Photo by noranekopochi 盆踊の夜/みうら、ちはる 11 一錢亭文庫 / 菊池 與志夫 2024年5月2日 09:54 「盆踊を見に」といふ美しい散文を書き綴つて友達が新聞にのせたのはその頃であつた。私もよく短歌や散文をつくつて街の新聞にのせてゐた。草川義英ーそれがその頃の私のペンネームであつた。私の文學の上の或る友達が、津輕海峽をわたる汽船から身ををどらせて自殺したのもその頃であつた。 思ひ出 (四)(越後タイムス 大正十四年四月十二日 第六百九十七號 二面より)※前回の記事で説明しましたとおり、上記、「思ひ出(四)」にでてくる「盆踊りを見に」と思われる投稿が、「盆踊りの夜」として発見されたので掲載します。盆踊りの夜よみうら、ちはる私はこの村に來たのは、十一日の日でしたから、もう五日たちます。赫あかい夕燒の空に海鳥が、あわただしく飛んで去ります、その白い羽の色が向ふの、向ふの、けけんな雲に消江る時、私は、海邊に立つてゐる私は、いひしれぬ旅愁に囚はるる樣になりました。K君よ、函館ははちまんさんの御祭りがあるといふその十五日のたそがれ、私はかうなのです。年に一度の盆祭りが、この村にも來ました。子供等は、新しい着物をきました、そして、五人七人と集つては、遊びまわつて無性によろこんでるのが見江ます。昔風な田舎では、墓詣りの賑はしさは、一種のなつかしみを起さずには居られません。盆の十三日から海は、たいそう靜かでした。イカの漁があるといふので夕方から若い者はみな、イカッケに沖に出ます。十五日の夜は、天氣がわるく、海が荒れてゐたので出ませんでした。その夜、村の中央にぼんおどりが、開かれました。村の盆祭りでは、ぼんおどりが何よりの見ものでありました。村の若者と若い女(中には、子供を背負つたのも四五人ゐました)が、圓まるく環になつて踊り出す、一種の手振りの、足眞似の、シンプルなダンスに、萬歳のやうな唄が、体の動作の終つた、合間合間に、歌はれるのでした。男は白い手拭にほおかむりをしてゐます。その回りを、男の、女の見物が、むらがつてゐます。私は、それと二間ほど、間をはなれて、石に腰ついて見てゐました。生れて初めて見た盆踊りのおもしろさを思つてみました。かゝる間も、休みなく踊りつゞけられました。月が雲から出て、海を照らし、このぼんおどりをてらします。美しいコントラスト!自分のこの夜のデリケートな印象は、これにまさつたものはありませんでした。年の相當にとつた女の人は、子供を連れて見てゐます。そして、如何にも、うらやましそうに若い者の踊りをながめてゐます。自分の年々老いてゆく身を、もどかしくも思ふのでせう。のんきな漁村の盆踊りにも、こんな老の悲哀の、うかんでるのが見江ました。この夜は、そのまゝかへりました。(久保田花遥君へ)函館毎日新聞 大正2年8月23日 より※当時十二歳の一錢亭はこの文に影響を受けて自分でも書くようになったと思われる。 函館市中央図書館、国立国会図書館、所蔵 ダウンロード copy 11 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート