DAY176 夢が夢なら、ツインレイ的な歌詞考察。

先日、小沢健二さんの
8/31LIVEのチケットを申し込み

当たるやつー!

昔シングルで聴いてたけど
手放して聴けなくなった曲を
聴きたくて「刹那」を中古で購入。

レンタル落ちの中古をメルカリにて。

他にも聴きたい曲があるので
また買い直そうと思っている。
手放した20代のアタイのバカー!

刹那に収録されている
『夢が夢なら』という曲

この曲の解釈は
きっといろいろあると思うけれど
ツインレイという目線で読み解くと
また感じ方が違うなぁと思って。

夏から秋へと空は高く
はっきりと今僕には判る
僕はあなたに逢えたことを
ずっと幸せに思うはず
 
ああ 君が居た頃のことを思わない
僕は一人で生きることを学ぶさと思いながら

この歌詞が示すもの
それはサイレント期間なのでは?
というふうに思う。

サイレント期間って
相手に執着している心から
だんだんに執着が薄れていって
あー、あの出逢いは必然だったんだな
と思いながらも
二度と逢えないとしても大丈夫な
自分になっていく過程
と思っていて。

自分のことはさておきつつ

そして、あなたなしでも
ひとりでも生きられるって
心から思えるようになったときに
サイレント期間が終わるんだよね。

わたしはまだ終わってないけどさ

ああ 夢の彼岸まで高く架かる橋
萌え立つ霧と蜜の流れる波をたゆたう姿
 
クリスマスが近づく場所で
元気に挨拶を交わしたい
爽やかな冬の酔いにまかせて
力強く時に悲しく

夢の彼岸まで、は秋分点のことで
クリスマスが近づく場所は、冬至
ここら辺は季節の変化を伝えてるのだが

夏から秋、秋分から冬至と
季節が流れていくのに合わせて
サイレント後の再会を迎える感じ。

わたしは男性目線を持たないから
分からないけれど
再会するときはきっと悲しさも
持ち合わせてるのだろうと思う。

緩やかな円を描くように
僕らの息・吐息交差する
手を伸ばしそれをそっと握り
誰かと舟を進めてゆく
 
対岸の灯り眺めながら
往きつ戻りつ往く夜舟を

ひとつだけ気になるのが
誰かと舟を進めてゆく
というフレーズで

見方によっては
相手は別の人と交際してて
新しい彼の手を取ってすれ違う場面
なのだけれど。

それだとひとつ前の
【時に悲しく】の意味も通じるけど

別の読み方をすると
2人が再会して手を繋ぎ直す
それは自分たちだけでなく
誰もが誰かと、という感じなのかも。

対岸の灯りは
統合前に居た自分たちのタイムライン。
たまに揺り戻しに遭いながらかも
しっかりと統合の道を進んでいくイメージ。

わたしが感じているのは
ツインレイが統合の道を行くと決めるのは
もう二度と後戻りできないし
生まれ変わって地球上に戻ってこれない
そんな悲しみが含まれているのでは?
ということ。

ていうか最近その悲しみを感じている

だからこそ
力強く時に悲しく
再会と統合に向かうのかも
なんてことを思いながら
この歌詞を読み解いてみた次第。

夢が夢ならってタイトル自体も
胡蝶の夢、みたいなことなのかな
と思ったりして。

いよいよ
現実と思って生きてた世界線が
夢だったんだと気づいて
夢の彼岸(スピリチュアル側)に
足を踏み入れて進んでいく。

そんな気がする。
知らんけど!

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