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大企業からベンチャーに転職したら沼津に移住することになり、やがてフリーランスになった話

こんにちは、いわあゆ(@iwa_ayu)です。
タイトルの通り、沼津に移住しました。
そして2022年7月1日、フリーランスとして独立しました。(こちらの記事は2022.09.15に公開されたものを再編集した内容になります)


はじめに

沼津に移住した話は背景も含めて別のnoteで触れたので、今回は「お仕事について」のお話しです。
このnoteは未来の自分に残すために、未熟で傲慢で、自分勝手な側面も含めて、ありのままを記したものですが、働き方やキャリアに悩んでいる人もそうですし、マネージメントの立場にあって組織づくりに試行錯誤されている方にも、読んでいただけたら嬉しいです。おそらく重なる部分があるのではと思います。

なお、このnoteはあくまで私個人の主観によるもので、特定個人や法人を攻撃したり評価するものではありません。

このnoteを読む人へのメッセージ

「まさか自分が」という経験をしました。
あの当時の自分は、自分にも、周囲(特に社長や組織)にも完璧主義を強要していました。
これが結果的に自分を苦しめることになり、「パーン」と破裂しました。
人としての未熟な側面が露呈し、自分の弱さや課題を丸裸にしてくれたデトックスの時間だったと思います。

意気揚々と年始に書いたnote(所信表明)が思った以上に反響があり、多くの方に見ていただけてありがたかったのですが、その後の半年間の間に色々な変化があり、気がついた時には「サラリーマンとして働き続ける」という選択肢を手放していました。

意気揚々と書いた当時のnote

まずはMOSHへの感謝

MOSHに転職したことで、思いがけず人生が大きく変わってしまいましたが、今となれば、良い人生転換期だったかなと思います。

それまで「安定した仕事につかなきゃダメでしょ」という建前の自分が強く、「本当はこう在りたい」という想いを奥に仕舞い込んでいたのを、神様が「ちゃんと自分の声を聞きなよ」と言ってくれたんじゃないかなと思います。

途中途中で色々思うことはあったけれど、結果的にMOSHにはめちゃくちゃ感謝しまくっています。経緯の最中、最大限、たったひとりの人生に真剣に向き合おうとしてくれました。

このnoteでは当時のリアルな感情と共に辛辣な様子も記しておりますが、理解ある会社の皆さんのおかげで、応援の温かいメッセージをいただきました。

MOSH役員からのメッセージ

あゆみさん、フリーランスとしての独立、まずはおめでとうございます!
よりよい働き方を模索して、一緒に一つ一つめちゃくちゃじっくり個人や会社の課題を話しましたね笑
その経験は僕や会社にもプラスになっていますし、あゆみさんにとっても糧になっているならとてもうれしいです。
あゆみさんはMOSHにフリーランスとして参画しながら、さらにコーチとして個人の課題解決を支援することで、社会課題に向き合っていく意思決定をされました。
それは新しく、挑戦的で、時代に合った働き方のひとつだと思います。
MOSHとしても、あゆみさんの挑戦を応援させていただければと思いますし、引き続きMOSHのビジョンの実現にもご尽力お願いいたします!
一緒に、多様なアプローチを模索しながら、より良い世界を作っていきましょう。
今後ともよろしくお願いします!

このnote公開にあたりメッセージをいただきました。
引っ越し&独立祝いのお花を送ってくれたMOSHのCTOは、引きこもりのイケメンです。

ずいぶん溜め込んだこともあって自分語りしたいことが多く、なんと1万5千字を超える超長編になってしまいました(笑)

ざっくりでも経緯に興味を持ってくださる方のために、約半年間の間に起きた激動の出来事をダイジェスト版でまとめます。
(この後noteでつづる時系列とは若干異なります)

