見出し画像

結局、場づくりなんだけど

デザイナーさんたちがカフェをされる理由の一つには、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」がある気がする。クライアントは戦う対象ではないからこの例えは違うかもしれないけれど、店舗デザインを手掛けるのであれば飲食業界を知るべし。という考えはあるのではないか。
自分でやってみることで、その経験が失敗も含めノウハウとして蓄積されることになる。それらが店舗デザインをするときに説得力を持った提案として役立つだろうし、またデザイン面だけでなく、実際に経営をすることで飲食店オーナーの悩みなどに寄り添うこともできる。

デザイナーでありながら飲食業もされていた友人に昔、訊いてみたことがある。

「もう十分売れてるし、稼いでもいますよね。なのになんで、わざわざ大変な飲食をされたんですか?」

「BtoBをやっているとBtoCがやりたくなるんですよ。ぼくらの仕事は、お客さんの表情や反応を見る機会がほとんどないですから」

月並みなことを書けば「隣の芝生は青い」だけれど、ぼくの知るデザイナーさんたちは「隣の芝生が青く見えるけれど、本当は青くない」ことを重々承知の上で飲食店をされている気がする。
そう考えるとtoCの仕事は、それほどまで魅力的なものということになる。ぼくはそれしか知らないので、そういうものなのか程度に思っていたけれど、いまになってはたと気づいた。

そうか、彼らもきっと場づくりをしようとされていたに違いない

その意識があったかわからないけれど、無意識であれ根底にはそれがあったのだと思う。そうであれば、手段がカフェで目的は場づくりであり、儲けは二の次ということも腑に落ちる。
もしもぼくが独りで完結する仕事をしていたとしてもやはり何かしらの場をつくろうとしただろうな、とも思う。

そして誰がそういった場をつくるにしても、前のめりに「ようし、場をつくるぞ」だと恐らくお金ありきの匂いがして多分上手くいかない。
また、「場づくり」「コミュニティ」「つながり」「絆」といった言葉を見聞きするときは決まって高尚そうな言葉と一緒に語られ、一方が教えを乞うものが多い気がする。それだとみんなのためのようで結局のところ、自分本位なものなんだろうな、とも感じる。
それに現実的には、そもそもつながりたくない人だっている。

そう思うと、そういった言葉を使わずとも場が自然発生するのが理想的なんだろうな、となんとなく思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?