見出し画像

41.さよなら東京

移住時期は2013年7月以降、移住場所はローマ。
具体的な時期と場所が決まったので、あとはそれに向けて準備をするだけです。
と言っても、東京でできることは少なかったのですけど。


私のやった移住準備

イタリアへの出発日までちょうど良いタイミングで募集のあった派遣の仕事は、銀座にあるIR専門のPR会社でした。
IRとは株主や投資家に向けた情報発信ツールのことです。
校正・校閲と全体スケジュール管理が私の主な仕事だったのですが、その会社で請け負っていたのは誰もが知っているような有名企業ばかり。
日本語版だけでなく英語版も作成していたので世界に向けて情報発信する企業の姿は、これからイタリアへ行く私を励ましてくれるようでした。

この仕事はなかなかに忙しく、もちろん料理教室とシチリア食堂も続けています。
限られた時間の中での移住準備となりました。

ローマの住居を決める

本当は移住までの間に、たとえばローマでの就職先を積極的に探すとか、現地の状況をリサーチするとかすれば良かったのでしょうけど、いくらネットがあるとはいえイタリアは口コミの世界です。
さまざまな情報がメディアに流れるのではなく、人の口によって伝えられていくことが多く、それは10年前だったからというわけではなく今でもそう変わっていません。

そんな状況下、ローマでの住居もやはり口コミ情報で決まることになります。
当時ちょうどローマに語学留学していた知り合いが、ある物件を紹介してくれたのです。
閑静な住宅街にあるアパートのひと部屋を貸してもらえるということで、その口コミ情報に頼ることにしました。

シェアハウスを続行する

本当は移住に当たってマンションを手放すことも考えていました。
調べてみたら、当時の販売価格で得たお金で残っているローンを全額返済できることが分かったからです。

するとイタリア通の友人からあるアドバイスを受けます。
それは「イタリアに移住したものの、日本に帰りたくなったときに帰る場所がない、という人をたくさん知っている。あなたにそんなつらい状況になって欲しくないから、東京での居場所は確保したままローマへ行ったほうが良い」というものでした。

1年ほど経っていた運命のシェアメイトも部屋を気に入っていて私がいなくなってもそのまま住み続けたいと言ってくれています。
そこで、マンションは保持したまま、私の使っていたマスターベッドルームもシェアルームとして貸し出すことにしました。
7月から募集を始めて何人かと会い、8月には入居者も決まります。

ローマの住居と東京の住居と、この2つを調えたことが私のやった移住準備だったと言えるでしょう。

航空券を買う

派遣の仕事の契約が8月末までだったので出発は9月初旬にしました。
航空券を買わなければいけないのですが、まだビザを持っていないので自分では移住のつもりでも単なる旅行者としての渡伊になります。
シェンゲン協定があるためイタリアにいられるのは最大90日、約3ヵ月間です。
この間に移住のためのビザを取る必要がありました。

しかし、そんなにうまくことが運ぶとはとても思えません。
それでも、ローマに行ってみないことには何も始まりません。

そこでまず、2ヵ月滞在するための航空券を買いました。
猶予を1ヵ月残しておいたのは、ビザを取れることになったとしても1度は日本に帰国して東京のイタリア大使館に出向く必要があるからです。
3ヵ月ギリギリ滞在してからだと、その後また3ヵ月経ってからでないとイタリアに再入国できません。
それを避けるため、9月初旬に出発して11月初旬に戻る航空券を手配しました。

とにかくまだ何も決まっていないし分からないことだらけなので見切り発車な部分が多いのですが、いちいち確定するのを待っていては前へ進むことができません。
そのあとの再入国用は、現地へ行って状況を見てからの購入です。

さよなら東京パーティー

ローマで取りあえずの住処しか決まっていないのにも関わらず、移住する気は満々、東京に戻るつもりは全くなかったので、最後のお別れパーティーをすることにしました。
さよなら東京パーティーです。

場所は自宅にしました……60㎡の2LDK、しかもうち1部屋はシェア中なので使えるスペースは50㎡ほどでしょうか。
夏だったのでベランダも開放しましたが、この日、うちに集まったのはたしか80人近い人々でした。
ずっと滞在していたわけではなく、夕方から翌朝まで入れ代わり立ち代わりに顔を出してくれたという感じです。
玄関ポーチにまで人があふれていて本当に楽しい夜でした。

ひと晩で開けたワインの一部

このパーティーのことは今でもたまに思い出します。

変なハナシ、東京での私はここで1度死ぬので、そのお通夜みたいだなと思いました。
まるで、もう一生日本に帰ってこないのではないか、というぐらいの感傷を持って来てくれていた人も多く、これは簡単には根を上げることはできないなと覚悟したのを憶えています。
そして、その気持ちは10年経った今でも変わっていません。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?