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パイナップルのソルベ 後編

当時ぼくは修業中の身であり、レ・シャンドールさんへ行けたのは数えるほどで、それもほとんどランチだったけれど、次に行く機会があれば夏に行こうと決めた。
アラカルト(単品)で注文できるほど経済的余裕もなくランチコースしか選択余地のなかったぼくは、運が良ければコースに付いているデザート盛り合わせに夏ならパイナップルのソルベがあるかもしれないといった思惑からだった。

同業の友人を誘い、ぼくは夏のレ・シャンドールさんへ伺った。
どのお料理もとても美味しく、そしていよいよ次はデザートというとき、ぼくは祈った。

お願い!出てこい、パイナップルのソルベ!

デザートのお皿がテーブルに置かれた刹那、ソルベの白っぽい色を見て確信したぼくはサーヴィスの方の説明を受ける前に思わず声が出た。

「あっ、これ!」

小さなひと口サイズのクネルに抜いた(スプーンでフットボールのような形にしたもの)それは、パイナップルのソルベだった。
同席の友人に「グルマン」で読んだことを手短かに説明し、早速ソルベからいただいた。

驚嘆のあまりぼくらは顔を見合わせたまま、言葉どころか声すら発しなかった。
そして、食べものを口にして鳥肌が立つという経験は、ぼくの人生において後にも先にもこの一度だけしかない。

翌日、感動さめやらぬままお師匠さんに伝えようとするけれど、我ながらなさけなくなるほどの語彙力で伝わらず、「溶けるギリギリの状態やったんやないの?」なんて言われたけれど、それはキッパリと否定した。

シャーベットなので溶ける、液体になるとイメージされるのはわかるけれど、レ・シャンドールさんのそれは、お皿にある間はとてもキレイなクネルの形状をしているのに口に入れ舌に触れた瞬間に消え、パイナップルのとてもいい香りだけが鼻腔に抜けた。
溶けるのでなく気化したとしか思えない感覚で、まるで手品か魔法のようだった。
そして「グルマン」の文末に書かれた一節が決して大袈裟な表現でないこともわかった。

昨日の冒頭に書いたように時代は90年代初頭。
液体窒素を使用したり、分子ガストロノミーが料理界を席巻する以前のこと。
特殊な機材や道具などを使用されていたとは思えないし、ぼく自身ソルベも日本とフランスでかなり作り食べてもきたけれど、あのようなソルベを口にすることはその後、一度もなかった。
考えられるとしたらメレンゲかな・・・と思ったりするけれど、こればかりは謎のまま。

ぼくも「グルマン」を読まずにいただいていたら、「危うく涙するところであった」。



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