見出し画像

20年以上前に書いた「腰痛体験記」。ここから『人生を変える幸せの腰痛学校』が生まれた幻の原稿です。

20年以上前、神奈川県平塚市で鍼灸院を開業していました。
その時のHPに載せていたのが「腰痛体験記」
この「体験記」を読んで、全国からたくさんの患者さんがわたしの鍼灸院に来てくださいました。
この原稿が『人生を変える幸せの腰痛学校』の「わたしの腰痛物語」の原案です。
ほぼ原文のまま掲載します。
自分へのセルフツッコミはこの時からのわたしの作風なんですね。

~ここから~


腰痛体験記

始まり

今から10年以上前、私が24歳の時のことです。
求人誌の出版会社に勤めて2年目の冬、その頃は東京で一人暮らしをしていました。

時々、左臀部に痛みを感じるようになりました。
最初は筋肉痛と同じ痛みで、自転車を思いっきり漕いだ翌日のような痛みです。
あまり気にしていませんでしたが、それは消えることなく毎日続きました。なにか臀部の筋肉の奥に固まりがあるようなそんな感じもしました。
次第に周りの人から、「歩き方がおかしいよ」「どうしたの」と言われるようになりました。
確かに臀部の痛みをかばうように左足を少しひきずるような歩き方をしていました。病院に行った方がいいと言われ、会社の近くの整形外科を受診。思えばこれが腰痛患者になった瞬間でした。

整形外科受診

レントゲンをとりました。L4、L5間が狭くなっているとのこと。
この間にある椎間板が押し出されて神経を圧迫して臀部痛をおこしている、典型的な「椎間板ヘルニア」だという診断でした。

「椎間板ヘルニア」って言われた時は、やはりびっくりしましたね。まだ24歳だったし、ただの腰痛とヘルニアでは、重病感が違います。
その頃、私は椎間板ヘルニアに対し、なかなか治らない、痛みが強い、手術が必要かも?そういう一般的な印象を持っていたと思います。

条件付け

その頃、会社では求人誌の広告の営業をしていました。
仕事中に受診したので、数冊の見本誌を入れた重いかばんを持っていました。
医師がそのかばんをみて、「それを毎日持ち歩いているの?」「それが原因ですね」と言いました。

この整形外科受診の日から痛みは少しずつ悪化していきます。
もともと病院には、行けと言われたから行っただけで、私自身はそんな必要はないって思っていました。その程度の痛みだったんです

悪化した要因は二つ考えられます。「不安」と「条件付け」
「椎間板ヘルニア」という診断は、私にとても「不安」を与えました。
実際、患者さんの中にも「病院に行ってから」、「レントゲンを撮ってから」、「ヘルニアと言われてから」症状が悪化したとおっしゃる患者さんは本当に多いのです。

 もうひとつは「条件付け」
「重いかばん」=「痛みの原因」という条件付けができてしまいました。
急に仕事を変われるわけもなく、翌日からやはり重いかばんを持って毎日営業するわけです。それはかばんを持つたびに「私の痛みはだんだん悪化する」と自分に暗示をかけているようなものです

様々な代替医療

痛みはすこしづつ強くなり、痛み止めを服用しながら様々な治療院通いが始まりました。

整形外科での牽引、先輩が紹介してくれた鍼灸院、上司の友人がやっている整骨院、カイロプラティック、骨盤矯正などなど。この頃に、MRIも撮りました。

自宅ではゴムバンド体操に、ストレッチと一通りはやったかな? お金も時間も随分使いました。どの治療法も特に効いたという記憶はありません。

そうそう、どの治療にしても「私は臀部が痛いのに、なんで腰の治療ばっかりするの?」というもどかしさがありましたね。
せめて痛いところを治療してもらえれば、多少効果もあっただろうに

ただ、鍼は肩こりには効果ありました。
中学生からずーとひどい肩こりだったのですが、この時期には肩こりはなかったです。
でも、それは臀部・下肢痛に意識が向いていたからかもしれませんね