移住と独立までのダイジェスト

✍️なぜ独立するのか?
・「組織に所属する」メリットを感じられなくなったから
・「個人でやりたいこと」のビジョンが見えてきたから
・未来を考えたり自己投資や準備のための余白を増やしたいと思ったから
✍️退職を決意した理由は
・会社との相性、組織への共感度の変化
・カルチャー、体制等にフィットしなくなった
・業務上、ドライな関係が双方にとって良いと判断できたから
✍️意思決定までの約3ヶ月間の変遷
・メンタルダウンで2週間の休職
・職場復帰直前の降格・減俸の処遇通告
・役員メンターとの対話による徹底的な自己理解
・ポジションやミッションに関する組織との調整・協議
✍️コーチングによるや対話による内的変化
・自分の課題と向き合うためにコーチングスクールを探す
・性格テストによる危機感と本気スイッチ
・衝撃的だったコーチセッション体験とターニングポイント
・キャリアコンサルタントとの対話
・何度と繰り返したセルフコーチング
・他者との対話による自己理解の深堀り
✍️在籍か、転職か、独立か、何を大事にするのかを探る
・カジュアルな転職活動(情報収集)
・身近な人とのキャリア価値観の深堀り
・プロポーズのような強烈オファー
・沼津に移住
✍️今回の濃い経験による学び
・ベンチャーでは「自己受容」が大事
・自己犠牲は何も生み出さない
・救ってくれたのはコミュニティや友人との時間
・社会とのつながり、依存先は多方面に持っておくことが吉
・どんなに忙しくても「余白」が重要
・声の大きい人に振り回されない「自分軸」が大事
✍️これからの生き方、活動指針
・仕事もプライベートも楽しく、全ては自分が豊かになるための時間
・自分がワクワクしないことはやらない
(ライスワーク)地方支援事業と個人支援事業による経験と実績を積む
(ライフワーク)セルフブランディング×コーチングによる個人プロデュース
(その他)移住先のコミュニティとの共生を検討する実験的な取り組み

短期間の間に多くの学びや経験をさせていただきました。
本題に入る前に、たまたま先日見つけたこちらのnoteをシェアさせてください。まさに、病んでいた時の自分のことを書かれているかのようでした。

第1章:心を失ってしまったベンチャー生活

入社して以来とにかくがむしゃらに働いていたのですが、その当時の自分は「ベンチャーで働いているのだから」を言い訳に、プライベートを削り、仕事に人生を捧げるかのような働きかたをしていました。

コロナ禍や私の年齢(今年40歳で、周りはみんなファミリー持ちばかり)など複数の条件が重なり、数少ない友人からの連絡も全部無視。元々所属していたコミュニティの活動参加もしなくなり、気づけば「社会とのつながりは、会社と社長だけ」の生活を続けていました。

仕事に没頭=「完全無双」ではなく、無自覚の「鬱」状態

たまの休日は、疲れ切ってひとり引きこもり、休みの前日から酒を大量に飲んで潰れ、起きたらまた缶ビールを開けてダラダラと漫画や動画をみてまた寝落ちするという廃人のような暮らしをしていました。(終わってる…)

でも、その排他的な時間が、唯一自分に許されたご褒美だと思い込んでいました。

昨年末に未経験の広報PRに職種が変化したことにより、チームで動くことはほとんどなくなり、会社の中では孤軍奮闘状態。
「組織に所属しているのに、なんか自分だけ浮いてるみたいで孤独だな〜」という気持ちを抱えながらの日々。

未経験の職種に抜擢してもらえたことを自信に思う一方で、異動前の仕事を抱えながら未経験領域で成果を出すことのハードルは高く、やってもやっても達成感を得ることなく、ただひたすらに目の前の業務に追われていました。

未熟さゆえ、業務を器用にコントロールすることができず、周りに頼ったり上司に相談することもできず、1人で抱え込んでいました。
平日の長時間労働は当たり前になり、土日も時間を削っているのに、仕事の量はむしろ増える感覚。

気持ちはどんどん落ちていき、「ひとりで頑張っている自分のことを誰かに気がついてほしい」その気持ちが強く出てしまい、「報われない努力をしている自分」にしか意識を向けられず、「気がついてくれない周囲」に対する不満が募っていました。

ここで、やや余談ですが…他社のベンチャーで働く人とお話をしていてめっちゃ共感だなと思ったことを。
「日々あまりにもスピードが速く過ぎ去っていくので、ひとつひとつの取り組みをじっくり振り返ったり味わったりする時間がなくてツラい時がある」という話でした。
しみじみ分かります。
その達成感を味わう間も無く、次へ次へと行ってしまうので、自分で意識的に内省しないと満たされない気持ちになってしまいがちだなと思います。

自戒も含め、頑張って働いているあなたに知ってほしいこと

会社の他のメンバーは、子育てや家族との時間を上手にやりくりしながら働き、プライベートも充実させているのを横目に「自分はなんでできないの?」と、自己肯定感が削られていきました。

「自分は結婚もできず、家庭も子供もいない、仕事しかない。そんな自分が仕事でもポンコツとか、人生終わっているのでは。
40代が近づき、何に対しても無気力になっている自分がいる。これからますます体力は低下していくのに、今までのような猪突猛進で「気合と根性」みたいな働き方は長続きしない。
このままでは明るい未来がない。なんとか自分の働き方を見直さねば」

思いっきり病んでた時の心の声

こんな「世間一般の目」を気にしたマイナス思考が視野を狭めていき、ついに自分の精神的な限界が訪れます。
「このままではマズい」と焦った私は、会社に「働き方やキャリアを相談したい」と持ちかけたのでした。

