言葉のスケッチ−20230404

 夜のキッチンでコーヒーを入れている背中から坂本龍一のピアノと声が聞こえてきた。
 坂本龍一の不在——すでに世界から坂本龍一が欠落してしまっているという事実が、彼自身のピアノの音で増幅されているように思えてくる。

 自己表現の背中は、取り憑こうと機会を伺う承認欲求という化け物に常に狙われている。完全に切り離すことは難しく、無視することもまた難しい。
 純度を高めていこうとするならば、意識の全てが自分の内面に向くことになったとしても、ただ集中して行かざるを得ないのだと思う。

 高純度に自己完結した自己満足が、他の誰かにとっての傍若無人さにならないのが、中途半端なところで行き止まる凡夫の自己満足との違いなのだろう。
 それは常人の領域を突き抜けたところに至った証左でもあるだろうが、手が届いたその場所はきっと、僕らが想像するよりもはるかに孤独なところなのだろうとも思う。

*   *   *

 年の初めにNHKの番組で見た際には、闘病で痩せてしまってはいても、坂本龍一はまだ音楽を続けることができるに違いないと思っていた。
 たとえ精力的にではなくても、衰えた体力に見合った労力で、細くとも小さくとも音楽していくんだろうと思っていた。それからたった3ヶ月で亡くなってしまうのだから、この世の儚さは計り知れない。
 僕は音楽はできないけれど、番組中で話していた「スケッチ」を文章で続けて行くことが、彼とは縁もゆかりもないところで勝手に何かを引き継いだ証になるのかなと思っている。


ぜひサポートにご協力ください。 サポートは評価の一つですので多寡に関わらず本当に嬉しいです。サポートは創作のアイデア探しの際の交通費に充てさせていただきます。