1回目の入院

痛みが続いたまま入社して3年目の夏になりました。
この数ヶ月間は毎日痛かったけれど、会社では元気そうに仕事をこなしていました。痛み止めが効いたおかげです。

夏休みを利用して入院することにしました。
「持続硬膜外ブロック」という治療を受けるためです。
入院するほどの痛みではないとも思いましたが、このままいつまでも痛いのは嫌だし、医師の説明では簡単で安全、しかもかなりの効果が期待できるとのことでした。

入院した日に、手術室に連れて行かれたのにはびっくりしました。
カテーテルを背中に入れるのですがとても怖かったです。
一週間くらいの入院だったかな? 痛みは全く変わりませんでした。

この入院は不必要でした。
今から思えば、もちろん治りたいっていうのもあったけど、会社やまわりの人に対するアピールの意味合いもあったような気がします。

「私は入院するほど痛いんだ!つらいんだ!」ってわかってほしかったんでしょうね。腰痛って軽く思われがちだから

退院後

ここからまた痛みが強くなります。
入院は生まれて始めてだったし、私にとってはとても大きな特別な出来事だったんです。
入院までしたのに!それでも良くならないなんて!
もしかして、このまま治らないのでは?
治療効果に期待していただけに、ますます不安が強くなってきました。

鎮痛剤が効かなくなり、座薬が必要になってきました。
営業で外回りをしている最中に、もう痛くて痛くて、歩けなくてどうしようもなくなって、駅のトイレで座薬を使ったこともあります。
駅のトイレで、薬が効くまで動けなくて、情けなかったなあ。
痛いしつらいし情けないし動けないし……。
この時のことは、今思い出しても泣けてしまいます。

確かに泣ける話だけど、今思うとなんでそこまでそんなつらい思いまでして働いていたんだろう? と思います。
結局その後、休職することになったし、辞めることになったんだから。

この時会社を休めなかったのは「休むのは悪いことである、何があっても休むわけにはいかない」「体調を崩すということは能力がないということだ」という強い思い込みがあったからです。

会社を休む→会社の人、担当しているスポンサーに迷惑がかかる→罪悪感に苦しむ。
会社を休む→あいつは使えないやつだと評価が下がる→評価が下がることは怖い。

もちろん人に迷惑はかけないほうがいいし、評価も下がらない方がいいけど、それはそんなに大切なことかな? 
結局、痛みに耐え働くというつらい状況を選んでいるのは私自身だったんですよね。

 患者さんとお話していると「そんなわけにはいかない」「~するわけにはいかない」って言葉をよく聞くけど、それは「~するわけにはいかない」というただの思い込みかもしれないのに……、と心の中では思っています。
でもそれは自分自身で気がつくしかありません。
私だってその時は気がつかなかったわけですし

休職

結局、ぎりぎりまでがんばったけど、とても仕事ができる状態ではなくなって、年内いっぱい(2ヶ月間)休職させてもらうことにしました。
実家に帰ったこの2ヶ月間は小康状態だったと思います

復帰(1月)

年が明けて1月。営業から内勤へ移動させてもらい、勤務場所も変わりました。
まわりの社員も知らない人ばかりで、まったく一からのスタートです。
よし、今まで迷惑かけた分を取り戻すぞ! と張り切って、かなり気合が入っていました

激痛が……

ところが、半月くらいたったある朝。
突然、腰から臀部、左の足先まで電気が流れて激痛が走りました。
この激痛は説明するのは難しい、経験しないとわからない痛みです。
以前に坐骨神経痛の人の体験記で、もう足を切断してくれ~って叫ぶほどというのを読んだことがありますが、本当にその通り。
足を切断してほしいくらいの痛みでした。