限界を超えられない自分

それは、組織として重大なイベントのタイミングした。
自分が担当していた広報としてもまたとない大チャンスで、「ここで成功させなければ」というプレッシャーに駆られ、全社を挙げてのプロジェクトとしてリードしようと試みましたが、全部門を横断したカオスなプロジェクトのマネジメントをうまく進めることができず、不甲斐ない自分に対して打ちのめされていました。(※別のプロジェクトリーダーのおかげでプロジェクトは大成功に終わっています。)

なんとか切り替えていきたい!という気持ちから、会社に「キャリアの相談をしたい」と持ちかけたものの、メンタルが落ち込んでいた自分に鋭めのフィードバックが突き刺さり、逃げ場のない窮地に追い込まれている感覚に苦しんでいました。
最終的には会社と対話することもしんどくなり、コミュニケーションが取れなくなってしまいました。

その時のフィードバック(基本姿勢は尊重と応援)

・自分がプロジェクトをうまく回せなかったことをキャリアの問題にすり替えていると感じる(本質的な問題解決ではない)
・どんなに苦手であれ、ご自身のパーソナリティーの課題に向き合ってでも、目の前の課題解決に取り組み、突破することを組織的には求めます
・孤軍奮闘×猪突猛進は、あなたらしい働き方のように思うが、その働き方を変えたい、というなら応援します
・会社としてあなたの人生を最大限応援したいので最善の選択をしてほしい

その当時受けたフィードバックの一部

わたし1人に対して、相当なコミュニケーションコストがかかっていただろうなと思います。1人の社員に真摯に向き合うということは、ある意味細部に至るフィードバックにもつながり、私の全社会議中の発言・態度に始まり、SlackやプライベートのTwitterの言動など、かなり細かく丁寧にフィードバックを受けました。
当時受けた指導には、「ベンチャーは成功体験を分かち合う場で、(リーダークラスという立場で)周囲に不安を冗長するような弱音を決して出すべきではない」というメッセージもありました。

心の余裕がなくなると浮き彫りになる、自分の課題。
でも会社では、その弱さを分かち合うことはできない。
自分でも弱点だと認識していたことを、どうやったら克服できるかわからずに苦しんでいたため、ただひたすらに課題を指摘され続けるだけの時間に感じ、堂々巡りから抜け出せない不安しかなく、ただ苦しい気持ちでした。

「自分の人格に問題があるから上手くいかないのだ」
「前向きな話がしたかったのに、課題だけ突きつけられてツラい。この先一体どうしたらいいのか」
そんな思いがぐるぐるして、暗中模索から抜け出せなくなっていきました。
今でもちょっと思い出して泣きそうになります(笑)

「鬱」の症状を検索すると色々と事例が出てきますが、初期症状として「社会との断絶」「対話が困難になる」とあります。

休職期間中には心療内科を受診し、薬の治療まではいかないものの、カウンセリングを勧められ、自分の心が疲れていたのだなと自覚しました。

思いがけない休職

真面目さと責任感から仕事は全力でこなしていたものの、会社から2週間お休みする指示をいただきました。
最初は「わたし仕事はちゃんとやってるじゃん、休んで何になるの?休んだらもう戻ってこれないのでは?」という気持ちしかなかったです。(この辺の思考がヤバいですw)

休職期間中は、キャリアパスの見直しや業務の棚卸しをしようとも考えたのですが、不在時に引き継ぎを担当してくださった同僚から、「これまでたくさん似たような状況の方を見てきたが、取り返しがつかなくなる前に、とにかく仕事のことを一切忘れる時間にした方が良い。」とアドバイスを受け、勇気を出して仕事のことを忘れることにしました。

普段の生活ではSlackはもちろん個人のFacebookやLINEも仕事の連絡がガンガン入るのですが、その時は全てミュートに、時には電源も落としてシャットアウトしました。

その期間は極力SNSにも触れないようにしていました。

振り返ると、仕事に没頭していた時は、自分が直接関係のないSlackチャンネルも積極的に見るようにしており(広報として社内の動きを見逃せなかったため)、常に膨大な情報を浴びている状態になっていました。

休職期間中は、「読書」と「Podcast(コテンラジオと超相対性理論)」に救われました。仕事のことを忘れることによって、徐々に人間らしさを取り戻していった感覚がありました。

「仕事のことばかり考えなくていいんだ」

自分を解放する感覚

心に余裕が生まれ、ちょっとずつ物事への関心が芽生えるようになりました。休みの日は引きこもることしかできなくなっていた自分が、特に用事がなくても外に出て行く気力も湧き起こってきたのです。
全て年齢による衰えだと思っていたことが、実は自分の心のゆとりが影響していたことに気がつきました。

