不動産賃貸業となった経緯

経緯と書いていきさつと読む。
さて、タイトルの通り、不動産賃貸業をしているのですが、その経緯を簡単に説明したいと思います。あまり具体的に書くと特定される可能性があるため、一部フェイクを入れています。


1.最初の不動産物件

1-1 購入に至った経緯

私はそもそも不動産業者として働いていた事がありまして、ワンマン社長の元宅地建物取引士(当時は宅地建物取引主任者)の資格を取るまでは資料作成などの事務をしていました。今からおよそ15年前の出来事になります。

社長の知人でリーマンショック等の影響で倒産をした御方がいまして、その方(以後Aさん)の会社の債権はO社で買い取ることになり、O社としてはAさんの保有している債権を現金化したいと言う事で、その前に愛人を住まわせていたマンションを売却したい件が社長に伝えられていました。
価格は百万の位で前半。築年数も30年弱でリーマンショックと仙台市内の微妙な位置だったため(その後は土地区画整理事業によって超近代化しています)相当叩かれた価格でした。

条件としては

  • 管理費と修繕積立金が過去数年未払いのため、それらを支払う必要がある

  • 住むにしても貸すにしても内装の修繕が必須

  • ガス(都市ガス)給湯器の再設置が必須

と言うあまり良い条件とは言えませんが、O社の担当者泣かせと言わんばかりに更に値下げさせていました。

急に社長に「お前、あのマンション買って貸したら良いじゃん」と言われ、全くの寝耳に水でしたが、数年でペイできる気がしたため、貯金と社長(会社)からの借入で賄いました。Aさんも知っている人に売った方が安心との事で、自分で住んでも良いし、貸しても良いしとO社を交えて話をしたのを覚えています。
不動産業者だったので、内装工事やガスの再設置は知っている業者に頼み(これもだいぶマケて貰った)、登記については行政書士の先生に依頼して全ての手筈が済んだ後、いよいよ貸し出すことになりました。

1-2 A社を通して貸し出す

最初は自社で仲介しようと思っていたのですが、アパマンをやっていない会社だったので、アットホームやレインズに掲載しても何の礫もなく、不動産賃貸の最大手A社を通じて仲介を依頼しました。ここで宣伝費もかかるのは仕方ないと割り切りましたが。

すぐに入居希望者が来て、A社でちゃんとしてる人なので大丈夫ですとの事だったので契約。11月の出来事です。ところがその人は半年経たないうちに家賃未納で連絡もつかなくなり、更に半年後に入居者の高齢家族から引き払いたいと言う電話が来るまで、貸し出して1年後にすぐ空き室になってしまいました。未納家賃については一括で払って貰い、所有物はこちらで処分すると言う事で決着がつきました。行ってみると夜逃げとも言えないような状況で、冷蔵庫の中身が腐っている程度でしたが、スメルが酷くて住める状況じゃなかったため、クリーニングやらちょっとしたリフォームをすることになりました。ちょうど借金の返済も終わったので、少しだけ気は楽でした。

A社マジでアテにならねぇな、と言う怒りがあり、本当にちゃんと審査しているのかA社に聞きに行きましたが、1年前に仲介した営業は既に退職していて、話になりませんでした。

そんなわけでA社を通じて貸すメリットが無かったので、自分で客付けして直接契約が一番良いじゃんと気づいたわけです。

1-3 税金と直接契約

※ 脱税の話ではないです

それまでは給与所得のみでしたので確定申告していませんでしたが、貸し出した翌々年から確定申告をしました。その相談は会社に来ていた税理士事務所の社員に無料でしてもらい、不動産賃貸業の申告について勉強しました。その後、規模が大きくなっていったため、年20万程度の報酬だけですので税理士に依頼することになります。

最初の確定申告は分からない事だらけでしたが、大変勉強になりました。
大した金額では無かったのですが、あの時相談に乗ってくれた相談員のおじさんになら掘られても良い位に丁寧に分かりやすく相談させて貰い、それでも申告額が間違っていて後から税務署から電話がかかってくる経験をさせて貰いました。最初は確か全部で8万くらいの納税だったと思います。

そうこうしているうちにプチリフォームとクリーニングが終わり、再度貸し出せる状態になっていましたが、A社からはウチを通してくれと電話が何度も来ていました。関係性の保持のために適当に濁していましたが。

ちょうどその頃、知り合いの知り合いが引っ越したいと情報を得ていたため、軽い気持ちで誘ったところ借りてくれることに。直接契約だと仲介手数料や宣伝広告費の支払いが無いものの、保証人とかどうしようと言う感じでしたが、会社に出入りしていた保証会社で個人の契約でも保証OKとの話だったため、そちらとも契約し、何とか空き室は回避しました。

