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【1日目】3年ぶりの八郷 〜希望編〜

3年ぶりに八郷(茨城県石岡市)へ行ってきました!

今回、八郷を訪れた目的は情報収集(人に会う、気になる場所に行く)。

ただ、情報収集という言葉そのままのニュアンスよりは、もっと有機的に「なんでもあり!」な設定で出かけました。


1日目は、羽田から土浦市へ電車移動し(品川から1本でラクラク90分!)、予約しておいたものすごい格安レンタカーに乗って八郷に向かいました。

知ってました?こちらのレンタカー屋さん。ぼくは今回初めて知って、あまりの安さに驚愕しました。


旭川空港を飛びたったのが9時すぎ、八郷入りしたのが15時ごろ。地元の方3名にお会いしお話を伺いました。


若い推進力に感銘

最初にお会いしたのは、4年ほど前から八郷地区で子どもたちが自然のなかで「自らつくる」体験を引き出す八郷留学を運営されている原部直輝さん。八郷出身のUターン組で、いろいろと情報交換や意見交換させていただきました。

Facebook経由で直メッセージをいただき、やじま石岡市長からも「応援します!ぜひ交流を」とお声かけいただき楽しみにしていました。

原部さんは、4年前「子どもたちが自然のなかで体験する場をつくりたい!」と思い立ち、一気に形にしたとのこと。その後にあったアレコレも伺いましたが、もちろんご苦労はあっても順調に進んでいる様子でした。

父がやさと農業小学校でやっていたことと通底しているように感じ、とても共感できる人柄・取り組み。

いい出会いだと感じましたし「今後もコミュニケーション取っていきましょう」とお別れしました。どういう形かはわかりませんが、長いおつきあいになりそうな予感です。八郷留学、ぜひ応援よろしくお願いいたします。


地域の問題あれこれ

次は、生前の父も大変お世話になった、あめにも舎のご近所の方にご挨拶に。

有り難いことに、顔を出すといつも歓迎してくださって、お菓子や果物がどんどん出てきます(笑)。地域のいろんなお話を聞かせていただきました。

「どこの家も後継者はほとんど帰ってこない」
「体力が続かず田畑も止めた(さらに耕作放棄地が増えた)」
「移住者と昔ながらの町内会の微妙な関係性」

東京の一部など特殊なエリアを除いては、日本全国どこも悩み・課題は同じだなと。ぼくはふるさときゃらばんという、まあまあ変わったミュージカル劇団に18年いた過去があって、地方の悩みはかなり身近な存在でした。退団して12年ほど経ちましたが「変わっていない」というか、問題は雪だるま式(加速度的)に大きくなっている印象です。

問題を先送りし続け老齢化した現場はお手上げ状態にも見えます。でも政府とか農協とか今まで守ってくれた(っぽく見えていた)大きな組織がなんとかしてくれると期待するのは時間がもったいないですね。

時代を俯瞰すれば、特に江戸時代以降に耕作地が急増して(農業化)、さらに集約化やテクノロジーの進化などで生産性向上を一気に押し進めた波があって(産業化)。普通に考えれば、お腹を満たすために必要な耕作面積が充分になったら、生産性が上がった分は面積を減らすため、山間部など条件不利地から使われなくなっていくことは小学生でもわかります。さらに人口減も重なっているのですから。

一方で農産物を輸入している矛盾(苦笑)。関係各位には、さらなる奮闘を期待したいです。今の延長線上でがんばるのではなくパラダイムを変えるという話なので、なかなか真意が伝わりづらいですが。

もし「先祖代々の谷間の小さな集落を次世代に残したい」と本気で願うのなら、必要なのは大胆な世代交代であり、狙うはニッチ市場でしょう。「何を買ってもまあ悪くない」平準化されたある意味不幸な世の中に一定割合で存在し続ける、「それじゃつまらない」「そこにしかない」を求める層です。

生産性向上とはまったく別の軸「美しさ」「幸福感」「子どもたちが逞しく生きる」など計測しづらい部分に価値を見出す人たちを味方につける。仕掛ける側の強く深い意義・意味が問われていると言えます。

ミスコミュニケーションによる無駄なコスト(思い込みとか意地の張り合いとかw)を減らし、正真正銘のフォーカス(やらないことを決める)が必須でしょうけども。ぼくはそういうのが創造的でチャレンジングで面白いと感じる性質です。

そこをどう折り合いをつけていくのか、、、いや、折り合いとかソフトランディングとか悠長なことは言ってられない喫急の課題だと思います。


下の写真は、各所でいただいたお土産です。お土産話だけでなく(笑)。

こういう感じ、、、好きなんです。ありがとうございます!

写真は19日に撮ったもの


あめにも舎の建築士さんと

そしてこの日3件目は、あめにも舎の設計を担当くださった建築士さんと。

  1. 日本家屋特有の今後のコスト(手間、お金)

  2. 設計を担った建築士の視点から、あめにも舎の使途の可能性

じっくりお話を伺ってみて「おおー、やっぱり維持するだけでもかなり大変なことだな」というのが率直な感想です。父の思い出話やら含めて、なんと21時すぎまで事務所で話し込んでしまいました(すいません)。

話は少し脱線しますが、吉田建築計画事務所の採用は、コミュニケーション能力の低い子は仕事にならないので採用しないそうです。提出資料に書いてあることは立派だけど、世間話はできない、想定外の質問がくると固まってしまい「なんでこの子ここに来たんだろう?」ってことがたまにある、と笑っておられました。

そりゃあ仕事にならないですよね。仕事って、他所から受注して他所に納めるんだから(笑)。部下に指示を出すのも、上司の指示を理解して成果につなげるのも、関連業者様との関係も、夫婦関係も、本質は一緒ですよね。

ぼくは、自分のデータにないことが起きた時に対応できるのが人間の強み(AI の弱み)だと思うんですが、今の若い世代にとって、常に変わりゆく現実に対応し、自らを鍛え上げ才能を発露させる機会が少ない社会なのだとすれば、誰にとっても不幸なことだと背筋が寒くなりました。

話が脱線したようで、結局人の成長に興味があるのだなと気づきます。1人の人間が関心を向ける先は、生まれてから死ぬまでたいして変わらないようです。

吉田さん、色々と勉強になりました。ありがとうございました。


2日目、いよいよあめにも舎へ

1日目の宿は、旧八郷町の中心部・柿岡にある、民泊開業準備中のシークレットな場所に。熱いお湯に浸かり、怒涛の1日目を終えました。

翌18日(2日目)は、いよいよ3年ぶりのあめにも舎へ。行ってビックリ。ショックのあまり言葉を失ってしまいました。

【2日目】3年ぶりの八郷 〜ショック編〜に続きます。

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