受け止め難い処遇通知

2週間の休職中、会社側では一連のコミュニケーションやメンタルの状態を鑑みての処遇検討が進んでいました。

いざ明日から復帰というタイミング、会社から降格と減俸の処遇通知を受けました。その背景は、主に2つの観点からでした。

1)自己管理能力等をはじめとする、業務スキルの不足から継続的に業務に支障をきたし、期待される業務水準を達成することが困難と判断されたこと

2)コミュニケーションやフィードバックを重ねた結果、短期間でその改善を実現することも同様に困難であるという会社側の判断と、それに対する双方合意があったこと

処遇決定の背景

自分が思うようにパフォーマンスが発揮できていないと感じる中、「前職の給与水準に伴う会社側の期待と、自分の実力が一致しないことが問題視されているのでは?」という感覚があり、自分からも会社に切り出した話題で、決して一方的な判断ではありません。

とはいうものの…
休職によってメンタルが徐々に改善してきたとはいえ、「処遇通知」という無感情なドキュメントをもらうことは思いがけずショックで、地上に戻りかけたのにまた崖から突き落とされたような感覚に陥りました。

転職時には前職よりも給与を下げて入ったこともあり、「職場復帰後に挽回できるのだろうか」という不安と、「どのようなモチベーションで何を目指して働いていけばいいのか」と、頭が真っ白な状態でした。

第2章:現場復帰と再起動

復帰後まずは、きっちり9時−18時の勤務時間で働く形で再スタートを切りました。どこのポジションで再開するべきかを、私も会社も双方で検討するべきだね、となり、休職中にメンターのように対応してくださった役員のもと、最小限に切り出したタスクを用意していただきました。

現場復帰したものの、挽回できる自信もないまま、改めて「自分のキャリアパスをどう描きたいのか」を整理した上で、会社側とポジションやミッションを定めていこうという話になりました。
ありがたいことに、メンターは徹底的に私の本質的内面と向き合う姿勢や時間を惜しむことなく作ってくれました。

荒んだ心を復活させる徹底的な対話

メンターとSlack上でどれだけ多くの文通を交わしたか、わかりません笑。

「会社でどういう振る舞いをすればいいのか」「自分は何をやりたいのか」「どんな経験を積みたいのか」、いろいろなことを整理しなければなりませんでしたが、答えはすぐに見つかりませんでした。

最初は「休職中に自分の居場所が会社から無くなってしまった」という感覚は拭えず、悔しい気持ちや情けない気持ちが強く出てしまい、そんな自分との葛藤の時間でもありました。

こういったぐちゃぐちゃな感情を受け止めてもらい、対話を重ねることができたのは本当にありがたく「自分と向き合いながら、課題(弱点)をどう乗り越えていくか」を、客観視しながら考えることができました。

あゆみさんの人格が問題なのではなく、対人スキルが身に付いてないだけ

メンターからいただいた温かいお言葉

メンターと話すまで、「自分の人間性に問題がある=会社にとって害である」と自分を責め続けていました。また、自分の課題を認識しながらも、課題を克服できず、同じことを繰り返してきた人生をも悲観していました。

そんな時、メンターから「僕自身も自分のことを受け入れがたいダークな側面はある。でも社会で人間関係を円滑に築くためには必要だという対処スキルを身につけた結果、カバーできた部分もあるから、スキルを身につければあゆみさんにもできるようになると思いますよ」という温かい言葉をいただきました。

メンタルが落ち込み、「人間として否定された!」と思い込み、「もう社会でやっていけない」と感じていた自分には救いの神でした。

同じ過ちを繰り返さないためのコーチング

人としてありのままを受け入れてもらえたことで初めて、自分が自覚している弱点や課題点について、向き合ってみようという勇気が湧いてきました。

対人関係において、自分がなぜうまく対応できないと感じることがあるのか、器用な人の振る舞いになぜ抵抗感を抱くのか、メンターとの対話で一定の自己理解が進んだ一方で、「同じような辛い体験をもうしないでも済むように根本から見直したい!」という気持ちが強くなり、この先の人生、自分を受け入れて生きていけるよう、自分の思考のクセと対策を見つけるためにコーチングを受けてみよう、と体験セッションを予約することにしたのでした。

これが、やがて大きな転機となります。

人生をリスタートさせる移住

きっちりとタスクと時間管理された環境下で働くことがこんなにもストレスフリーなのか、と前向きな気持ちになれた自分に驚いていました。

それまでは、決められた仕事をこなすだけの業務に対して、斜に構えたような態度で「そんな仕事は仕事じゃない」とばかりのスタンスでしたが、決めてもらった仕事でも一生懸命やれば面白さや学びもあり、創意工夫しがいがあって、楽しいという感覚で取り組むことができました。