その方はその物件から3年弱で退去してしましたが、飲食店経営者で仲良くなって今でもお付き合いがある方となっています。人に恵まれて良かったです。

2.銀行との付き合い

2-1 地銀の偉い人と偉くない人

だいたいどこでも銀行主催で他の経営者と繋がりを持てる会を開いているものですが、地銀のその会に当時勤めていた不動産会社でも加盟しており、社長のお供でついていった時に、銀行の支店長や行員と名刺交換させてもらう機会がありました。

そこで、不動産賃貸業を始めた件等話をしたら、当時の支店長が軽い感じで「ウチにも不良債権あるからそう言うの引き取って貰えると嬉しいわ~」なんて話になり、今度お茶しに銀行に来てよと言う社交辞令的なのを真に受けて銀行に行った訳です。

余はまさにリーマンショック後の暗黒の時代(今の方がよっぽど暗黒な気もしますが)、銀行でも不良債権となっているマンションの一室が結構あるようで、なかなかに捌くのが大変と言う事、そんな細かい仕事は仕事じゃない事、銀行の本業は金を貸す事等、勉強になる話を聞かせて貰いました。

そんな中、何かあったらいつでも相談してね、的な感じで一人の男性行員を紹介して貰う事になったのですが、なんと向こうから名乗り出たとの事。名前を聞いて納得。そもそも友達じゃねーか、そいつ。と言う事で、久しぶりのご対面。銀行のバックアップ的なのもありつつ、事業拡大をすることになっていくのでした。

2-2 物件あるけどぼったくり?

銀行で今手元にある物件が数件あり、状況を確認しました。だいたいが小さめの物件となっていたため、価格は高く見積もってもこのくらいかな~なんて呑気に考えていましたが、債権化すると会計処理の問題でかなり高い金額になるようで、下手すると中古売買相場より高い可能性がありました。
また、そう言った物件の場合、人が住めるようにするまで追加でコストがかかります。一番収益率が高そうな物件について正直うわぁ無理だわと言う感想でしたが、ゴニョをゴニョすることでゴニョるようで(滅茶苦茶濁す)、実際はまぁそんなもんかと言う価格になりました。

先のマンションを抵当に入れ、銀行からの借入で全額賄う事にし、これまた数百万円の買い物をしたのでした。クリーニングやリフォームにかかった費用は先のマンションの家賃収入で賄いました。

2-3 とどまることを知らない

その1年後、再度銀行と何だかんだ調整し、物件をもう1軒購入、ちょっとした臨時収入もあり、それを頭金にして更に購入、と言う具合にパコパコっと所有物件を増やしていきました。

問題は客付けだったのですが、1件目で住んでくれていた店長が社員やお客さんを紹介してくれたおかげで非常にスムーズに成立していきました。

ただ、収入が増えたため税率も上がり、確定申告をすると税金を大量に支払わなければならず、自分の財布に残った感じは一切ありませんでした。当時の私の不動産賃貸業の事を知っている方ならご存じの「税金払って借金返して銀行の言いなりになっているから全く金が無い」と言う言葉の通りとなっています。そもそも借金返済について、元本は控除できず、利息分のみ経費に算入できるので、不動産賃貸業の辛い所はそこかなと思います。借金返しても全額プラスともならないんですよね。
当時不動産賃貸業は辞めて別の仕事をしており、税制については明るい方だと思っていましたが、自分自身に当てはめることが出来なかったという。

そしてあの出来事が起きたのです。

3.東日本大震災と罹災

3-1 東日本大震災を受けて

2011年3月11日、忘れもしない東日本大震災が起きました。当時、勤めていた会社の海の近くの事業所におり、16時アポで海側のお客さんの所に行く予定でしがので、地震が1時間遅かったら自分が津波に流されていた可能性がありました。幸い、自分自身は揺れのみでしたが、帰宅するまで普段は1時間弱のところ、6時間以上かけて愛車のパッソで帰りました。

それはさておき、地震があり、自宅マンションも大規模半壊となりましたが、それ以上に保有物件の状況が気になりました。
連絡がつかない人もいてとても心配しましたが、最終的には全員と連絡が取れ、家の損壊状況を確認、修繕が必要かどうかを全員に聞きました。
保有物件はほぼ全て当時築30年前後でしたが、住めなくなっている人は誰一人としておらず、内装の壁紙が破れたとか、コンクリートむき出しになったとか、ボードがずれたとかその程度ばかりで非常に安心しました。
2011年のゴールデンウィーク明けから作業をはじめ、大きな補修が必要なもの以外は借主に納得して貰えたので助かりました。
それでも費用としてはトータル300万円以上はかかっています。