全く動けず3日間じっとしていましたが、痛みは全く変わりません。
とにかくこの3日間、痛みで一睡も、うとうとすることさえできなかった。どうしたらいいのかが全くわからなくてただじっとしていました。

この激痛は私が一人暮らしでなかったら、もう少し軽かっただろうと思います。
痛いのはもちろんだけど、どうしたらいいかわからない不安で本当に心細かったです。
それにしてもなぜ3日間も誰にも助けを求めなかったのだろう?
素直に助けてって言える性格ではなかったから?
それもあるけど、私はとても自分を責めていました。
2ヶ月も休職させてもらって希望通り内勤に移動させてもらって、それなのにまた痛いなんて。
自分が情けなくて、そんな自分をとても恥ずかしいと思いました。
だから会社の同僚や友達には話せなかったし、親に対しても一言の弱音も吐けなかったです。
電話口で泣いて痛いって言えたらこんなに痛みは強くなかっただろうに。

なんとか病院へ

このままでは何も変わらないから、とにかく病院へ行かなきゃと思いました。
恐る恐る時間をかけて着替えて、なんとか自転車によりかかるようにして、近くの整形外科までたどりつきました。
必死の形相で「大丈夫、行ける。大丈夫」って自分に言い聞かせながら。
5分の距離が長く感じました。
すぐにブロックや痛み止めの注射をしてもらいましたが、激痛は治まりません。
そこは入院施設がなかったので、近所の病院に入院できるよう手配してもらいました。

寝返りさえ打てない痛みだったから、病院に行くなんて絶対にできないと思っていたのに、人間いざとなればできないことはないんですね。
「痛くてできない」のではなく「痛くてできないと思っているだけ」なのかもしれません。

2回目の入院

今までの経過と痛みの様子をみて、即手術をしましょうと言われました。
この時は私も「こんなに痛いなら仕方がない、手術しかないかな」と思いました。
ただ手術をするなら実家のある大阪でしようと思い、とにかく痛みを止めてほしいと伝えました。この病院では毎日仙骨ブロックをしました。

入院した1日目はやはり痛みで眠れず、ナースコールで看護婦さんを呼び、痛み止めの注射をしてもらいました。
たぶんですが、麻薬系の鎮痛薬。
ふわーっと気持ちがよくなったのを覚えています。あまりに気持ちよかったので翌日も注射してほしいと頼みましたが、依存性が高い薬なのでダメだといわれました。

病院に人事部長と、移動したばかりの部署の上司が訪ねてこられました。「そんなにがんばらないで、今は体のことだけ考えたら」
「女の子なんだから仕事より大切なことがあるでしょう」
遠まわしでしたが辞めろといわれているんだなあとはっきり感じました。
私は社内表彰を受けるくらい営業成績が良かったのに、病気になったらおしまいか……。
冷たいなあとも思いましたが、それ以上に本当に迷惑をかけて申し訳ないって気持ちでいっぱいだったので、素直に「わかりました、やめます」と言いました。

この時はクビにされたという被害者意識もあったけど、今考えると上司が言っていたことはその通りだと思います。
その会社で働き続けることが、私にとってもっとも幸せな選択肢とは限らない、ということです。
ただ、「女の子なんだから」の一言は余計ですよね。

退職(2月)

2月末で退社しました。大阪の実家に帰り、ここからの数ヶ月はまたも病院通いです。
今まで試していなかったこと、それはペインクリニックでした。
たまたま知り合いの医師が大学病院のペインクリニックの先生だったので診てもらう事になりました。
ここでの治療は、「硬膜外ブロック」です。

今考えれば、この頃にはもう治っていたようなものです。
大学病院まで片道1時間、電車、バスに乗り継いで通えていたわけだし、家の近くで短時間のアルバイト(デスクワーク)も始めました。

今の私なら患者さんにこう話します。
「痛みがあっても日常生活ができているなら、よし!と考えましょうよ」
誰か一人でも、私にこういうことを教えてくれる人がいればよかったのにな。
痛みはもちろんまだありました。
鎮痛剤も必要だったし、歩き方も痛々しく、母親が「この子は一生お嫁にいけないかもしれない」と思ったそうです。