仕事のリズムが整うと、自分のために使えるプライベートの時間も十分確保でき、自分がやりたかった移住の準備を進めることになります。

移住したよnoteと重複するので割愛しますが、20年近く暮らした東京を離れて「自分の人生を仕切り直したい」という想いを胸に、新しい暮らしを想像してワクワクしていました。

自分を客観視する究極の性格診断

少しずつ心が穏やかになってきたことで自分を見つめ直す余裕を取り戻し、「よし、人格矯正だ!」とコーチングサービスを探していたところ、「マジでやばい」とやる気スイッチが全開になる性格診断と出会います。
ZaPASSというコーチングサービスが提供する自己分析ツール「エゴグラム診断」でした。

私の結果は「感情的な完璧主義者」でした。
ざっくりというと、「感情に振り回される傾向が強く、人間関係構築に難がある」みたいな結果でした(涙)

もう、耳が痛い目が痛いのなんの、「自分が受け入れがたいネガティブな部分が全力で出ちゃってるじゃん」というやるせない気持ちと、「わたしマジでやばいじゃん、どうにかせねば!」という状態でした。

よかったらぜひ、あなたもやってみてね^^

コーチングによって、「なぜ自分がそういう思考になるのか」を掘り下げ、「自分が自分をこれ以上嫌いにならないようにしたい」、そういう期待を込めてサービスを申し込むことにしました。

ZaPASSではコーチを決める前に事前の面談を希望することができ、この体験もとても良い時間になりました。軽いコーチングを受けているかのような面談の時間でした。

「コーチングを受けて自分がどういう変化を期待するのか」を言語化することで、自分の意志の強さを自覚することができ、クライアントとしてセッションを受けるだけではなく、自分の状態を客観視し続けるためにもコーチングを学ぼう、と感じ、養成講座の説明会に申し込んだのでした。

最高のコーチとの出会い

コーチングを学ぶことを決めたと同時に、事前の面談でオススメいただいたコーチの方に体験セッションをお願いしました。
このコーチとの出会いも大きく自分の人生を変えるきっかけになりました。
たったの1回で、自分のプライドを手放す勇気が芽生えていました。

これまでコーチングは何度か受けたことがあったものの、いまいちしっくりくることがなく、なかなか良いコーチと出会えないなと思っていたのですが、「この人はスゴい」と思えるコーチでした。
初対面で緊張もしていたし、感情的にならないようにしようと気合いを入れていたのですが、気づけば涙は止まらず、「どんなに取り繕おうとも、この人には全部バレちゃうな。」という気持ちでした。

コーチングを受ける前は「いろんなことがぐちゃぐちゃになっていて、どうしたらいいか整理できずに混乱している状況から早く抜け出したい。何からどう手をつけていけば良いのか、整理するために力を貸してほしい」と必死の気持ちでした。

例えると、「目の前の床に、積み木が散らばっていてグチャグチャの状態。本当は立派なお城ができていたのに。早く元通りにしたい!」という感じです。

自分の気持ちの変化に驚いたのは、セッションが終わったとき、「床に散らばった積み木はバラバラに散らばったまま」でした。つまり、課題そのものは何も変わっていなかったのです。

でも、「それでいいや」という気持ちになっていたのです。

1時間を終えて、パワーを使い果たした感じでしたが、でもなんとも言えないすっきりとした爽快感も同時に得られていました。
改めてやっぱコーチングの力ってスゴいな、そんな風に思えていました。

第3章:人生の転機

そんな折、自分の中で腹が決まったターニングポイントがありました。
会社を卒業することを決めた出来事です。

今後自分のポジションが広報なのか、カスタマーサクセスなのか、PdMなのか、自分のキャリアビジョンを想像しつつ、メンターとの度重なる対話を通じて少しずつメンタルが回復し、仕事を前向きにこなせるようになってきたことから、具体的なポジションを会社側で検討いただき、新体制で現場に本格復帰することが決まったタイミングでした。

完全復帰を前に行われた面談で、社員としての存在意義を見失っていることに気がついたのです。

私はまだこの時、少人数スタートアップの組織に対して「私の1番の理解者であってほしい」という気持ちが強く出過ぎていました。

面談前の私の心情(会社への期待)はこうです。

「リスクを負って不安定なベンチャーに入社し、これまで全身全霊かけて会社のために努力し、大変な思いをしてきた。極限まで追い込み、休職に至った。休職中には降格減俸の処罰まで受けた。
そんな自分が、本当なら辞めてもおかしくない状況で逃げずに課題を受け止めて、1からまたやり直したいと思っている。
そんなひたむきな社員がいることを、会社は大切な存在だと思ってくれるだろうか。