3-2 退去ラッシュ

東日本大震災があり、放射能が~というバカもいて、この年の夏~秋頃仙台を離れると言う人が多く、一時的に退去ラッシュとなりました。その時は4部屋が退去となっています。ただ、客付けに苦労した2年前とは違い、借上仮設の制度があったため、少しの間はそれで賄えました。役所関係の書類の行き違いなどありましたが、次の春に向けて着々と準備を進めていました。

3-3 人が増えた

借上仮設は3月末で終了となっていましたので、4月以降の入居者について考えていたところ、銀行で紹介して貰えた会社の一括借上げがあり、GW明けで調整できたため、タイミングよく次の入居者が決まりました。ちゃっかり家賃も上げたりしましたが、法人契約は取りっぱぐれない上、長期で借りてくれると言うメリットもあります。結果的に東日本大震災の復興関係が終わる2015年3月まで借りてくれたので非常に助かりました。

また、自分自身が飲みに行く店に来ている他の常連の女の子などにも声をかけ、更に追加で購入した部屋など貸しています。
その頃、復興関係で資材も人件費も高騰していたので、知り合いの大工と一緒に作業したりしていました。
また、何故か2LDKが多く世に出回っており、2LDKをプチリフォームしてルームシェア等で使用して貰う事になっています。

所有している物件が多くあるエリアにも人がだいぶ増え、土地区画整理事業が終わったばかりで大きな道路が出来たり、空き地に新築のマンションがボコボコ建築が始まっていました。その一方、古い商店街は無くなり、地元に住んでいた人達もいなくなったり、換地にマンションを建てたりしていました。

4. 物件や色々な変遷

4-1 初めての売却

ちょっとだけ時間の流れが飛びます。
それまでは買う方専門で売ることが無く、売るつもりも特になかったのですが、色々とお金がかかることが続き現金に不安があった事や、タイミング良くこれからもずっと住みたいから売って欲しいと言う申出があったため、初めての売却を行います。初めてともったいぶってますが、後にも先にも実際この1件だけですが。
所有物件については相当地価も価値も上がっている事は当然承知済みでしたが、向こうからの提案の価格が「買った時の価格とリフォームその他で掛かった費用」を大きく上回っており、また、数年間住んでもらっていたのでその家賃収入もあります。
差し引きして考えて500万以上はプラスになると思ったため、手放すことになりました。家賃収入だけで500万だとその物件ならおよそ7年はかかります。税引き後で考えたら15年かかるかも。

売却は税金どうなるのか等、色々分からない事だらけでしたが、税金は思ったよりかは少なくて済みました。
その頃から数千万円は常に口座に入っていました。敷金等もありますがね…。

4-2 所有物件が2桁

震災復興のための無利子貸し付けなどあったため、2014年頃まではとにかく買えていたので増やしていったところ10件の所有になりました。(4-1の売却はその後でした)
ただ、銀行からの借入条件が厳しくなっていたり(要は金利が高い)、万一居住者が全員出て空き家が1年続いた場合債務超過に陥る可能性を指摘されたため、一旦買うのはここでストップ、その後1件売ってからもう1件購入して10件として、借金の返済を主軸に考えるようになりました。
借金返済を早く終わらせれば、残りは全て収入になるわけで、借入も物件ごとに金利も返済期間もバラバラとなっており、とても分かりづらい状況になっていました。

そこで銀行に相談したところ、法人化すれば全部一元化できるのでは?と言うアドバイスを貰い、法人化することにしました。

4-3 会社設立

元々別の会社をやっていましたが、不動産賃貸業を法人登記することにしました。所有している物件については全て個人から会社に貸している事にし、最終的に会社で買い取ることを目標としました。

とにかく会社を太らせられるように、短い期間で返済できるよう再度借入を調整し、自分自身の給料はちょこっとだけ、なんて甘い気持ちでしたが、なんと給料が設立後トータル100万円しか受け取っていないのでとても残念な気持ちになっています。実際は自分自身の確定申告を回避したいところもあったので、そちらがメインとなっています。貸している事になっている家賃については全て未払金として会社にプールされています。
また、最終的に借りなおした銀行の借入金の金利は上がっていますが、銀行との付き合いもあるので仕方ないと割り切っています。

