DAY178 14歳のわたしと再会してみた話。

お金を受け取れない、という話から
わたしの過去の記憶を辿る旅に出た。

元々、わたしのトラウマ体験として
いちばん古い記憶は2歳のとき
迷子になって警察沙汰、というもの。

でもそのときのわたしには
既に会いに行っていて
そこに用はない感じだった。

で、更に記憶を進めていく。
小学生時代の虐めの記憶もあるけど
ここも既に訪問済みだ。

そうして辿り着いたのが
中学時代のわたしだった。

正確には
小学5年から中学2年頃。
更に遡ると小学3年からだ。

わたしには
10歳上と7歳上の兄がいる。

ことの発端は
わたしが小学3年の頃
次兄が高校進学で家を出たこと。
それにより、学費のために
今度は父が出稼ぎのため家を出た。

さらに小学5年の頃
20歳の長兄が家出をしたのだ。
ガチで捜索願出したっすよ?

そしたら隣町に住んでて
その後、子供ができて結婚。
わたしが小学6年の出来事。

その頃我が家は
わたしと母の2人暮らし状態。
長兄が離婚して出戻ったのが
中学3年の時だったから
4年間は母子家庭状態だったのだ。

しかも母は
当時めっちゃ仕事人間で
繁忙期は夜9時頃まで残業していた。

夜ごはんを出しに6時頃一旦帰宅して
またすぐに仕事場へと戻る日々。
わたしは家にたったひとりと猫1匹。

当時、築50年とかの古民家を借りてて
めっちゃ広い家に、中学生がただひとり。

思い出すと、よくそんな所に
ひとりでいられたよな、と思う。

間違いなく不安だったし
怖かったし寂しかったはず。

でもきっと当時は
それを我慢して、大丈夫な振りをして
どうにか生きてきたのだろう。

我ながら、健気である。

ところが。
そんな我慢強くて健気なわたしは
全然大丈夫じゃないのに
大丈夫な子だと思わせていたようで

多分、我慢してることすら
気づかれてなかったのだと思う。
いや、自覚ないくらいに
自分さえも大丈夫だと思わせてたから
当然っちゃ当然である。

リアルに孤独で
誰にも頼れなくて
助けてとも言えなくて
我慢するしかなくて

でもそれを自覚してしまったら
人生詰む、と分かっていたから。

泣き虫だった小学生時代から
いつもニコニコ、フレンドリーなわたし
を演じ始めたのも中学時代からで

身体を強張らせながら
愛想いい人の仮面が標準装備になった。

中学生で既に
肩凝り持ちで若白髪。
そりゃそうだわな、と今なら納得。

両親の関心ごとは、初孫。
離婚してからも家族での外出は
基本的に姪っ子との面会だ。

その一方で
わたしのことは無関心で

インフルエンザに罹っては怒られて
自分でチャリ漕いで病院に行ったし
テストでいい成績(学年順位一桁とか)
だとしても褒められもしなかった。

哀しいほど報われない
孤独な中学生。
よく生きてたなぁ、自分。

勿論、他人の人生と比べると
大したことのない事柄かもしれない。
でもそんな比較は別にどうでもいい。

わたしが14歳のわたしに再会して
その孤独を受け止めて抱きしめてあげる
それができたことが、尊いのだ。

長兄についての気づきもあるから
それはまた後ほど。

14歳のわたしが
生きることを選択してくれて
生命が今日まで繋がっていることに
ひとまず感謝しかない。

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