M42クリエイションズ

初めまして。長野県川上村出身、東京で故郷を思う毎日。自分が何をこの世に残せるのか。今ま…

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初めまして。長野県川上村出身、東京で故郷を思う毎日。自分が何をこの世に残せるのか。今までの失敗や経験から学んだ事や日常を綴ってみます。ときめく人生の維持装置製作所を目指します。(ヘッダー、プロフィール写真掲載許可by ANA:ANA Blue Hangar Tour 個人撮影)

最近の記事

おばあちゃん子は、いつもビリ(1)

その村では、毎年秋に(確か、体育の日)に村民大運動会なるものがありました。村の八つの地区が競い合う、運動会です。私が大嫌いな行事でした。 小1の時、初めて、駆けっこに参加です。学年から一人選ばれ、6人チームで対抗戦です。一年生では私しかいないので、自動的に指名選手です。 まだ、登校拒否のど真ん中の、虚弱で気弱なわたし。 一周、200mくらいでしたか。一番スタートの私は、スタートからビリ。走るなんて初体験。いつも、おばあちゃんと手をつないで散歩したことしたないのです。 途方もな

    • おばあちゃん子の登校拒否:騒動@寒村の小学校(後編)

      その転機とは? その時期「転機」などという語彙を知っているはずもなく、先生や親に教えてもらったわけでもなく。物心ついてから、自分なりに考えたのですが。 それは、「絵」でした。 図画工作の時間に展覧会用の水彩画を描いたのです。私が描いたのは、犬のつもりの未確認生物。 クラスには、絵の得意なK君がいました。K君、漫画家を目指すのですから、上手いのです。 井出先生、なんとそのK君の上手な犬の絵と、私の怪奇生物の絵を展覧会に出展したのです。 すると、なんと、私の絵が、金賞を受賞。初め

      • おばあちゃん子の登校拒否:騒動@寒村の小学校(前編)

        私の登校拒否歴を、長々とシリーズ化するのも気が引けますので、 記憶が鮮明な“物語”を前編、後編で手短に・・・ 初日は母ちゃんに引率され入学式に行ったものの、すぐにおばあちゃん子病が発病。 川に逃げたり、山に逃げたり、学校から家に連絡があり欠席がばれました。 次の日から母ちゃんに手を引っ張られ、一クラスのだけの一年生の教室に放り込まれるのです。 大泣きが始まり。隣の同じ階の教室から先生やら他の学年の小学生が見学に集結です。 逃走を試みるのですが、私が逃げられないように、教

        • おばあちゃん子の4月 登校拒否準備

          保育園は前代未聞の不良出席率でしたが、一応卒園・・・登園拒否児なんて、当時いただろうか? そして、数十年前の4月に、地元の小学校に入学。 なんか、おかしい・・・母ちゃんはいつもと違うよそ行きの服装。 父ちゃんは、だまって仕事に。 ランドセル背負って、学校に。入学式。 おばあちゃんがいない! 周りは知らない連中と大人ばかり。 自分はどんな無様な表情をして、恐怖におののいていたのか・・・ 入学式が終わり教室へ。 担任の先生は定年前の井出先生。兵隊さんとして戦地に行ったらしい。 整

        おばあちゃん子は、いつもビリ(1)

          おばあちゃん子の登園拒否

          両親が忙しく、母方のおばあちゃんに育てられました。それは優しいおばあちゃんでした。いつも、どこに行くのでも、一緒。 その私が保育園に行くようになると、当然大好きなおばあちゃんとは会えないわけで。登園拒否が始まります。登園簿には欠席の印が続いていたと記憶しています。 徐々に保育園に慣れて、行き始めたのでしょうが、それでも、超がつくおばあちゃん子。おばあちゃんがいないと何もできない。 おばあちゃん子の泣き虫が、小学校に進みます。さあ、大変です!

          おばあちゃん子の登園拒否

          自分は何を誰に残せるのだろうか。

          自分が世の中に、社会に何を残せるのか。真剣に考え始めました。千曲川の源流に生まれ、東京で暮らし、ふと思いついた答えは「還元」です。 私の経験や知識を必要としてくれる方に、これから発信させていただきます。 登校拒否、いじめから始まった小学校時代。振り返ると、いやな出来事の中に、ひときわ輝く出来事があったのです。 よろしくお願いいたします、

          自分は何を誰に残せるのだろうか。