『暁の寺』感想

再読。この巻もやはり再読のほうが愉しめた。ニヒリズムのさらに下にあるもの。虚無と豊饒の一体した境地、聡子としてもう一度本多の前に現れる、白い牛のまなざし。認識の虚妄を燃やし尽くす絶対。深淵にふかぶかと身を沈めて深淵を覗く怖ろしさと愉しさ。厳密な認識者の前にのみ現前する夢、すなわち輪廻転生。清顕と勲、ジン・ジャン、その他無数の転生者たちの影。この永遠に思われる輪舞に込められた無常と慈悲の機微が、再読しなければわからなかった。人は何かに再び巡り合うたび、輪廻の時を生きるのだろうか。あたかも初めての日のように。

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