会社に対する自分の気持ち

私はこれまでの経緯をふまえて、「誰が悪い」とか、「悪者を見つけて追求する」とかそういうことはどうでも良く「お互いに改善点あったよね」という気持ちもあったのですが、この面談で、会社側のメッセージも受け取り、その結果、双方の視点がズレていることが明確になりました。
ここでは多くを語りませんが、マネージメントや組織課題のよくある体験をしたんだなと、自分の中では整理しています。

「今の心境で会社に残るのはあゆみさんにとっての幸せではない」と言っていただき、会社側で再度検討いただくことになりました。

会社も応援してくれる転職活動、開始

本当に理解ありすぎると思うのですが、こんな自分勝手な私に、会社は「MOSH働きながら転職活動をしても良いから、あなたにとってベストな未来を見つけましょう」と言っていただきました。

「期間を区切って、いつまでに残るか辞めるかなどの意思表示してください」と言われ、お尻を決めて本格的に活動をスタートすることになります。

他にも、業務でご一緒していた方のご紹介や、読書コミュニティの仲間など、いろんな方が私のキャリアの相談に乗ってくれました。

移住の引っ越し作業と並行していたという事情もありますが、40代を目前の転職活動は想像していたとおり、まぁまぁキツかったです。

これまで自分のキャリアは「ジェネラリストタイプ」といった「飛んできたボールをいい感じに打ち返す」というところが得意分野で、裏を返せば特定の領域に長けた実績がないということでもありました。

そもそも「ベンチャー入社後1年未満で転職」という条件自体、なにか問題ありそう感がスゴいですし、この年次になると、企業としてはマネージメントレイヤーのポジションを前提としており、組織におけるマネージメント経験が潤沢でない自分には厳しい状況でした。

また1番のハードルになったことが、「やりたいことがない」という問題です。今回、複数名のキャリアコンサルの方と接点を持つことができたのですが、「モチベーショングラフ」や「価値観シート」などを用いてキャリア軸を再整理する時間が求められました。

これまでの転職活動の中で最も自己理解やキャリア軸整理に時間と労力をかけたと思います。数を重ねても「やりたいこと」は特に見つからず、一方で、「どういう働き方をしたいのか」「どんな仕事にモチベーションが上がるのか」「仕事に何を求めるのか」といった観点においては自分がこだわりを持っていることにも気がつきました。

転職エージェントの立場からすれば、具体的な業界や職種がないと話が進められず、相当やりづらいクライアントだったかなと思います。
キャリアコンサルタントにパーソナル相談などもお願いしてみましたが、「あなたの相談は自分の手には負えない」と断られることもありました。

またあるキャリアアドバイザーに自分の強みを「課題解決力ですかね…」と勇気を出して伝えてみた時、「それは新卒でも学ぶ、ビジネスとしての基礎スキルじゃないですか?(強みとはいえないですよ)」と言われたり、「その年次でその給与水準じゃ、特定の領域で成果が求められるのは当然で、そうでもないなら、企業を選べる立場にないですよ」辛辣なコメントをもらうなど、「チーン…(虚無)」という気持ちで、精神的にも疲労感がすごかったです。

仲間の助け

自信を削がれる日々を過ごす中で、私が所属しているコミュニティのメンバーたちは、心があったかくなる救いの存在でした。
うつ状態になっていた自分をオープンにしても、決して態度を変えることはなく、むしろ積極的に対話をしようと手を差し伸べてくれました。

キャリア軸についても、自分が抱える課題感やエージェントとのやりとりを共有した時には、「”課題解決力なんて新卒でも当たり前に養われるスキルだ”とか言っているお前は目の前の顧客をチーンとさせているので終わってませんか、と言ってやればいいんだよ笑」という最高のコメントをくれたりしました。
心が弱っていると、つい声の大きい人の意見に振り回されてしまいますが、「不要な声は無視すればいいんだ」と言ってくれたことで「そうか!別に全部の意見を拾わなくていいんだ」と新しい視点を得ることができ、本当にありがたかったです。「できない自分を責めなくてもいいんだな〜」と自分に優しくなるきっかけにもなりました。

サラリーマンでいることを手放せた出来事

転職活動は苦戦していたものの、ありがたいことに私に興味をもってくださる企業もいて、一社で数回の面談機会を作ってくださるところもありました。カジュアル面談は自分の価値観を整理することにも役に立ち、消去法で自分が違うな、という方向性を手放すことができました。

そんな折、狙ったかのように転機がトントンと訪れます。
まず1つめはキャリア相談に乗ってくださったミライフの菅野さんからの
「そういえば、岩﨑さん、なぜ静岡に移住をしようと思われたのですか?」
という質問でした。

