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祖父がくれた1000円とシャマランの映画

こちらのエッセイはnote公式のお題企画である#映画にまつわる思い出 に参加させていただきます。

少年時代、僕は親からおこづかいというものを貰ったことがなかった。
家が特別に貧乏だったとかいうわけではない。親がおこづかいを支給するシステムが無かったのだ。

親の代わりに僕におこづかいをくれたのは祖父だった。

祖父の家は車で20分ほどの距離にあり、月に一回程度は家族(父、母、僕と妹)で顔を見せにいっていた。
祖父の家を訪ね、お互いの近況を報告しあって帰るのが毎月のルーティーンだった。


僕たち家族が帰る頃になると、決まって祖父は僕に声をかけた。

「ゆうちゃん(僕の名前)、これでお菓子でも買いな。」

祖父はいつもおこづかいが入ったポチ袋を用意してくれていた。中身は大抵は千円札が1枚だった。(妹は500円玉1枚だった気がする)

月に一度、祖父の家に遊びにいくと貰える1000円。それが少年時代の僕の唯一の収入源だった。実際のところ僕はお菓子などにはほとんどお金は使わず、漫画や中古のゲームソフトなんかを買っていた。


正直に言うと、祖父の家は少し退屈だった。
とくに小学生の頃を思い出すと、年老いた祖父とはテレビゲームや遊戯王カードで遊ぶことは出来ないし、キャッチボールに付き合ってもらうわけにもいかなかった。

両親は休日に僕と妹を祖父に預けて出掛けるパターンがたまにあった。そういう時は祖父の家で半日を過ごさなければならない。だから僕はゲームボーイを持参し、家の中でひたすらポケモンをやっていたと思う。

「ゆうちゃん、そんな小さい画面見てると目が悪くなるよ。」

優しい祖父のことは好きだったし、反抗して困らせたりしたわけではない。ただ小学生の時分には、自分の家でゲームをしたり友達と遊んだりする方が楽しかったのだ。


いつしか、祖父の家に行く楽しみは「1000円を貰うこと」になっていた。

そろそろ帰る頃かな、と雰囲気を察した祖父がスッと立ち上がり、ポチ袋を取ってくる瞬間が待ち遠しくなった。祖父が忘れていたのか、それとも毎回お金をあげると教育上良くないと思ったのかはわからないが、たまにお小遣いを貰えずに帰るときは「今日はお小遣いくれないの?」という言葉が喉まで出てしまった。
すごく嫌な言い方をすると、月に一度の収入を得るために顔を見せていたとも言える。なんとも薄情な孫だったと思う。



そんな祖父のくれた1000円と、映画についての思い出がある。

小学五年生のある日、僕は母と妹と近所のショッピングモールに買い物に来た。ショッピングモールの中には映画館があって、僕はある映画のポスターに目をひかれた。

それは『サイン』というSF映画だった。

この映画は『シックスセンス』の監督(M・ナイト・シャマラン)の新作で、テレビで紹介されていて気になっていたのだ。

映画の中にUFOとか宇宙人が出てくるらしく、僕はとても興味をそそられた。
映画館でアニメ映画を観たことはあったけれど、実写の映画を観たことは一度もなかった。ましてこれは海外の映画だ。知らない世界に出会える気がして、僕はとてもワクワクした。

このサインって映画を観ようよ。

強く母にねだった。

しかしなかなか母の許可は降りなかった。
「3人で映画なんてお金がもったいないでしょ。買い物に来ただけなんだから帰るよ。」

それでも僕は必死に母に食い下がった。
何度も頼み込んで、結果的に「僕が自分のお小遣いで自分の分と妹の分のチケット代を払う」という条件付きで映画を観ることになった。

小学5年生にはなんとも厳しい条件である。子供二人分の映画のチケット代ということは、1000円×2=2000円という大金だ。

僕は祖父から貰った2ヶ月分のお小遣いをポケットから出して、映画のチケットを買った。
本当はゲームソフトを買うためにとっておきたいお金だったが、この映画のためなら仕方ない。



そして僕は、初めて洋画を映画館で観た。
大きなスクリーンに、お待ちかねのUFOや宇宙人が飛び出してきた。

しかし……。

肝心の映画の中身は、はっきり言ってつまらなかった。
主人公の父親(メル・ギブソン)が未知の相手から家族を守るために奮闘する。最初は怖い映画だと思ってビクビクしながら観ていたのに、宇宙人の正体が明かされてからはなんとも間抜けなやり取りが続く。子どもだった僕には内容が難しかったのもあるが、はっきり言ってがっかりした。
僕が望んでいたのはもっと興奮で胸が高鳴るような宇宙人の映画だった。

肩を落として歩く僕に、映画館に入るまでは対立していた母親が「うん、つまんなかったよね。残念、残念。」と慰みの言葉をかけてくれた。
ちなみに妹は幼すぎて僕以上に何がなんだかわからなかったと思う。

こうして僕の貴重な2000円は、つまらない映画のために消えてしまった。

テレビではあんなに面白そうに宣伝していたのにもう騙されないぞ、と思った。僕は初めての洋画体験で大人の階段を一歩上ったのかもしれない。



しかしこの『サイン』という映画は、今でも実家に帰るたびに母と話のネタになる。
宇宙人の見た目が安っぽかったとか、家族が揃いの帽子を被ってておかしかったとか、思い出しては笑ってしまう。もしかしてあれはコメディ映画だったのかな?と錯覚するほどだ。
「あんた、あの映画におじいちゃんから貰ったお小遣いをつかっちゃったのよね。」と母親が笑いながら話す。こうやって今でも笑える経験になったのなら、ひょっとするとお金以上の価値があったのかなとも思う。

ちなみに大人になってから家で『サイン』を観返したら、やはり内容に突っ込みどころは多かったものの、意外と心温まる場面が多くて驚いた。歳を重ねると、同じ映画の捉え方も変わってくるものだ。


最近、親が撮りためていたホームビデオをDVDに焼き直してくれる業者に依頼して、昔の家族の思い出を見返す機会があった。

ホームビデオの中に、お小遣いをくれた祖父が何度も出てきた。
月に一度祖父の家に遊びに行っただけではなく、家族と一緒に出かけたこともたくさんあったようだ。

祖父は、いつも幼い僕のそばで映像に映っていた。
公園で走り回る僕を追いかける祖父。僕に膝枕をして寝かせる祖父。言葉は少ないが、祖父はいつも優しい笑顔で僕を見つめていた。

ホームビデオを見返して、退屈だと思っていた祖父との思い出は、実は愛に溢れていたのだと気付いた。
しかし祖父はもうこの世にはいない。僕と祖父との思い出は、強烈な喪失感と共にテレビに映し出された。

思わず涙が出た。



今になってみると、『サイン』という映画は祖父と一緒に観ればよかったのにと思う。祖父があの映画を観たらどんな感想を言っただろうか。「つまらなかったね」と言って笑ったのか。それとも優しい祖父は、僕に気を遣って「面白かったよ」とお世辞を言ったかもしれない。

祖父が生きているうちに、もっと色んな話をすればよかったなあと思う。少年だった僕には、あの退屈な時間の愛しさがわからなかったのだ。


いまも映画館のチケットを買うたびに、祖父がくれた1000円のことを思い出してしまう。

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