そういうこともあり、とにかく「痛みをなくさなければ、なんとか治さなければ」と思っていました。
それに完全に治らない限り、またいつあの激痛がおそってくるかわからないと心配し続けなければならないとも思っていました。

 「腰に爆弾を抱えている」 患者さんはよくこんな表現をします。
ぎっくり腰や坐骨神経痛の痛みは激痛です。
その激痛を一度でも経験すると、再発が怖くなります。
たとえ軽い痛みでも、その延長上に激痛があるかもしれないと予想します。だから痛みをゼロにしないと、という強い思い込みから逃れられないんです。
この思い込みが解ければ治りは早いのです。
今ならそれがわかるのだけど。

「腰に爆弾を抱えている」というイメージを持っている以上、痛みがなくてもいつも再発におびえなければなりません。
だから再発を防ぐためには、「腰に対するイメージを変えること」
これが必要不可欠となるのです。

ブロック注射を10回以上やりましたがやはり痛みは変わりません。
痛みはずっとそこにあります。
ペインクリニックの先生も困ったのでしょう。
「整形外科で精密検査してみたら?」と提案されました。

その時の私はもう医師の言いなりです。
長い間痛みがあるため無気力になり、判断力も低下していました。
もういい加減、痛みから解放されたい。おっしゃるとおり精密検査でも入院でもなんでもやりますよという気持ちでした。

この頃の痛みの原因は、「次に起こるかもしれない激痛に対する恐怖心」だったと思います。
次の痛みに備えなければと、身体を緊張させ、脳を興奮させ続けていました。

つくづく思います。
カラダだけではなく心に目を向けてくれる医者は一人もいなかったのか?
整形外科ではなく心療内科にまわしてもらえれば良かったのに。
とはいえ、その頃はまだ心療内科はなかったんですけど。

3回目の入院(6月)

精密検査というのは、「脊髄造影」「神経根造影」「椎間板造影」のことです。
最初に「脊髄造影」をやりました。副作用として髄膜刺激症状というのがでることがあるのですが、私の場合、副作用がとても強かったんです。

検査した日の夜中、突然の頭痛と吐き気におそわれました。
経験したことがないものすごい頭痛ですよ。吐き気なんてものじゃなくて、息を吸うまもなく吐き続ける感じです。
完全にパニックに陥りました。
いろんな薬を点滴に入れられてなんとか落ちついたのですが、この激しい頭痛が検査後1ヶ月も続きました。

副作用の頭痛が1ヶ月も続く、これはちょっと考えられないことですが、今ならその理由もわかります。
私はそんなに強い副作用が出るなんて説明を受けてなかったんです。
だから、ひどい目にあわされたと思いました。
カラダを治そう思って入院しているのに、身体にとってとても悪いことをされた。
検査のためだったら何をしてもいいのか?
腰のためにカラダの他の部分はどうなってもいいのか?
病院、医師、医療に対する強い怒りがありました。
どうやら怒りや憎しみ、敵意などは痛みを強くしたり継続させる作用があるようです。

時々、整体やカイロに行ってよけい悪くなった、その痛みが何年も治らないという話をききます。
確かに施術内容によっては一時的に痛みが増えてしまうこともありえます。説明が不十分だったり、その後の対応が不適切だったりする場合、患者さんは施術者に怒りを感じるでしょう。
お金を払って、治るために行ったのに悪くされたのじゃたまらないですもんね。
この怒りが何年も消えない痛みをつくりだしてしまうんです

 頭痛が消えるまで、何もせずにただ入院していました。
そしてあと二つの痛い検査が終わりました。

診断の結果ははっきりしないものでした。

「ヘルニアは確かにあるが、そんな激痛をおこすほどのものではないでしょう。ただ、いろいろやってダメだったんだから手術でもしましょうか。手術しても治るかどうかはよくわかりませんけど」