仕事しかせず、コロナで誰ともコミュニケーションが取れず、景色が灰色になっていた味気ない毎日を捨てて、彩りのある自分らしい暮らしを取り戻したいと思っていたからです

改めてそうお伝えすると、
「お伝えしづらいことをあえてお話しすると、移住をすることで自分らしい生き方を手に入れたいと思っていらっしゃるそのタイミングで、これまでのキャリア観点で転職活動を急がれるのはもったいないように思います。移住して暮らしを整えてからゆっくり考えてみても良いのでは?」というお言葉をいただきした。

このメッセージをもらった瞬間は、菅野さんに噛み付きました笑。
静岡に移住してもリモートワークだし、そんなに急に東京の生活と変わるとは思えない。今早く次のキャリアを考えないといけないときに、どうしてハシゴを外すようなことを言うのか、と不安になりました。

一方で、この問いかけは、じわじわと自分の中に残り続けていました。

静岡に移住してからもカジュアル面談を続けていたのですが、東京の職場を選択すると必然的にフルリモートになります。実際にフルリモートOKの企業さんは増えていたものの、ふと浮かんだ懸念は、「誰も知らない新しい環境で0から人間関係構築をしながら新しい業務を覚え、成果を出していくのか…結構大変だな。せっかく静岡移住したのに、結局毎日仕事に追われてしまいそう…」という考えでした。

一方で、社員としての存在意義を見失った状態で給与もポジションも落として会社に残り続けることにも前向きになれず、なかなか決めきれない自分の気持ちに揺らいでいました。

そんな時、次のきっかけがやってきます。
背中を押してくれたのは、元々副業でお世話になっていたリクルートの事業マネージャーKGのプッシュでした。

移住直前に「いってらっしゃい」の飲み会を開いてくれたのですが、3次会のカラオケの部屋で、突然、両方のほっぺたを掴まれ、「サラリーマンを辞めたくなったらいつでも俺のところに来い。俺は君の人生を背負う覚悟がある」と、まるで「プロポーズか!」とツッコミを入れたくなる華麗なセリフをいただきました。

まさにドラマみたいな絵面でした。
本当にびっくりしました。転職活動をしていることも、仕事でうまくいってなかったことも、何にも伝えていなかったのにも関わらず、察するかのようなタイミングでした。
「改めて詳しく聞いてみたい」と連絡すると、こちらの生活に最大限の配慮をしてくださる好条件を提示いただき、「こんな自分に声をかけてくれることに本当に感謝しかないな〜」という嬉しい気持ちと「サラリーマン、辞めてみてもいいかも」という気持ちになりました。

同時に、「サラリーマンじゃなければならない理由を自分が持っていない」ことにも気がつきました。
この気づきによって、色んなモヤモヤがサーーッと晴れていく感覚がありました。
「(サラリーマンしか経験したことがない自分は)サラリーマンじゃないと自分は生きていけない」という思考に縛られていたのですが、そうじゃなくてもいい環境を周りが用意してくれて、今それを選択しない理由がなくなったのです。

めちゃくちゃスッキリしました。

少年みたいなココロと揺るぎない信念と人情あふれるKG

最終章:今後トライしていきたいこと

フリーランスになって、一旦はこれまでお仕事をご一緒してきた「MOSH」と「リクルート」からお仕事をいただいています。
(※2022年12月末を以てMOSHとの契約は完了しました。)

委託業務として働きつつ、今後自分がやっていきたい方向性を考えたり自己投資をしたり、先々の準備をしていくための時間を大事にしようと思って少しずつ動き始めました。

SNS運用やオウンドメディアに関わってみたり、とある人材マッチング事業のプロジェクトマネジメント業務やプロダクト改善業務を担当したりと、既存の経験だけでなく新しい経験をさせていただく機会に恵まれています。

関わるサービスは違えど、自分が根幹に大事にすることとして感じているのは、テーマが「仕事(キャリア)」であり「個人をエンパワーメントする」という観点です。

せっかく沼津に移住したので、地域との関わりを増やして、貢献できそうな領域を見つけてみたいという気持ちも大いにあります。そのためには自分に余白がないと身動きが取れないので、新たな活動を模索するためにもフリーランスになることが有効でした。

地域との関わりも少しずつ

すぐに仕事が舞い込んでくるわけではないなと思っていたのですが、静岡沼津三島のご縁が発展し、講師として登壇する機会や、マーケティングの相談もいただけるようになりました。
まだスタートしたばかりなのでお伝えできない部分が多いのですが、成果物ができた暁にはぜひご紹介したいと思います。

これからもっと色々な関わりを増やしていきたいなと思っているので、ぜひ沼津三島界隈でお仕事や相談がありましたら、お気軽に声をかけていただきたいなと思います。

ネーミングはこれから。個人の生き方を支援するコーチングを始動

現在通っているコーチングスクールで一定基礎知識を学んだ後、資格取得も並行しながらコーチとしての活動を強化していこうと思っています。

コーチングを学び、本当に良かったと思います。
自分よりも周囲の反応が違うことが驚きでした。「穏やかになったね」、「顔が明るくなったね」と言われるようになりました。

