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とびきり輝く武器はないけれど


私は小さい頃から何に対しても抵抗がなかった。

嫌いな食べ物もなかったし
運動も勉強もそれなりにできて
それなりの人間関係を築き、苦しいこともあったけれど
それもそれなりの出来事である。

親には色々な習い事(英語、習字、ピアノ、そろばん etc)に通わせてもらったし
どれも割と長続きしたが、鼻高々に自慢できるほどのレベルのものはなかった。

性格はずば抜けて明るいわけでもないし
極端に暗いわけでもない。

芸術的なセンスもまったくないわけでもないが
もちろん人目を引くほどのものでもない。

私には本当に秀でた武器がない。
だから、今までは何もない何者でもない自分自身が恥ずかしかったし
とにかく周りが羨ましかった。

だが、正直何十年とこの身体と向き合い続けると
意外と吹っ切れるものである。(というかもう伸び代もないので悩むのを諦めた)

そして、案外私には苦手なことも存在しなかった。
学生のころの通知表はどの教科も中の上レベルだったし
社会人の今となっても簿記や情報、英語の検定をとりそれなりの職に就き
それなりに仕事ができるほうでもある(と勝手に思っているわけだが。)

私には自信をもって主張できることはないが
無意識のうちに物事の先入観をとっぱらい何事にも苦手意識を持たずに
取り組む能力があるのでないかと思った。

苦手意識がないからこそ得意不得意の判別ができなかったことが
今となってはその「中途半端」さに生かされている気がする。

サラリーマン社会を賢く生き抜くには、
尖ったたったひとつの剣を振りかざすのでなく
さまざまな知恵、経験、言葉を使い周りの人々に歩み寄ることが
きっと、大切なのだと思う。

適正適所。置かれた場所で咲くことは
一見なんのおもしろみもないことのように思えるが
実際に置かれただけの場所で咲くことは誰にでもできることではない。

いつまで受け身でいるつもりだ。と思われることもあうだろうが、
何を言われてもこれが精一杯、考え抜いた私の強みなのだから
これからも「自分を見つける」みたいな旅には出ないし、
好きなコトで生きる!みたいな生き方もしないだろう。

私には、とびきり輝く武器はないが
武器から身を守る盾ならたくさん持っているんだぞ!

うはは。


2024.3.22 Fri


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