教授回診で言われた一言。
すでに不信感と怒りでいっぱいだったので、そんな説明で手術しようとは思いません。
自分でどうするか決めてくださいって言われて困ってしまいました。

その翌日、主治医ではない先生から「レーザー手術」の話が出ました。
その大学病院では過去に2例の症例しかなくて、私は3例目になるけどやってみますか?とのこと。
その時点で、入院後1カ月以上経っています。
ここまできて何もしないで帰るわけにはいかない、と思ったので手術を受けることにしました。

レーザー手術

「レーザー手術」とは、椎間板にレーザー光線を照射して、椎間板の内圧を下げるという治療法。
これにより神経への圧迫がとれて、うまく行けば手術直後から痛みが消えるという説明を受けました。

またまた期待していたのですが、翌日になっても痛みは何の変化もありませんでした。この時もがっかりしましたね。
リハビリをしながらその後、2週間くらい入院していたでしょうか?
何の変化もなかったので、とりあえず退院して経過観察となりました

退院

結局なんだかんだで3ヶ月も入院してしまい、確か8月末頃に退院しました。
退院直後の気持ちは絶望感、無力感。
できる限りの治療はみんなやった。私はもう治らない。
気分も抑うつ状態になり、考えることといえば悲観的なことばかりです。

一生痛いなら、もう結婚も、いや恋愛もできないんだな……。
仕事も制限されるし、やりたいことは何もできない。
何もなくなった。私の人生終わったな。

今考えれば、そんな大げさな! って思うけど、抑うつ状態の時はそんな風に考えてしまうものです。
慢性的な腰痛で「死にたい」と思う患者さんは少なくありません。
私にはその気持ちがよくわかります。

でも不思議なもので、時間とともに他のいろんな感情も湧いてきました。
絶望感の次に覚えている強い感情は怒り。
「なんで私がこんな目にあわなきゃならないの!」
「医者も治療者も誰も私を治せなかった!」
「無駄なお金と時間を使ってしまった!」
「金返せ!もう医者や治療者の言うことなんて信じない」
くやしい!くやしい!くやしい!

そしてその怒りから「もう誰にも頼らない!自分で治してやる!」という強い気持ちが芽生えました。

「怒る」と興奮してアドレナリンが出ます。
これは、抑うつ状態を脱するにはいいきっかけになります。

「腹が立つ!」とか「くやしい!」とか大きな感情の揺れは無意識に働きかける力が強まり、治そうというモチベーションが高まるのです。 

同時に、妙に受け入れる気持ちにもなりました。
たとえ、臀部・下肢痛が治らなくても幸せになる方法はあるかも?
歩けなくても結婚している人や、幸せに暮らしている人もたくさんいるわけだし。

よし、もういい。痛みのことは気にしない。
痛みのあるなしに関係なく生きていこう。

「治さなければ」という執着を手放すってやつですね。
これは、「あきらめる」とか「痛みとうまくつきあっていく」ということとは違います。
今までは、痛みが主体で自分は痛みに振り回されていた。
これからは、私が主体。
もう痛みには左右されない。
左右されないんだから痛みがあろうとなかろうと関係ない。
痛みを無視する、ということです。

そして、なにしろ他にすることがないので、自分の心に目を向けはじめました。

実は、もしかしたら私の痛みと関係があるかも? と思い当たるエピソードがあったのです。

痛みがでる少し前のことです。
同期入社の女の子が営業から内勤へ移動になったという話をききました。
精神的な原因で足が痛くなったからとのこと。
この会社の営業はかなり肉体的精神的にきつくて、こういった話は特にめずらしくなかったんですね。
営業が嫌で出社恐怖症になったとか、精神的にまいっちゃってリストカットしたとか。
そんなめずらしくない話なのに、その同期の移動の話を聞いた時は、とにかくすごく腹がたったんです。
甘えている! 嫌なことから逃げている! 情けない!

