだな。みんなすごく晴れやかだ。なんて美しいんだろう」と涙をこらえずにはいられませんでした。

痛みと向き合う、分かち合うことの意味

今回わたしが向き合った「生死に関わる恐怖」は、決して山登りに限らず多くのことを気づかせてくれました。
「手放したい痛み」は大小問わず、誰もがひとつは持っているのではないでしょうか。

そういった痛みに対して、素直に向き合うことは簡単ではなく、見ないふりをしたり、隠したり、争ったり、色々な葛藤をすることでしょう。
わたしもそういうことを繰り返してきました。

でもそうやって争っている時は、いつまでも克服できないんだな、ということにも気がつきました。
手放したいと思えば思うほど、執着してしまってますます刻まれていく。

手放すことにこだわらず、本当の願い、本当の在りたい姿に意識が全集中すると、勝手に手が離れていってしまうんだな、ということにも気がつきました。軽やかで、不安なんかあったことも忘れてしまうくらい。

今回わたしが向き合った痛みは、ある意味、非日常的なものではありましたが、それはひとつのきっかけで、日常に潜むあらゆる痛みに対して、日々見過ごしている自分がいるんだろうな、ということにも目が向きました。

ささいな違和感にも目を向け、より在るがままで、力んでいない時間を大切に育んでいこうという気持ちになりました。

これから先のこと

「わたしはもう充分、自己受容できている」と思っていたけど、まだまだ私の中には自分も気がついていないことがたくさん眠っていそうです笑。

自己探求はこれからも続いていくし、ますます自分の人生の味わい深さが濃くなっていくんだとうなという希望と、「だからこそ、人生は楽しい」という心持ちになっています。

自分が経験したことは、これからコーチとしてクライアントさんに向き合う時にも活きてくるなと信じています。

世の中で成功者と言われる人ほど、無自覚の痛みに苦しみながらも、表面ではそれを表現していない人が多いかもしれない、という気持ちにもなりました。それだけ自己圧力が強く、だからこそ大きな成功を手にされているんだろうと思います。

そういった方々が、少しでも自分をゆるませることを見つけ、その世界に身を委ねて、より豊かな時間を見出すことができたら、世界はもっと平和で温かいものになるだろうな、という風に思います。

このかけがえのない体験を大切に、また毎日を楽しんで、そして最高のセッションを提供できるよう、精進していこうと思います。

最後に

ZaPASSの皆様、タケさん、共にした仲間に感謝の気持ちを込めて。
ありがとうございました!

唯一撮ってもらった集合写真

▼講師タケさんによる合宿後のアフタートーク『感じて、ゆるんで、歩く』

▼共に時間を過ごした仲間のnote

▼共に時間を過ごした仲間のブログ

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