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盆踊の夜/みうら、ちはる

「盆踊を見に」といふ美しい散文
を書き綴つて友達が新聞にのせた
のはその頃であつた。私もよく短
歌や散文をつくつて街の新聞にの
せてゐた。草川義英ーそれがその
頃の私のペンネームであつた。私
の文學の上の或る友達が、津輕海
峽をわたる汽船から身ををどらせ
て自殺したのもその頃であつた。

  思ひ出 (四)

(越後タイムス 大正十四年四月十二日 第六百九十七號 二面より)

※前回の記事で説明しましたとおり、上記、「思ひ出(四)」にでてくる
「盆踊りを見に」と思われる投稿が、「盆踊りの夜」として発見されたので
掲載します。

盆踊りの
みうら、ちはる
私はこの村に來たのは、十一日の日でし
たから、もう五日たちます。あかい夕燒の
空に海鳥が、あわただしく飛んで去りま
す、その白い羽の色が向ふの、向ふの、
けけんな雲に消江る時、私は、海邊に立
つてゐる私は、いひしれぬ旅愁に囚はる
る樣になりました。
K君よ、函館ははちまんさんの御祭りが
あるといふその十五日のたそがれ、私は
かうなのです。
年に一度の盆祭りが、この村にも來まし
た。子供等は、新しい着物をきました、
そして、五人七人と集つては、遊びまわ
つて無性によろこんでるのが見江ます。
昔風な田舎では、墓詣りの賑はしさは、
一種のなつかしみを起さずには居られま
せん。
盆の十三日から海は、たいそう靜かでし
た。イカの漁があるといふので夕方から
若い者はみな、イカッケに沖に出ます。
十五日の夜は、天氣がわるく、海が荒れ
てゐたので出ませんでした。その夜、村
の中央にぼんおどりが、開かれました。
村の盆祭りでは、ぼんおどりが何よりの
見ものでありました。村の若者と若い女
(中には、子供を背負つたのも四五人ゐ
ました)が、まるく環になつて踊り出す、
一種の手振りの、足眞似の、シンプルな
ダンスに、萬歳のやうな唄が、体の動作
の終つた、合間合間に、歌はれるのでし
た。男は白い手拭にほおかむりをしてゐ
ます。その回りを、男の、女の見物が、
むらがつてゐます。私は、それと二間ほ
ど、間をはなれて、石に腰ついて見てゐ
ました。生れて初めて見た盆踊りのおも
しろさを思つてみました。かゝる間も、
休みなく踊りつゞけられました。月が雲
から出て、海を照らし、このぼんおどり
をてらします。美しいコントラスト!自
分のこの夜のデリケートな印象は、これ
にまさつたものはありませんでした。
年の相當にとつた女の人は、子供を連れ
て見てゐます。そして、如何にも、うら
やましそうに若い者の踊りをながめてゐ
ます。自分の年々老いてゆく身を、もど
かしくも思ふのでせう。のんきな漁村の
盆踊りにも、こんな老の悲哀の、うかん
でるのが見江ました。この夜は、そのま
ゝかへりました。(久保田花遥君へ)

函館毎日新聞 大正2年8月23日 より

※当時十二歳の一錢亭はこの文に影響を受けて自分でも書くようになったと思われる。


       函館市中央図書館、国立国会図書館、所蔵

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