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車窓の幻想(一)思ひ出より

車窓の幻想(一)
 思ひ出より
   菊池譽志雄

・氣怠い程弱い音を立てゝ、動き出し

した列車に乗つてから、急に曇り日

の淋しさが、眼に寫る。過ぎ行く枕木スリーパー

の一本毎に、総ての物が、深い印

象となつて、心に刻まれて行つた。

小さい胸には、もう計り識れない程

の大きな期待が含まれてゐた。黑い

けぶり、勞働の煙が、車窓の外を飛んで

潮の樣に流れて行つた。

 空漠たる平原の中に突立つてゐる

大木を見出した時には、軈て、とは

ゝ、白樺の秋を思ひ出さずにはゐら

れなかつた。どんよりと曇つて居た

空も何時か上つて居た。滊車は何處

迄續くか、涯限かぎりの識れない、蒙々もうもうたる

牧草の平原を辷る樣に走つて居た。

平原を通して遠く見江るのは、長く

低くなつてゐる綠の山があるのみで

あつた。

 其の時、紫陽花咲く南國に育つた

私が、遠く北海道へ渡つて來るとき

に、すぐ私の側にゐた少年と、フト

談合はなしあつて、馴染になつた事を思ひ出

してゐた。

 奥羽地方に入つたばかりK驛か

ら乗り込んだ少年が、沈み勝の目を

伏せ乍ら、空席を探してゐたのを、

見付けた私が直ぐ隣の席に導いた。

私は可成りの長旅に疲れ切つてゐた

から、彼の持つて來た小さな合財袋

を上げてやるにも、餘程骨が折れた。

荷物を、片付けてから、席に腰を下

した少年がホツと吐息をついて靜か

に四方を見渡した、それから私の方

に向きなほつて今の禮等れいなどを云つてゐ

た。

 淋しい旅愁を免れてから急に心强

くなつた私は直ぐにも彼と話そうと

努めた、少年は又私の聞くがまゝに

低い聲で話して呉れた。滊車は丁度

平原を走つてゐた。廣い廣い平野の

向方むかふには矢張り蜿蜒うね/\した山脈は、滊

車の走るにつれて、どん/\と長く

伸びるやうに思はれた。山脈は皆な

紫の色に煙つて居た。

「君此の平原は何處迄續くんだらう

。」と始めて話にいとぐちを得て、ふ云

つた時に少年は寂し層な瞳を上げて

「江ゝ、あのもう一つ隧道トンネルを出ると

高い山になつて了ひます」ふ云つ

た。彼は此れからもう三つ目のS驛

で下りてあの山を越江て、自分の父

母のゐる村に歸るんだと云ふて居た

此時迄に少し感働的になつてゐた私

は車内に立罩たちこめてゐる煙にむせるの

が嫌で靜かに窓を開け乍らふ云た

「君えらいね、あの山高いんだらう」

「いゝ江、そうとも感じません、何

時も馴れて居るもんですから」と云

つて落着のない瞳を、だる層に開け

て居た、奇麗な言葉を話す人だと思

つた。

 滊車は未だ平原を走り盡さなかつ

た。

(函館毎日新聞 大正五年十二月二日 一面より)


#函館毎日新聞 #函館 #奥羽本線 #列車 #大正時代



※「車窓の幻想(一)」とあるが、(二)以降が掲載された形跡は
 ありませんでした。「菊池譽志雄」名義での作品は二篇のみ。
 一錢亭16歳の時の作品。

       函館市中央図書館、国立国会図書館、所蔵


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