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「本を読むこと」について、考えてみる


最近『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』という小説を読んでいる。タイトルからわかるとおり韓国文学で、これまたタイトルどおり「本屋さん」のお話しだ。

数年前、『81年生まれ、キム・ジヨン』に出会って脳天を撃ち抜かれてから、私にとって韓国文学は、一目置けるジャンルとなった。K-POPにハマる人、韓流ドラマにハマる人とそれぞれだろうが、私の場合は韓国文学だったのである。

韓国の人びとが感じていることは(少なくとも物語のなかで)、私たちと似ているようで微妙に違う。または、逆もある。その感覚が心地よい。

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先日、サードプレイス(職場でも家庭でもない第3の場所)としての本屋について、記事を書いた。このテーマはまさに『ようこそ、ヒョナム洞書店へ』で描かれていることだ。

さらに同作を読んでいると、人が生きるうえで「本を読む」とはどういうことなのかと考えさせられる。

「あなたにとって、本を読むとはどんなことですか?」と聞かれたら、それぞれに読書論があるはずだ。ぜひ教えてもらいたい。

私にとって、本を読むということはどういうことだろう?字を読めるようになる前から、本は私の友人だったので、勉強とかインプット、といわれると少し違うような気もする(もちろん、そういう時もある)。

私が読むのは、圧倒的に文学作品が多い。なかでも小説。次に自己啓発系やエッセイ、その次に専門書(仕事での調べ物)……ビジネス書は時々読む、かな。ライター仲間のおすすめの本とかは。

だからやっぱり、私にとっての「読書」は物語に没入すること、なのかもしれない。他者の人生を疑似体験しているような、その感覚が心地よいのかもしれない。

自己啓発系は「自分」という未知の存在を知るてがかりになるし、専門書もまた、他者の人生の疑似体験でもある。エッセイは友人のおしゃべりを聞いてる感じかな。

いずれにせよ、読書体験は私にとって圧倒的に「快」なのだ。心地よくて、気持ちよくて、だから続けているのだろう。

あまりにも当たり前すぎて、考えたことがなかった。

そういったことを考えるチャンスがやってくるのも、毎日noteを書くことの副産物なのかもしれない。


(Day.15)

▼当記事で触れたのはこちら▼

▼昨日の記事。人間ってふしぎだなぁ。▼

▼ほぼ毎日エッセイ『私に翼』▼

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