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何かを失って

多田富雄さんの本を幾冊か読んだ。中でも[寡黙なる巨人]は闘病記でありながらほかのどの本とも異なる迫力を持って眼前に現れた。もっとも、専門用語の登上しない闘病の記録が、免役学関連の著作より実感を伴って読めたのは、むしろ当然のことかも知れない。冒頭の発作直後の叙述には胸ぐらを掴まれる思いがした。舞台のような映画のような、そのいずれでもない冷たさを湛えた、美しい臨死の描写。目覚めたあと書き手に突き刺さる現実の鋭さ。地下鉄の車内で読んでいた私は降車駅に着いても本から目を離すことが出来ず、そのまま活字を追いながら駅の階段を昇った。言葉は適当でないかも知れないが、小説の主人公にそうするように、書き手と自身を同一化して読んだ。否応なく、そうさせられる力があった。

多田さんは(知己でもないのに馴れ馴れしくそうお呼びする)、1934年生まれ、免役学者。抑制T細胞を発見、野口英世記念医学賞など内外多数の賞を受賞、と本の奥付けにある。
2001年に脳梗塞の発作により声を失い右半身不随となられた。
初めてそのお名前を胸に留めたのはもう何年も前のことだ。新聞に寄稿された文章に心惹かれ、切り抜きを大事にしていた。いまようやく著作を読んでいる。2010年に亡くなられたことを、しみじみと認識している。


本の話に戻る。二回目の発作のあと、枕元に奥様の顔をみとめた時の描写。

[もう大丈夫、と声をかけようとしたが、なぜか声が出なかった。なぜだろうと思う暇もなく、私は自分の右手が動かないのに気づいた。右手だけではない。右足も、右半身のすべてが麻痺している。嘘のようなことだが、それが現実だった。
訴えようとしても言葉にならない。叫ぼうとしても声が出ない。そのときの恐怖は何ものにも比較できない。]


話すこと、声を出すことも出来ず、嚥下がままならないため摂食障害にも苦しみ、半身は麻痺し動かない。麻痺という言葉の空虚な響きと裏腹に、その動かぬ腕や脚は常に緊張し、驚くほど重いのだという。
しかし、人格は残った。脳の、感情を司る部分、絶望やその先に見えるものを叙述する部分は損なわれなかった。

読みながら、もう随分前に旅立った祖父のことを思う。祖父も脳梗塞に倒れ、最期は話すことができなかった。感情の表出もほとんど出来ないまま逝ってしまった。同じ発作を得て、似通った経験をした数多の人々がいる。この文章家に、書き残す能力を残しこの病が与えられたことに意味を感じずにはいられない。

東大名誉教授という肩書き、能楽に通じ小鼓の打ち手であること。スノッブな自尊心も行間に見え隠れしつつしかし、困難なリハビリに打ち込む日々が綴られる。その中で、多田さんは 生きる ということを再発見する。体の回復はままならないが、生命は回復している、と書く。新たな巨人の誕生。小さな読み手の私は、主人公が光を見出したことにほっと息をつく。

折しもパラリンピックである。選手には、後天的に体の一部や機能を失った人も多い。それは誰にでも起こりうることで、彼ら私たちというような分け隔ては無意味だ。それでもあえて言う、彼らは凄い、素晴らしい。

失っても、生きることは続き、むしろ失う前よりもその彩りが濃くなることもあると教えられた。失うのは目に見えるものだけとは限らない。生きている限り、おそらくそれは起こり続ける。深い絶望の先にどう生きるか。新たな巨人の誕生を、自身のうちに見ることができるだろうか。本から顔を上げる。雨が窓を叩く音。細く長く。




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