なんでそんなに激しい怒りをもったか、もうお分かりかと思いますが、それは私の嫉妬だったんです

私も営業がつらかったから逃げたかったんですよね。
だから彼女がうらやましかったんです。

私に痛みが出た時、「もしかして私も彼女と同じなの?」とちらっと思いました。
でも、それだけはどうしても認めるわけにはいかなかった。
だって散々、甘えているとか情けないとか心の中で思っていたわけですから。
私の痛みは彼女と同じではない、私は嫌なことから逃げたりしない、この痛みは「心」とは関係がないはず!

そのことをやっと素直な気持ちで見つめられるようになりました。

私の痛みは、営業の仕事がつらくて逃げ出したいという心が関係していたのかもしれない。
そういう自分の気持ちに気がつかないように、いや違う、うすうす自分の気持ちに気がついて、その気持ちを強く嫌悪して、見ないようにしていたんだ。

今では、時には甘えてもいいし、また時には嫌なことから逃げてもいいと思っています。
「逃げることは悪い」というイメージがありますが、場合によっては逃げるという選択肢があってもいいと思えるようになりました。

 他にも心に目を向けて気がついたことはたくさんありました。
友人から「あなたは自分をよく見せるのが本当にうまいね」って言われたことがありました。
本当にその通り、私は周りの人から評価されるこうあるべき姿を作ってその通りに演じるのが得意でした。
その試みは成功し、仕事でもプライベートでも私は周囲から高い評価を得ていたと思います。

いつの間にか、それが本当の自分なのか演じている自分なのかもわからなくなって、自分が無理をしていることに気がついていませんでした。
実際、痛みがある中でも、私は楽しそうに仕事をしていたのですから。

でも、本当に楽しんでいたの?本当はどうだったの?

他にもここに書ききれないほど、今までの自分を見直すことができました。

こんな風に退院してからの一週間は、泣いたり、怒ったりしながら、自分の心と向き合いました。

その結果、私の考え方は大きく変わりました。

「何も悪いことをしていないのになぜこんな目にあうのだろう?」
「痛みに翻弄され、不幸になった。かわいそうな私。私は痛みの犠牲者だ」

それが

「この痛みも私の一部。痛みは外からではなく自分の中からやってきた。原因は自分の中にある。そして治る方法も自分の中にある。だからこの痛みを治せるのは私だけ。痛みがある状態の私をまるごと引き受けよう。」

そう、私は主導権を握ることに成功したのです!

今まで、治そう、治りたいといろんな情報を集め、いろんな治療を受けたけど、それは「治したい」ではなく「誰かに治してもらいたい」だった!

『治癒を得るのに外部に目を向ける必要はない。治癒は内部から起こる』
アンドルー・ワイル博士の言葉です。
当時はそんな言葉は知りませんでした。
でも私は自分でこのことに気がつくことができたのです。
これに気がつけば、もう治ったのも同然なんです。

本当に気がつくと外部からの薬や治療は必要なくなります。
実際、私は退院後、臀部・下肢痛に対しての一切の治療は受けていません。

私は、患者さんにも気がついて欲しいと強く願うけど、本当に気がつけばもう患者さんではなくなるかもしれない、そのことには日々とても葛藤があります。
ただ、鍼治療は気持ちいいですからね。
「治してもらう」ためではなく「気持ちよくなる」ために来ていただくのは大歓迎。気持ちいいことは体全体にとって良いことですから。

治癒

たぶん、この心境の変化がきっかけで私の臀部・下肢痛は治りました。
たぶんというのは、いつ治ったのかがはっきりしないからです。
慢性疼痛の場合、ある日突然ウソみたいに痛みが消える、というケースは少ないでしょう。
痛みが気にならない時間が増えていき、そのうち「そういえば、最近痛くない!」と気がつく。

