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特定のワードが気になる今日この頃

依然、睡眠負債が続いており、克服する為の方策をあれこれ試している。そんな矢先、更に、眠りを妨げる要因が加わっている。スポニチを毎日見ているが、中央競馬の馬名が気になり出した。夢を託せるような感心する名前が少ないようだ。世相を反映しているのだろうか。ヌーディーカラー、カワチャンフェイス、ネバレチュゴー、ポポラーレウーノ、ハナハナグスト、テンテキセンセキ、チアチアクラシク、チカポコ、タターガタ、ハットグッドゲット、デルマウッチャリ、ノーエクスキューズ、アパラージタ、ラヴィダヴィ、ヌータウ、ナランフレグ、ヒダルマ、ララバビヨンドメル、クーファアチャラ、デルマカシャーサ、ノットイェット、シグラプリンリン、ハヤブサナンデクン、カツゲキキトキト、ヴィヤンシーコ、ラウナソンニッヒ、ケイパラパデオ、ベリーベリーベリー、デルマオシダシ、レッドエンヴィー、ジューンベロシティー、ジャマン、アゲマセン、ウラヌヌ、クライノート、ピンポンマム、ナウピリ、サブエガ、デルマソトガケ等々枚挙にいとまがない。馬主さんにとっては、特別の名前なのだろうが、成る程と思わせたり、異名であったり、語感がいいものも少なく、注目する気にもならない。名前等どうでも良くて、勝ちさえすれば、名前が燦然と輝いてくるのだろうか。ましてや、これらの馬が、ダービー、オークス、皐月賞、天皇賞、有馬記念で快走し、その名前が連呼されること等想像できない。以来、寝ても覚めても自分が命名するなら、こんな名前は如何だろうの思いがチラつく。困ったものだ。どこかで終止符を打つしかない。

昔は、名前に愛着を持ったり、異名が気になる馬がおり、夢を託したものだった。自分が馬主になる見込みが全くなく、真剣に考えることはできないが、気軽に口の端から、こぼれる、面白可笑しい名前は、いくらでもある。但し、命名の基準に合致しているかは、承知していない。カチマケキドリ、イマナラカチマケ、カチドキアカシ、カチドキアゲイン、カッタラエピローグ、マッケンジミー、マッケンエレジー、カツマデマケナイ、カツマデナカナイ、カツマデコラエテ、カツマデマトウ、カツマタミノリ、カツマタナノル、マタアウトキニコリ、マイドオオイニトリ、マジダカラウケトレ、マサカノオオガケ、コンドハスベラナィーゼ、ビックスターガイセン、エイコウアホギミル、ゴールハミエガクレ、カチナノリナルホド、ドリームキョウコクレ、チサトハシリゴロ、エミリボディカム、ユキシロレッド、ハシレナオコッテ、ハルカニユメハセル、マサミ二オマカセ、カッテニアイタカッタ、アヤミキニイッセ、ナギサデパラダイス、カチダマリデマツテ、ホマレアキコクレ、イマハシホミドコロ、メルルィーゼ等々。

更に真面目な名前も考えた、エイコウカケハシル、ホシノマンテン、マンテンスター、ナナイロビクトリー、ビートプライド、ワレイクゴール、ブレイクダンシング、ワレニモショウキアリ、ワレイクパラダイス、コウミステイーロード、フォグフォグタイム、レジェンドジョーズ、ホノオノダッキャク、タイテンメドレーヌ、キタオールマイテイ、レジェンドホルダー、ダスティヒーロー等。中央競馬の馬名が気になるのは、競馬に夢中になった為、失われた10年があり、馬券には、以後何十年も手を出していないが、まだ未練があるからだと思う。20代の頃、経済的には恵まれていたが仕事に興味を持てず、将来に不安を抱え、鬱屈した気持ちを、解消する為の趣味や発散できる環境を持てなかった。その間隙を縫って、ギャンブルの競馬が忍び込んできた。月曜から金曜日までは、仕事に精を出し、土日には、馬券を買い、たまに、それなりの大金を得ることもあったが、結局、生活費以外すべてを競馬に注ぎ込むことから逃れられなかった。断ち切る為に、10年余りで退社し、他の張り合いの持てる営業職を探し、更に転職し、その流れの延長で独立し、今日に至っている。

知り合いのなかでも、会社社長、インテリと言われる職業の方、富裕層等何人かの方が、一時、若しくは今も競馬に夢中になり、ひと財産を失ったことがある。現在も、多くの人達がギャンブルを楽しみ、苦しんでいることを思うと、ギャンブルは、必要悪なのかもしれない?それにつけても、宝くじは、当選金に、税金がかからないが、他のギャンブルで取得した大金には、公式見解では、所得税がかかるらしい。宝くじと違って他のギャンブルは、ビギナーズラックで辞める人は少なく、以後も夢中になり、ほとんどの人が、マイナスになっており、中にはそれが原因で、家庭、人間関係が最悪になり、社会問題にまで発展することがある。中央競馬では、馬券の購入代金を口座から引き落としにし、当たり馬券代金の振り込みをして貰えるようだ。売り上げ時点で、高率、高額の収納金を控除して、残り分を各レースの当たり馬券の配当に当てている。やっと大金を取得し、口座に振り込まれた途端、補足し、税金を又取られるなんて、踏んだり蹴ったりで、酷な事だと思う。せめて、1〜2年で決済して、差し引きプラスが大幅にあれば、課税するなど如何であろうか。競馬の馬名等も公募して、登録させ、中央競馬界が、委託販売するのもいいと思う。国等は、これ迄の競馬等ギャンブルの収益金を手放す積もりはないし、廃止もしないだろう。せめて、夢を追い、希望を託し、ストレスを解消し、忍耐を経験し、挫折を味わい、諦念に至る現実を見据える学びの場としての健全なギャンブル?として、国民に認知されることを願いたい。

こんなことを考えているのは、競馬に関して、まだ、リベンジを考えているからでもある。失ったお金と時間。その代償の大きさを思い知らされ、やるからには、破綻を回避しながら、最後の勝負を挑みたいと思っている。そんな人並みの?思いも抱えて生きている。誰もが、いつの時代でも、どんなに歳を取っても、運命の転変を求め、一発逆転を狙う、悶々とした気持ちを持ち続けていると思う。更にもう一つの失われた10年を経てギャンブルは、懲り懲りのはずだが、皮算用もしている。配当率と確率を計算し、競馬資金として、集中して投入し、幸にして、大金を取得できたらマネーロンダリング?するために宝くじを買う。馬鹿なことをやって、ホップ・ステップ・ジャンプを狙うのである。乾坤一擲、最後の勝負を挑んで、当てが外れたらしょうがないし、諦めるだけである。万が一、成功したとしても、税務当局に捕捉され、たくさん徴税されるのだろう。ただし、その経緯、、虚々実々の、逃げつ隠れつの展開を文章に認め、それなりの印税をモノにできればいい。そんな戯けた夢を想定してワクワクしたことがある。おめでたい限りである。夢は夢として、おおよその予測と展開は想像できる。結局、大した変化もなく、時が移ろい、傍目には穏やかにみえても、本人の一日は、足掻きながら、波乱万丈で、退屈する事もなく、まあまあの一生と思い、生涯を閉じるのであろう。




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