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エッセイ | 赤信号の徳

しくじった。今日はどこの会社も忘年会のようで、タクシーは西にある飲み屋街の方へ行ってしまっている。私のいるオフィス街へ走ってくるタクシーなんて1台もいないことが、アプリの画面上にありありと映し出されていた。

忘年会なんて羨ましいなと思いながら、今日も私は自分の暮らすマンションがある方角へと歩みを進める。

工事用車両や大型トラックが通り過ぎていくことはあるが、見事なほど1台もタクシーは通らない。

大きな交差点で立ち止まる。進行方向は赤表示だが目の前を通過していく車はいない。律義に赤信号を守る必要があるのだろうかと思ってしまうが、こういった場面でもルールを守ることで徳を積んでいきたい。赤信号を守ったことで積んだ徳を使い、ゆくゆくは宝くじでも当ててやる。

信号が青に変わり、私は横断歩道を歩いていく。渡り切りそうなところで左側から車のライトが見える。タクシーだ。

タクシーが走ってくる方向には飲み屋街があるため、既に先客が乗っているかもしれないと思ったが、意外にもタクシーは空車だった。


「こんなところに人がいるとは思いもしませんでした」胡散臭そうな運転手が笑いながら話しかけてくる。

今日はどこの会社も忘年会なのに、お客さんは残業で大変そうですねと、私がこの時間まで仕事をしていたことを当ててきた。

「タクシーがぜんぜん来ないので助かりました」やっと温かい空間に入れた気の緩みからか、少しだけ気弱なことを言ってしまった。

「今日は西に行ったところの飲み屋街にタクシーは全部行っちゃっていますからね。それに、忘年会や歓送迎会のシーズンはすぐにノルマ達成できちゃうので、早い時間で切り上げちゃう運転手もいるんですよ」

それを聞いて、運転手もそこまで働きたいわけではないのだなと、当たり前だが気付かされた。

「運転手さんはまだノルマ達成していないんですか?」私は気になって尋ねる。

「もう達成しているので帰ろうとしていました。高速に入るまでにお客さんがいなかったら、会社に戻って、洗車して、終了」ルームミラー越しでも運転手のにこやかな表情が見て取れる。

「帰る途中に捕まえてしまって申し訳ないです」少し恐縮して伝えると、「仕事ですから」と笑っている。


「ずいぶん乗ってくれたから、最後にボーナスをもらったみたいだ」支払いのやり取り中に運転手がうれしそうに言う。

「遠くまでありがとうございます。会社はここから遠いんですか?」

「いや、実は近いんですよ。こっちの方面に会社があるので本当にラッキーだった」そう言うと運転手は助手席に置いてある何かをガサガサと動かす。

「せっかくだからおまけするよ」と言って500円玉をよこしてくる。

赤信号で積んだ徳が返ってきてしまった。もっと大きくなってから会いたかったのだが、コンビニに寄ってビールでも買って帰ろう。



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