4-4 コロナ

そして2020年になります。新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行し始めました。
ちょうどコロナと関係あるか分からないですが、1部屋空いたのですがそのままにしていたところ、持続化給付金や無利子貸付が始まりました。
売上が下がったので、これらも上手に使う事ができました。
貸付についてはとりあえず借りられるだけ借りておき、3年の無利子期間(据置5年)はただ放置していたと言う。それが終わり返済をどうしようかと考えていたところに新しい話が舞い込んできました。

4-5 いてん新築アパート建てるってよ

場所があまり良いとは言えない、私の生活範囲ではないエリアの古い住宅が密集していた住宅地が全部売られたようだと言う情報を得たので、謄本取って調べてみる事に。すると所有者が面識がある不動産屋に登記されたばかりで、電話して聞いてみると自分の親戚一同が住んでいた土地で、建物が古いから取り壊してアパートか何か建設しようとの事だが、今アパート建てても元を取れるか分からない、という話でした。
冗談めいて「もし良かったら売ってくださいよ」と電話で話したらあちらも「銀行とも相談してたんだよ」なんて本気っぽい返しだったので、銀行に確認しました。その結果、相手の言い値より高いが相場より安い価格で土地を購入することが出来ました。
いかんせん変な形をしているため、本当にアパート建てられるのかという不安が。住宅地の旗竿地で入口が狭いので建築無理なのでは・・・なんて脳裏をよぎり、最悪建売業者にうっぱらおうかとか考えていました。
とりあえず上物の解体から始まり、工期がちょっとだけ長くて3カ月弱でようやく更地に。更地になったら意外と広くてびっくりしました。全部で70坪で、入口の幅員は更地になったら3mあることにも驚きました。(ちょうど建物のひさしがあってもっと狭く感じていた)

これなら大丈夫そうだな、と言う事でアパートの建築を実行することになりましたが、やはり費用が足りないので銀行に相談し、追加で融資を受けることが決まりました。
そしていつもの大工と相談した結果、鉄骨コンクリートの3階建てが一番ベストとの事でしたが、大工の所では木造しかやっていないので、知り合いの別の業者に躯体のみ建設してもらい、内装と設備は大工に依頼する事となりました。

部屋は2LDKが2部屋、1DKが9部屋、管理人室とMDF室です。管理人室は作るなら賃貸1部屋増やせそうですが、単純に自分が自由に使える部屋が1個増えると言うメリットですw
のちのちは会社も管理人室に移転したいと思っています。

工事は正式な発注をかけてから数日後にはスタートし、ものの2ヶ月で躯体が完成、そして2か月で各戸の設備内装が完成。まだ共用部が終わってないのですが、ようやく明日2/29から入居が始まります。

今回の客付けは年末からA社に完全に任せることにしました。
ただインターネットは当初無料を予定していましたが、設備的な問題で各戸まで光ファイバーを敷設できるようにCD管を通すだけとしました。(MDFまではNTTフレッツを引いている)
依頼かけてほんとに一瞬で全室埋まりましたが、インターネット設備無しに仕様変更した際に1人だけキャンセルされました。ただすぐに次の客を見つけてくれたのは有り難いですね。

設備?として、出来る限りIoTを活用したり、防犯カメラは自前で準備したり(買う/リースは高すぎた)、人件費を含むランニングコストを出来る限り少なく運用・管理できるようにしています。

変な形の土地なので、駐車場は月極で6台分しか取れず、自転車置き場がやたらと広いなど、不思議な感じになってしまいました。
そのうちダテバイクやLOOPのポートの導入も考えたいところです。

また借金が増えたのですが、このままで行った場合、全ての借金返済があと25年後くらいになるので、頑張って返していこうと思っています。

~スペック~
【全体】
賃貸アパート
ペット可(敷金+1か月)
敷金 2か月 礼金 1か月 2年契約 更新料なし
全戸南向き

【共用部設備】
鍵付入口、鍵付フロア入口
モニター付きインターホン
集合ポスト、宅配ボックス
自転車置場 登録制
駐車場 6台(月額8000円)
臨時駐車スペース 1台

【各戸】
共通設備
バストイレ別、洗濯機置場
追い炊き機能、シャワー付洗面台
ウォシュレット
システムキッチン3個口
全洋室フローリング

2LDK 2部屋 角部屋
52㎡ 8畳+4.5畳(LDK続き)  家賃 84,000

1LDK Aタイプ 3部屋 角部屋
40㎡ 12畳 家賃64,000

1LDK Bタイプ 6部屋
36㎡ 12畳 家賃62,000

おおまかにこんな感じになってる


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