沼津の暮らしが心をほぐしてくれているのも一定影響あるとは思いますが、コーチングの世界の「最短最速思考からの脱却」や「ひとの可能性を無限に信じる」というスタンスに、グッときてしまいました。

ひとりひとりの心の在り方を尊重し、本来願っている声に耳を傾けていく心の豊かさたるや、宇宙のような壮大さを感じますし、極めていけば、どんなことが起きてもいちいち揺らがない寛容な心持ちでいられるように思います。

自分がどんなコーチになりたいのか、どういった人の助けになりたいのか、コーチとしてのビジョンミッションバリューを整理した上で、また改めてnoteに書きたいと思っていますが、これからの社会で活躍する上で大切な「自分軸で生きていく」人を一層支援するために、コーチングとセルフブランディングを掛け算したプロデュース事業に力を入れていきたいと思っています。

「コーチングで個人の生き方をもっと支援したい」
こう思った背景には、MOSHとリクルートでの経験が影響しています。
どちらも、働くを通じて個人の生き様にフォーカスした素晴らしい事業です。
一方で、この領域に関わる中で感じたハードルこと、上記事業ではカバーしきれない個々人の心の在り方、メンタルブロックの部分です。

「個の時代」「人生100年時代」という言葉は世の中でますますリアリティを増していますが、そういった時代の変化に対して誰もがすぐに適応できているかというと、そう簡単にはいかないのが現状だと感じたのです。

「自分の力で何かを成し遂げたい」「もっと人生チャレンジしたい」「自分の好きなことで食っていきたい」

こういった素晴らしい願いがある一方で、その実現に向かって迷わずまっすぐ突き進めるかでいくと、大半の人が途中で心が折れてしまったり、迷走を繰り返します。

いざ行動すると、次々と出てくる壁に打ちのめされたり、周りの言葉に翻弄され「自分がやりたいことってなんだっけ?」と迷走したり、激しい浮き沈みが訪れるのは多くの人が体験することでしょう。

これらをクリアするためには強靭な精神力が必要そうですが、そういった超人スキルが重要なのではなく、自分の本来の願いだけに目を向けること、が大事だと感じています。

「自分の内なる思いに目を向け、少しずつでも前に進む」
「誰の意見でもなく、自分の声に正直に行動していく」
「どんな環境変化が起きても、自分のことを信じ続ける」

そのための「伴走役」が必要だと私は感じたのです。
それがコーチングです。

現在はまだ学び途中ではありますが、資格取得のために一定の有償セッション時間が求められることもあり、まずは身近な人から少額で継続コーチングの機会をいただいております。
もしこのnoteをみてくださった方でご興味を持ってくださった方、スキル向上のための練習に付き合ってもいいよ、という方がいらっしゃいましたら、直接ご連絡をいただけると嬉しいです。

約半年間にわたる個人向けコーチングの学びがひと段落し、2022年11月からは新たに組織開発向けの「チームコーチング」の学びをスタートしております。
自分のサービスの正式リリースは2023年を予定しております。
個人で活動をするために個人理念を策定しています。
また別のnoteでその内容についてシェアしたいと思っていますが、
焦らずゆっくり、自分のライフワークを育てて行きたいと思います。

おわりのことば

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
心が疲れていたとはいえ、本当に自分勝手な思考が暴走していたなと思いますが、長い人生、折り返しのタイミングにこういった想いで自分のライフログを綴れたことに、満たされた気持ちでいっぱいです。

これからまた紆余曲折あると思いますが、周りの人に助けていただきながら、前に進んでいきたいと思います。

ぜひ沼津で会いましょう。
素敵な場所や、素敵な人がたくさんいるこの街にご招待できたら嬉しいです。ありがとうございました。

おまけ

このnoteを書き終えた翌日。
40歳を迎えた誕生日の夜、最高のおもてなしをいただきました。
誕生日を最高の日にしてくれようとプロデュースしてくれたぬまづのあおさん

私のことをいつも可愛がってくださる紳士
東京からはるばる祝いに来てくれた仲間
静岡出張帰りにへとへとになりながらプレゼントを届けてくれた紳士
東京からテレビ電話でマリリンモンロー風のバースデーソングを歌ってくれたKG

みなさん最高すぎます。
「生きててよかったなぁ」と思えた幸せな時間でした。
恩返ししていきます!!

両手に華
東京からはるばる、タカさんありがとー!
愛猫が乗っかったスペシャルケーキ


ありがとうございます。日ごろお世話になっている周りの人たちへの恩返しのために使わせていただきます^^