だから焦らないでくださいね。
毎朝、「今日はどうだろう?」と痛みのチェックをしなくなった時に治りはじめるのです。

退院したのが8月、そして10月に再就職をしています。
再就職の情報収集やら面接などに1ヶ月くらいはかかったので、9月にはもう治っていたということでしょう。

そもそも、アンドルーワイル博士の言うところの「医療の呪い」(間違った情報によるマイナスの暗示)にあまりかかっていなかったのが幸いでした。

とにかく私が痛いのは臀部だったんです。

腰で神経が圧迫されている?
それでなんで臀部だけが痛いの?
圧迫されている部分より下が全部同じ痛みならまだわかるけど?
神経は圧迫されると痛いの?
シビレるんじゃないの?
本当に? 本当に腰が悪いの?

医療者にこの質問を何度したことでしょう。
私が納得できるように説明できた医者は一人もいませんでした。

医者や治療者の言葉をそのまま信じなかったのは、「何かが違う」という直感です。

そういう直感を持てたのは、私に「自分のからだの声を聞く」という習慣があったからだと思います。
まさに『答えは自分に中にある』のです!

まとめ

私の臀部・下肢痛は単なる筋肉の痛みだったと思います。

それが、心身の疲労、様々な情報による不安、条件付け、いろんな思い込みや性格、焦りや恐怖心、怒り、不信感そういったもので増幅され、そうこうしているうちに痛みの悪循環は繰り返され、痛みは脳で記憶され、結局治るまで2年近くもかかってしまいました。

慢性疼痛は心理、社会的要因が大きいといわれているのはまさにこういうことなんです。
長くなればなるほど、単純な痛みがややこしくなってしまうんです。

後日談

再就職をした翌月の11月に今の配偶者と出会いました。
つい先日、出逢った頃の思い出話をしていたら
「そういえば、あの頃、腰が痛い腰が痛いってしょっちゅう言ってたな」
と言われてました。

あれ? 自分の記憶ではこの頃はもう治っていたはずだけど?

そうか、臀部・下肢痛は治っていたけど、腰痛はあったんですね。
その頃の痛みは全く記憶にありません。
きっと不安にも思っていなかったのでしょう。

それはね、なにせ大恋愛で、自分の体に注意が向くヒマもなかったからなんです(笑)

痛みに注意を向けないこと。
これは大事なポイントです。

大恋愛はそうそうできないだろうけど、もしなにか夢中になれること、わくわくすることでやりたいことがあるのなら、痛みがあってもやってみることをお勧めします。
それが治癒への近道になるのです。

その後

臀部・下肢痛に関して、この後再発はありません。
正確に言うと、なんとなく痛いとか、きりっと痛みが走ったりすることはありますが、瞬間的なものか、長くても2日もすれば治っていますので、再発とは思っていません。

長文を読んでいただいたこと感謝します。
自分のことを書くのはとても勇気がいったのですが、私の体験が少しでもお役に立てれば、と思い書いてみました。

~ここまで

57歳のわたしの振り返り

この文章を書いたのは34,35歳の時です。
その後、この文章が書籍になり、アマゾンレビュー&評価500以上の高評価をいただくことになるとは。
予想もしない展開です。
まさか、鍼灸院をやめるとも思っていなかったし、
子どもを授かるとも思っていなかったし。
人生、楽しいですね。

『人生を変える幸せの腰痛学校』の「わたしの腰痛物語」は、ほぼこの腰痛体験記と同じ内容なのですが、ところどころフィクションになっています。
読み比べるとどこかがわかり、面白いですよ。

過去のわたし。
よくがんばったね。
よく文章に残してくれたね。
おかげでたくさんの人の役に立ててるよ。
ありがとう、過去のわたし。

https://amzn.to/3UILsHH


サポートありがとうございます。いただいたお金は、全国腰痛学校プロジェクトの交通費として使わせていただきます。