見出し画像

バンドマンじゃなくなった私が元メンバーのライブを見に行っただけの話。

読む前に知っておきたい用語集
この文章には以下の用語が登場します。

ぷりめけ:プリメケロン。私が以前組んでいたバンドの名前。現在は解散。3ピースバンドで、私以外の他2人はそれぞれ違うバンドで活躍しています。

バンドマンじゃなくなって
ただ音楽好きになってから初めて
「推しのライブを見に行く」という体験をした。

「推し」とは、私が以前組んでいたバンドの元メンバー。
現在違うバンドでベースとして活躍する彼のライブを見に行った。

自分がライブに"出演する側"だったときは、
正直お客さんには、
ライブは30分弱ぐらいしかないと思われていると思っていた。
出演する側は、出演時間する30分間のために
新曲を作ったりスタジオで練習したり…と
いろんな準備をしていたけど、
お客さんにとってその「準備の時間」はあまり関係なく
お客さんはその30分間がいかに特別になったかどうかを
大切にしているんだろうと思っていた。

ライブを見に行ったその日は
実は、朝からソワソワ。
何を着て行こうかしばらく迷い
(そして私はその日久しぶりにスカートを履いた)、
仕事中もずっと頭の中でそのバンドの音楽を流し、
保存していた告知画像を見返したりして、
自分の中でそのライブが
一大イベントになっていることに気づいた。

気づいた時点で、
そのバンドの出演時間は30分弱だったとしても
「ライブ」というイベント自体は
私の中ですでに始まっていたことをしっかりと感じた。

「推しのライブを見に行く」とはこういう感覚だったのかと、
そこで初めて知った。
「遠足は家に着くまでが遠足です」ルールとほぼ同じだった。
「ライブはすでに始まっている」は、
出演者だけじゃなくてお客さんも一緒だったんだ、と気づいた。

推しのライブが始まる前には
もうひとりの私の推し(もうひとりの元メンバー)が隣にいて
推しの隣で推しのライブを見るという
贅沢な状況になっていた。

ライブは本当に良くて、
ぷりめけでも発揮してくれてたことがそのまま活かされていて、
ぷりめけとは全く違う音楽性のバンドなのに
「新しい一面を見た」という気持ちにはならなかった。

相変わらず休符の取り方が上手で
ボーカルの方が本当に歌いやすそうで
ギターや鍵盤を支えているようで実はリードしていて
「あーそうそうそういう人なんだよねー」とか
「ベースをうまく弾くからベーシストに見えるけど
やりたいことはベースだけじゃ収まり切ってないんだよねー」とか
思った時点で

実はちょっと泣きそうになっていた。

気づいたら自分の手はグーになっていて
あごの下で組まれていて、
あごの下にしっかり汗をかいていた。笑

こんなにドキドキしながら
納得というか安堵ともいうような感覚を
少しだけ味わいながら
ライブを見たことが今までにあっただろうか…と思った。

ライブを見る時っていつも
「私がバンドでやるとしたらどうやってやろうかなー」とか
「私だったらどんな歌詞にするかなー」とか
ただ単純に「楽しむ」という感覚ではなかった。
取り入れて、取り入れたものを自分の中で変換して、
それを「音楽」(かもしくは「歌詞」)で
アウトプットしなきゃいけないような気持ちになっていた。

ぷりめけを組む前だって同じで、
「バンドを組んだらいつかあんなことをやりたい」
「あんな曲を書いてバンドで試したい」という気持ちになっていて
やっぱりどこか音楽でアウトプットしなきゃいけない気持ちになっていた。

昨日は、それがなかった。
「私もいつかやってやるぞ」の感覚なくライブを楽しんだのは、
考えてみたら、人生初だったりしてとも思った。

終演後はぷりめけ3人で話をして
その話してる様子を見かけた方が
「あら3人お揃いで〜」 なんて声をかけてくれて。
だいぶ期間が空いているはずなのに
ぷりめけというバンドがあったことを
まだ覚えててくれている方がいることも嬉しかった。

ぷりめけをやっていたときに出会った友人とも再会して
「思い出話に花を咲かせる」をまさに体現して、
ぷりめけが幻じゃなかったことをちゃんと感じた。

家に帰った頃には
「なんて甘い夜なんだろう」と思った。

「なんて甘い夜なんだろう」なんて
自分がぷりめけの解散ライブを終えた時にも思ったことだった。

いったいどこに共通点があって
そんなことを思ったのかは
まだわかっていない。


これが思ったことの全て。
それぐらい貴重な体験をしたという話でした。

推しのライブを何度も見ている方は
何度も体感していることかもしれないけど、

「ただのお客さん」になって
私も初めて感じることができました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?